見出し画像

邂逅市場

カメラのレンズを何気なく眺めていて、そういえば祖父もカメラが好きだったことを思い出した。祖母の家にいた頃になる。異様に古臭い箪笥や引き出しを開けて、埃や脱臭剤の匂いを掻き分け、少年リニスタはささやかな宝探しに勤しんでいた。祖母がピースしている謎の写真がプリントされた皿(外周を飾るのは読めない台湾語)や、完成されたものの経年劣化で黄変に黄変を重ねたジグソーパズル、高いのか安いのかよくわからない時計、万年筆、なんかゴルフのなんか、etc…子供心に所謂「アタリ」だったものが、特に高価でもなければ拘りも感じないフィルムカメラの群れだ。当然フィルムは入っておらず、なにかなんとなしにその場その場のアドリブで購入していたのだろうか(なにせ祖父はジャズだった)、一台として使い込まれている様子はなかった。

シャッターのスイッチが指にかかるテンション。ジャコジャコと巻き戻しレバーの音。今に至る機械へのフェチズムはここから形成されたものかもしれない。なにより私の心に残っているのは、祖父も祖母も机や引き出しを荒らした私を一切咎めなったこと。子供なりにいつも元に戻したつもりではいたが、そんなもんはマンキンでバレとる。人生は冒険や!

本当に欲しいものは昔から知っている。選択肢が増えると雑になるということに知る、とか。綴る理由はそういった気付きと傷つきと気つけの為にも、自分を見つける為にも、躾ける様に言葉を吐いて、落ち着けと。

週末は寺田町にて重ためのパーティー。理由はそれぞれ。数の力は常に理性の敵。ただ自分でいる為に自分の為の30分間。folcaは二度目まして。YOWLLは初ライブ。レコ初も初ライブもコストが不明確な状態で発生する付加価値だ。それなのに訴求されてライブハウスの重たいドアを開けることができる人達に、何かわからない気持ちになりたくて来てしまった人達に、自分の音楽を聴いてもらえて不明確にそれでも確実に幸せな気がする。30分間無暗に集中できるということが既に「救われ」の一種だと最近思うことがあり、その場にいた人にもそれらを共有できたならば、最早新興宗教じゃねぇかとっとと解散しろThe BEG。FUCK。〇ね。言うてね。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?