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オーストラリア備忘録


毎月投稿記録途切れるけど大丈夫そ?とか脅されるんで書きます。


GWにオーストラリアへひとり旅。

気がついたら半年経ってたので、これ以上先延ばしにすると全て記憶から消えそう。備忘録も兼ねて。


ふと3月くらいにそろそろ海外旅行したいな〜と思ったんだけど、人と予定合わせるの面倒だし、一人で行くか。そんな感じでなんとなく決まった。というか決めた。
久々の海外、英語圏の方がなにかと楽だろうと思って大自然も都会も楽しめるオーストラリアへ🇦🇺

円安のGWに海外なんて、なんてリッチ。
でもこれは自論なんですが、行きたいと思った時が行く時。歳を取ればとるほど長時間の飛行機は辛いし、行く勢いはなくなる。体力もなくなる。結婚をすれば稼いだお金は全て自分のために、なんていかなくなる。だから、私は多少お金に無理をしてでも行こうと。そういう論者。

悲しいことに新卒二年目会社員なので、祝日じゃないと連休はなかなか厳しいことだけが悔しい。
会社員でいることの中で1番悔しいことかも。

新しい手帳をおろす度に来年の連休とその日数、前後で年休どのくらい取れるかを計算し、来年の長期旅行チャンスを狙ってる。来年は3回。うち2回は海外行きたい。



オーストラリアに行く行かない以前に、年始にパスポートの期限が切れていることに気がついて新規発行しに行った。
とうとう初めて10年パスポートの対象に。もう大人だ。初めての赤色パスポートは少しわくわくした。

証明写真は全然盛れなかった。

東京で取得する初めてのパスポート。
申請所の規模の大きさ、短期間で発行できるスピード感にびっくりした。都会は便利だなと今更思った。


思い立ったらすぐ、地球の歩き方。
私は旅行に行くたびに観光ガイドブックを買って並べてる。絶対に最新版。
本棚を見るとすぐ、いつ、どこへ行ったのかパッとわかる。いつかは私の本棚を埋め尽くしたい。他の本は電子書籍派になりつつあるけど、ここだけは譲れない。


そして次は飛行機の予約。
連休の中で時間が限られていることと日本国内の移動は短ければ短いほど良いというので、羽田発着の直行便。
なんとなくメルボルンとシドニーに決めた。国内移動の飛行機もまとめて予約した。
全部カンタス航空。いろいろリスクの大きいLCCは乗りたくないから選択肢がそもそもあまりなかった。
スケジュールみっちりしたいタイプの旅行にLCCは合わないよね。

ちなみに本当はJALが良かった。
帰りの便、日本の航行会社運航の飛行機乗っただけでなんとなく安心する。実家のような安心感?
なんとなく、機内も日本な感じする。

反対に国外の航空会社は機内も国外の感じがする。
ちょっとだけ緊張する。



航空券予約してからホテル予約するまで結構時間が空いた。ホテル予約が1番苦手だ。

1泊¥10,000以内に抑えたいという思いはあったのだけれど、諦めた。こだわりが強かった。
ビビりなのでゲストハウスみたいなところも苦手だし。治安の良い通り沿いでセキュリティもしっかりしている、シャワーの水圧もしっかりあって、安定したWi-Fiのある、公共交通機関ユーザーに便利な場所を探すのにかなり手こずった。
そもそも行ったことない土地の治安なんてわからないし、口コミはさまざまだし。
メルボルン、シドニーそれぞれで予約するのが面倒で意外とギリギリになった。
毎回事前決済のプランにする。現地決済しようとした時に、思った金額と違って揉めるのを避けたい。
でもちゃんと事前決済してますの証明にデカデカと領収書印刷して持ってる。事前に避けられるトラブルは避けていくスタイル。

