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フェイ・エンダー/おわりびと⑯ 第三章 太古の記憶「3-1 ドワーフの王」


第三章 太古の記憶

3-1 ドワーフの王

(前作 「 第二章 力の発現 2-4 崩壊の危機 」 のつづき )

 岩に押しつぶされた割には痛くない。
 死とはこんな感覚か? 拍子抜けだなとフィオランは眼を開けた。

 なんと、ヴィーを身体の下に組み敷いている。驚いて仰け反り、後頭部を思いきり強打した。
 目の前に火花が散り、痛さに蹲る。
 一体何に頭をぶつけたのかと背後を見上げ、絶句した。
 見たこともないほどの巨大な岩盤が柱となって聳え立っていた。
 やや斜めになった巨岩は、洞窟の高い天井を支えるように突き立っている。その柱に守られたお陰で圧死を免れたのだとようやく悟った。

 見渡せば、この大空間いっぱいに、隙間がないほど無数の巨岩が天井を支えて屹立している。
 それは初冬のよく冷えこんだ朝、庭のあちこちに土を持ち上げてびっしりと発生した霜柱を彷彿とさせる光景だった。

「おまえが崩壊を防いだんだ」

 ピンと来ていないようなので、ヴィーがそう教えてやった。

「……俺が?」

 フィオランは喘ぐように言った。無我夢中だったので、どうやったのかまったく記憶にない。失敗したのかとさえ思ったのだ。

「穴の暴走もおまえが抑え込んだ。よくやった」

 手を伸ばせば頬に触れるほどの距離で、ヴィーは晴れやかに微笑んだ。

「俺は……あんたが無事でよかった」

 衝動的に頬に手を触れた。電流が走ったかのように感じた。
 自分の魂まで覗き込むかのような銀色の瞳に吸い込まれ、気づけば唇を重ねていた。柔らかな感触に身体が痺れた。
 お互い身体を離して見つめ合う。穏やかな微笑に、フィオランはなにか心の奥深くに眠るものを揺さぶられた。

 俺はこの女を知っている――。

 知り合って一週間も経っていない。確証は何もない。
 まったく馬鹿げているが、無意識とやらがしきりにそう告げているのだ。

 火で竜を創り出したのもそうだ。
 自分の中に欠片もないものを想像することなどできやしない。
 あれは実際にその眼で見た記憶だ。規模はずっと小さいが、自分が造形した芸術作品に陶然としながら、かつて見たものの姿を重ね合わせたのだった。

 透き通るほど美しく燃え上がる炎を身に纏った巨大な竜。
 深紅の身体を宝石のように輝かせ、夜空を覇者のごとく泳ぐ。
 あれは誰の記憶なのか?

 目の前に瞬く銀色の瞳は、そのすべての問いに対して答えを知っているかのように、静かに自分の顔を映している。
 じっと何かを待ち続けている、そんな表情を読み取ったのは果たして思い過ごしなのだろうか?
 そう感じたのはこれで二度目だ。
 一度目はあの断崖絶壁での束の間の休息の時――。今はあの時より、もっと強く想いのようなものが伝わってくる。

「あんた、一体誰だ?」

 うわごとのように口をついて出て、はっとする。それは自分への問いでもあった。
 自分は一体何者なのか。
 ラダーンへ行けば、本当にそれが明確になるのだろうか。

「あー、お取込み中のところすまんがねえ」

 素っ頓狂な大声が、足元の辺りから沸き起こった。
 前触れなしに声をかけられ、フィオランは心臓が口から飛び出そうなほど驚いた。
 見下ろすと、足元の柱の隙間から髭もじゃの大きな顔が覗いている。
 自分たちの腰にも届かない小さな人間が、体を痙攣させて驚く相手がよほどおかしかったのか、肩をゆすりながら笑っていた。
 初めて見るこの珍妙な生き物にフィオランは目を丸くした。

「このたいそう結構な模様替えをしてくれたあんた方には、礼を言わなきゃならんのかねえ」

 老人というべきか、白っぽい髪は伸び放題、同じような色の髭は顔を覆いつくしているので年齢が見た目では皆目わからない。
 そのゆっくり間延びした口調と嗄れ声から察するに、老齢の小人とフィオランは判断した。
 観察することに夢中になるあまり、相手への応対をすっかり忘れてしまっている。

