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ヘブライ文字の活字を廃棄したナチス

シュルヴィッツ

絵本の読み聞かせをしたことのある人なら,ユリ・シュルヴィッツという絵本作家を知っているかもしれない。

名前を知らなくても『空とぶ船と世界一のばか』(岩波書店,1970)の絵を描いた人,と聞けば「あああの絵か」と分かるかもしれない。

あるいは自伝的絵本『おとうさんのちず』(あすなろ書房,2009)をご存知かもしれない。

『よあけ』『ゆき』『あめのひ』といった作品も人気がある。

日本ではすっかり「ユリ・シュルヴィッツ」となっているが,正しくは「ユリ」ではなく「ウリ」らしい。
この記事では,以後「ウリ」と書く。

自伝『チャンス』

ウリの子供時代を綴った自伝が発行された。

『チャンス はてしない戦争をのがれて』原田勝 訳,小学館(2022.10)

ワルシャワ在住のユダヤ人ウリは,四歳でドイツ軍の空爆に遭う。一家でソ連に逃れ,何千 km もの過酷な旅を経てカザフスタンへ。
戦後引き上げるがその途次も艱難辛苦を強いられる。
ウリも母親も何度か死にかけている。

読みながら今ウクライナで起こっていることと頭の中で二重写しになり,泣きながら読んだ。

ナチスの所業

私は印刷技術・印刷史,世界の文字などに興味を持っている。
『チャンス』を読んでいて,興味深い記述を見つけた。

ウリと両親は戦後の一時期,ドイツ南東部バイエルン州のライプハイムという町に置かれた難民収容所にいた。

その頃,ウリの父は収容所の人々のためにイディッシュ語の新聞『ア・ヘイム』を発行する。

イディッシュ語は東欧のユダヤ人が話していた言語で,系統的にはドイツ語の一方言らしい。
ヘブライ文字かラテン文字で書かれる。

ウリの父はなかなか器用な人であったようで,本には

お父さんは,この新聞の創設者で編集長,記事も書き,紙面をデザインし,漫画も描いた。

『チャンス』p. 289

とある。
新聞の題字(p. 289 に写真掲載)をレタリングしたのもこの父。私はヘブライ文字デザインの良し悪しを見る目を持たないが,なかなかイケテルように思う。

先に触れた「興味深い記述」とは,

ナチスがヘブライ語の活字をすべて廃棄していたので,かわりにお父さんの新聞はローマ字で印刷された。

同上

というもの。

ナチスは活字の廃棄までやったのか。
反ユダヤ主義を突き詰めればヘブライ文字も標的になる,というのはいかにもありそうだが,実際にあったという話をこの本で初めて知った。

ナチスと文字,戦争と活字,支配と文字

この節は全くの蛇足。

「ナチスと文字」といえば「フラクトゥール禁止令」も興味深い。
※『世界文字辞典』(三省堂,2001)には禁止令の写真が載っているが(p. 664),そこにはなんとフラクトゥールが使われている。

「戦争と活字」といえば日本の「変体活字廃棄運動」(1938〜1942 頃)や「國策型活字」(青山進行堂,1941 年)も思い出される。

「支配と文字」については,ソビエト連邦時代に何十年にもわたってウクライナ語特有の文字の一つ「ґゲー」が禁止されていた事実も銘記しておきたい。
カナダのウクライナ人コミュニティーでは使われていたが,ウクライナでこの文字が許されるのは 1991 年の独立の頃まで待たなければならなかったのだ。

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