あとはビザ。
オーストラリアってビザ必要なのね。でもアプリからすぐ取れた。便利な時代だ。


Wi-Fi。
アメリカ以外は毎回ポケットWi-Fiも借りてる。というかそれ以外の選択肢を検討してなかった。
最近知ったけど、eSimっていう便利なものがあるのね。Wi-Fiだけだと電話番号使えないから不便だなと思ってた、次からは使ってみよう。
電波うまく繋がらなかったら不安だからどうせWi-Fiも借りそうだけど。

いろいろ証明書。
時期が時期だったので、英文のコロナワクチン接種証明書も印刷した。
日本の帰国用になんかアプリも入れた。渡航中にそのアプリ必要なく帰国できるようになったから結果必要なかった。
持病の薬大量にあったから全て英文の説明書持っていった。あとは未開封の状態に。オーストラリアは特に厳しいと聞いてビビりまくってた。
税関申告の紙も全て偽りなく記入した(当たり前だけど)。チョコレートひとつで申告必須なら、航空機内でキットカット配らないで欲しい。怖いから。オーストラリア食べ物持ち込み厳しすぎない?


そしてようやく旅行開始。
旅行記が書きたいわけじゃないから、印象的なものだけ残そう。とりあえず文字だけで残す、気が向いたら写真追加する。


オーストラリア着いて、飛行機を降りた。先進国の香りがした。でも日本とは違う。オーストラリアの香りは初めてだった。
外国のおばあちゃんに急に話しかけられた。どうも空港のWi-Fiが繋がらないから手伝って欲しいらしい。旦那さんと連絡が取れなくて困っていた。なぜ、まだ出国審査も受けてないアジア人に聞くのかなと思いながら一緒にいろいろ設定を変えてみたものの、うまくいかなかった。
おばあちゃんは別のポケットWi-Fiも持っていた。なんだ、別の方法もあったのか。無事連絡が取れたようだった。人助けはできなかったが、良かった。



メルボルンに着いた。メルボルンは過去と現代が融合していて、素敵な街だった。
H&Mがレンガ造の重厚な建物に入っていたり、メルボルン監獄という過去の負の遺産が街の真ん中に堂々と違和感なく存在していた。

特にお気に入りは図書館。滞在中毎日通ってひなたぼっこ。旅行では本を1冊欠かさず持っていくのだけど、ここで一通り読んだ。
こんな素敵な図書館で勉強できるメルボルンの学生が羨ましいと思った。図書館の前には大きなチェスボードに大きな芝生。たくさんの人の笑顔が溢れるエリアになっていた。
スケボーを練習する少年をみんなが見ていた。ついに技が成功し、たくさんの人が拍手していた。

死ぬまでにもう一度ここに来たい。初めてそう思った。


路面電車は基本的に無料。無料だから1区画でもすぐに乗れて、観光には便利だった。
旅行先を選ぶ時、観光しやすいかはかなり大切なポイントで、特に移動手段は最重要ポイント。慣れない現金を使うのも、数日のために現地の電子マネー買うのも大変。でもタダなら何も考えなくて良い。
観光客だから無料なのではなく市民も含め全員。財政状況が気になる。

初日、ホテルに行くのに乗る路面電車を間違えた。Googleマップを開くと予想外のところに青い丸があってガッカリした。車掌さんに聞いたら優しく行き方を教えてくれた。優しい人で助かった。
運転手さんも車掌さんも女の人だった。日本だと珍しい感じがするけれど、かなり多かったように思う。


セブンイレブンへ行った時、他のお客さんに少し暴言を吐かれた。少しというか一部しか聞き取れなくて全貌はわからなかった。
海外行くとちょこちょこある。アジア人差別とか含めて。悲しい気持ちになるけれど、言い返す気にもならないし無視するしかない。
でもセブンイレブンの店員さんがそのお客さんを店から出させてた。すごく嬉しかった。こういう人が来る店じゃないから出て行ってくれとストレートに言ってくれた。何度もお礼を言った。
さまざまな人がこの世の中にはいるなぁと改めて思った。


