『神戸元町から感じとる阪神・淡路大震災』

   LINK編集部の村田です。
テーマ“震災”で発信しているクローバートーク!
最後の4人目は私、村田が『現在の神戸元町を歩いて感じたこと』を話したいと思います。

2018年1月下旬、神戸元町を訪れた。

神戸元町商店街5丁目の「元祖豚饅頭・老祥紀」で豚饅頭を頬張りながら、商店街に設置されていたフリーペーパー「元町商店街ショップガイド」を開いた。

ショップガイドには、商店街のお店以外に、「みなと元町・メリケンパーク・ハーバーランドスポット紹介」が掲載されていた。気になったので、足を運んでみることにした。

神戸港震災メモリアルパーク。

1995年1月17日の阪神・淡路大震災で大きな被害を受けたメリケン波止場の一部が、被害当時のままの状態で保存されている。

この写真を撮った私は、2011年3月11日の東日本大震災がフラッシュバックした。

東日本大震災。

当時、私は千葉県浦安市に住んでおり、地震時に一人で自宅にいた。
自宅がマンションの9階であり、ものすごい縦揺れがあってから大きな横揺れが長時間続いたことを覚えている。

冷蔵庫は扉が開き中のものが散乱したし、タンスも傾いた。
今まで経験した地震で一番強いものだったため、怖くなり、「大丈夫だから、大丈夫だから」と誰もいないのにつぶやいていた。

テレビをつけると全局で地震速報、地震情報が流れていた。
千葉県でこの揺れなら、震源地、宮城県ではどれほどのものだったか。

その後、外に出ると驚く光景だった。
家の前の交差点の信号機が傾いている。道路が割れて下から水が湧き出ている。当時中学生だった私は水道管に亀裂が入ったのでは。と思ったが、そうではないらしい。液状化現象。浦安市は埋立地であったので日に日に道路は浸水していった。

もちろん水道管も破損し、水道が止まった。近くの小学校に水を汲みに行き、エレベーターは止まっているので階段で水を運んだ。入浴は地元の銭湯に行った。スーパーもコンビニも住民が一気に食料を買い込んだので、震災から数日は品薄だった。海の近くのコンビニに行ったら地盤沈下で扉まで埋まっており、中に入れない状態だった。

『神戸港震災メモリアルパーク』の近くの道路は綺麗に舗装されており、メモリアルパークと比べると、自然災害による被害を修正する、人の力を感じた。私が住んでいた浦安市も現在では綺麗に舗装されている。
     
また、『神戸港震災メモリアルパーク』には多くの外国人の姿を目にした。中国からの観光客の団体は、メモリアルパークにて放送されている中国語での解説を聞いていた。

壁には、日本語、英語、中国語、韓国語の4か国語での説明書きがあり、メモリアルパークの存在により、震災のことを考える人、時間が増えると感じた。

BE KOBE。

BE KOBEとは、震災から20年目の2015年に「人のために力を尽くす」という神戸市民のメッセージが込められているらしい。モニュメントから、震災に立ち向かってきた神戸元町の人々の力強さを感じ取れた。
今回この記事を読んで少しでも気になった方がいれば、ぜひ実際に足を運んで感じとってきてほしい。

ぜひコメント欄にこの記事やLINKへの感想をいただけると嬉しいです!

#クローバートーク #LINK #大学生 #ジャーナル #震災 #神戸元町 #東日本大震災 #神戸メモリアルパーク

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?