パッフィンビリー鉄道に乗りに行った。SLの保存鉄道。
メルボルン郊外の大自然を眺めながら爽快感あふれる旅ができる。足も手も窓から投げ出してスピードを体で感じながら。
道中、車に轢かれたカンガルーを見た。オーストラリアで見た初めてのカンガルーは息をしていなかった。日本で鹿や狸や猫が轢かれてしまうのと同じように、オーストラリアではカンガルーが轢かれてしまうらしい。少しショックだった。
同じ電車に乗っていた日本人の女の子と仲良くなった。同い年。一緒に写真まで撮ったのにインスタを交換しそびれた。せっかくのSLだと思って自撮りしてたら、カメラ係をしてくれた。もう出会うことはないかもしれない。


メルボルンからシドニーへ移動する日、メルボルン空港の国内線ターミナルに行った。大きい空港だし、国内線が活発な国だからおもしろいものがたくさんあるだろうと思って早く着いたら、意外と何もなかった。
仕方ないからチェックインした。たまたま無人チェックイン機が使えなくて有人カウンターへ行ったら、一本早い便に振り替えてくれた。
早く着いてて時間もあるしこのあとの便が少し遅れる見込みだから、早い便に乗りなと変えてくれた。
直前の振替、お金かかるかと思ってしつこく聞いてしまったけど無料だった。
早くシドニーに着いてその分観光できた。ありがとう、カンタスのカウンターのお姉さん。


予定より早くシドニーに着いてしまったから、荷物だけでも預けられないかとホテルへ行った。中華系のホテルだった。というか中華街みたいなところだった。結構調べた気でいたけれど、本当に気でいただけだった。知らなかった。
早めなのにチェックインできたしお部屋へ入れてくれた。ラッキー。

身軽に観光した。人生で初めてオペラハウスを見た。
GWだったから日本人ばっかりだった。英語より日本語が聞こえたのは日本人が多かったからなのか、私の耳が日本語を優先的に聞き分けてくれちゃうのか。



世界遺産に登録されている国立公園、ブルーマウンテンズへ行った。ユーカリの成分で青く見える山と伝説の岩、炭鉱の街。エリア一帯が観光地…というか世界遺産。
崖に足を投げ出した経験はもちろん初めてで腰が引けた。でも意外と攻めた写真が撮れた。ここで落ちたら私が私と判別できなくなるのだろうな、容易に想像できた。なかなか日本ではできない体験にワクワクした。地球を見た気がした。

クイーンエリザベスルックアウトと呼ばれる、展望エリアがあった。クイーンエリザベスって、あのエリザベス女王だよね。その時やっと気がついた、オーストラリアの歴史。世界史やっとくんだったな。日本帰って速攻世界史の本買った。
オーストラリアの国王はイギリスの国王だ。ここにあのエリザベス女王がいらっしゃった証にときめいた。
オーストラリアの自然と歴史に触れた。

ここに行くにはシドニーから車が必須なので、簡易的なツアーに参加した。参加者のうち、1人で参加してる人が私以外にもいた。
一緒にご飯を食べて、パイをシェアした。ルーラというかわいい小さな街で。5月の紅葉、小さな街の小さな公園で食べたパイは人生で1番美味しかった。
ちなみに、私の友達の友達も参加していた。よくよく話を聞いてみると共通の知人がいそうな感じがしたから聞いてみた。ビンゴだった。オーストラリアで日本の世間を感じた。
雄大な自然の中でも結局私は私の世界だった。

お土産を買いに地元スーパーへ行った。海外スーパーは知らないものや食材がたくさんあっておもしろいので何軒も回った。でも日本でも見たことあるお菓子が多くてお土産はどうしようか悩んだ。
ダメ元で店員さんにオーストラリアぽいものでお土産になりそうものあるか聞いた。一緒にお菓子売り場を歩いてオススメしてくれたけど、全部日本にあった。
結局、地球の歩き方がおすすめしていたクッキーを買った。


最終日、オペラハウスのツアーに参加した。
オペラハウスは基本的にオーケストラやバレエなどの観客以外は入れない。何の権利もない人間はツアー参加しないと中の見学ができない。
私は正直オペラハウスをみくびっていた。世界遺産は歴史的で文化的、未来に残すために資本を投下する価値のあるものに与えられる称号くらいにしか思ってなかった。21世紀入って完成した建築にその価値があるかわからなかった。実際に登録基準はそんなにクリアできていなかった気がする。
でもすごく良かった。建築の特徴をわかりやすく説明してくれるツアーだった。政権交代が影響して一時完成が危ぶまれたことをそもそも知らなかった。知らないことたくさんだ。

写真集買って帰るか悩んだ。お気に召すものがなかったから買わなかった。もっとこうして欲しいとか、こういう文章や説明が欲しいとか、こだわりを持って選んでしまった。
こうであって欲しい、完璧な写真集が欲しいと思うほどにはオペラハウスに感動していた。
何かしらの演目を見て帰りたかった。帰国日だったからそんな余裕はなくて残念だった。

そのツアーに参加した同世代の子と仲良くなった。今回こそ、インスタを交換した。日本に帰ってきてからも少し連絡を取った。東京に住んでる子だった。



とうとう帰国。充実した1週間が終わってしまうことが悲しくて、帰りたくなかった。ギリギリまで異国を感じる国外の航空会社にしてよかった。

自動チェックイン機で荷物預けたあと、控えを見ると印字がうまくされていなかった。半分消えていた。散々悩んだ挙句、スタッフさんに声をかけた。新しいものをもらえた。消えてしまった方も記念に持ち帰らせてもらった。
ニコニコと対応してくれた。

シドニーの空港で本屋さんに寄った。
"IKIGAI"というタイトルの本がベストセラーエリアになぜだか立てかけてあった。どうも、日本人の暮らし方がリスペクトされている本。オーストラリアに感動し、帰りたくないと思ってる中、オーストラリア人が日本の生活は素晴らしいと語っている本に出会ってしまった。買おうか悩んだが、オーストラリアにどっぷり浸かりたかったし日本の良さは今どうでも良いと思ったので買わなかった。
少し内容は気になった。


飛行機に乗った。隣の席はいなかったが、なかなか飛び立つ気配がなかった。
ようやく流れたアナウンスでは、国内線が遅れていて乗り継ぎのお客さんを待つからもう少し遅れるとのこと。特にその日予定はなかったし多少遅れても何の問題もなかったので待っていた。
まさかの隣の人が乗り継ぎのお客さんだった。ちょっとガタイの良い人で少しがっかりした。

気がついたら飛行機も空の上、シートベルトサインが消えた。隣の席の人はマリオカートを始めた。深夜便。機内は暗くなり、多くの人が寝ているようだ。そんな中、有機ELのSwitchが煌々と光っている。
眩しいな、マリオカートやってるな、とぼーっと見ていたら、一緒にやる?と声をかけられた。そういうことではなかったのだがやることにした。
私の初Switchマリオカート、まさかオーストラリア人とやることになるとは。
何試合かした。そのあとは他愛もないおしゃべりをした。勝手に私は30代のオーストラリア人かと思っていたが、同い年だった。

今ゴールドコースト上空あたりかな、日本には何しに行くの?、仕事は?、趣味は?
そんな話をしていたらご飯の時間になった。美味しいねとは言わなかった。どんなに素敵なシチュエーションでも機内食は機内食だった。

パイが美味しかったのは、環境ではなかったのか。たぶんパイが本当に美味しいパイだったんだな。

途中で寝た。深夜便は寝た方がいい。
朝起きた。ご飯を食べた。お世辞にも美味しくはなかった。
初めての日本にとても興奮していたお隣さんと、一緒に降りてイミグレーションを抜けて一緒にモノレールに乗った。eSimを使っていたお隣さんは日本でもサクサク電波を使って、スナップチャットとインスタを交換した。

今でも連絡を取っている素敵な出会いだった。日本を気に入ってもらえたようで、来年も旅行に来るらしい。何だか嬉しい。

あっという間の1週間だった。
みなみじゅうじ座は観測できなかった、また行こう。


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