「このにいさんは口が利けないのかい? 図体だけはでかい、とんだヒヨコを背負い込んだもんだなあ、ヴィーよ」

 驚くことに、その小さな人はからかうようにヴィーへ目配せを送った。
 古い知己のような様子にフィオランは驚いた。

「知り合いなのか?」

「おお、口なしがやっと喋ったか」

 口が悪い爺さんのようだ。おどけたようにフィオランを見上げてくる。

「このさすらい人とわっしは古い古い友人だよ。といっても、わっしが産まれた頃にははすでにその長い脚で飄々と歩いておったがねえ」

「オイス」

 二つばかり非常に気になることを耳にしたが、ヴィーが苦笑交じりに小びとの軽口を制した。

「おまえたちの住処までは及んでいないとは思うが、騒がせてすまなかった。それより、どうしてここへ? 人間の前には姿を見せないのが鉄則ではなかったのか」

 その問いに、オイスという小さな人はにやりと笑ったようだった。何せ顔面毛むくじゃらのため、目の動きでしか表情を判断するしかないのだが。

「なあに、興味があったんでね」

 そう言って、フィオランへじっと黒豆のように小さくてよく光る眼を向けた。そしてすっかり様変わりした洞窟内を見回す。

「……ふむ。四百年は持つかのう。大きなひと揺れがきたらあっという間に粉々だろうが。大した仕事をしてくれたわい」

「すまなかったな」

「おまえさんともあろう者がずいぶん不手際なことをしおったわい……そう思ったが、なるほどなあ。このヒヨコがおるならさもあらん、と合点したわ」

「おい、爺さん。ヒヨコヒヨコとさっきから何なんだ。失礼だろう」

 大人しく成り行きを見守っていたが、我慢が出来なくなってフィオランは文句を言った。

「おまえさん、力を覚えたてのヒヨコだろうが。違うのかい?」

 自覚がないのかと言った風に驚かれ、言葉に詰まった。
 オイスはふんと勢いよく鼻息を飛ばし、じろりとフィオランに一瞥をくれた。

「反抗心だけは一人前か。あんたも苦労するなあ、ヴィーよ」

 この嫌味なジジイはメリュウ婆さんとさぞ気が合うだろう。そう胸の中で罵った。
 そんな相手の胸中はお見通しのオイスは笑いをかみ殺しながら、二人を手招きした。

「さあ、ついておいで。ここにいつまでもおっても仕方がない。わっしが道案内をしてあげよう」

 気がつかなかったが、オイスは柱の陰に置いていた小さなランプを持ち上げた。

「オイス、おまえがわたしたちを?」

 言わんとしていることをオイスは理解しているようだった。
 ヴィーへ向けた目尻が優しく下がっている。フィオランには何のことかさっぱりわからない。

「あんたが行こうとしていた道はこの崩壊で塞がれてしまった。まともなルートでは東へは抜けられないよ。だからわっしがこうやって駆けつけた」

 ヴィーは気遣うように小びとをそっと見つめる。

「オイス……いいのか?」

「あんたにはたくさんの恩があるからなあ。あんたはもっと助けを求めてもいいんだよ」

 ごつごつと節くれだった小さな手が伸ばされ、ヴィーの手を敬うように包み握りしめた。
 何か二人にしかわからない事情があるようだが、フィオランは重要なことに気がつき青くなった。

「俺たちの他にまだ仲間が三人いるんだ。この先を行っているはずだった。あんた、奴らを見かけなかったが? 道が塞がれたんなら、まさかあいつら――」

「おお、そんな人間もおったなあ」

 まるで他人事の反応にフィオランはますます青ざめた。

「他の者が救助に当たったはずだから心配いらんだろう」

 軽くそう言って、さっさと柱の隙間を潜って行ってしまった。
 フィオランの身体がわなわなと震える。
 このジジイは嫌味ながかりか、根性まで悪い。間違いなくメリュウ婆さんの再来だろう。

「その上空を這いまわっている蛇はちゃんと消してきておくれよ」

 崩れた岩の空洞からしゃがれた大声が響いてきた。




 鉱山の坑道のような横穴を優に半刻は歩いた。
 天井があまり高くないので腰をやや屈めた姿勢を長いこと強いられ、背骨が折れそうだと音を上げる矢先だった。
 狭い坑道が終わり、何やら大きな空間に出た。
 
 フィオランは悲鳴を上げる腰を伸ばそうと仰け反りながら、目に飛び込んできた光景に感嘆の声を上げてしまった。
 そこは一面白亜の大伽藍であった。
 ぴかぴかに磨き上げられた石の表面が、至る所に据えられた燭台の灯りを反射し、広間中を柔らかな黄金色に染め上げていた。
 高い天井を支える優雅な形の柱が規則的に並び、その柱が広間を用途別に区分している。

 ある部分は講堂場所であるらしく、石をそのまま削り上げた階段式の席が湾曲して並んでいる。
 隣の空間は小型の噴水が設置された憩いの場となっていた。
 天井も柱も壁も、腰を下ろす椅子も床の敷石さえも、すべてに粋を凝らした彫刻や象嵌が施されており、どんな王侯でもこれほど華麗な住居を所有してはいないだろうと思われるほどの贅を尽くした建築群。

 豪華絢爛たる小人たちの宮殿に圧倒され、声もなく立ちすくむフィオランへ、ヴィーは微笑を向けた。

「彼らドワーフは美を極めた作品を創り続けることを喜びとしている。
今この世に生きる最も古い種族であり、この大自然の守り手だ。叡智の人でもある。そして彼らほど偉大な芸術家をわたしは知らない」

 前を行くオイスが手放しの称賛に目を輝かせて振り向き、宮廷風に腰を大きく曲げてお辞儀をしてみせた。

「あなたにそこまで言わしめるとは汗顔の至り。恐悦至極に存じます」

 大宮殿には他の小びとたちの姿は見えない。
 全員どこかへ出払っているのか、それとも自分たちには見えない物陰に隠れてこっそり覗いているのか。たぶん後者だろう。
 フィオランは勘がいい。
 さっきから無数の視線を浴びているような気配を感じ、首のあたりがちくちくしている。
 なぜ姿を見せないのか訝しみながら、オイスへ声をかけた。

「あんたはドワーフの王なのかい?」

「わっしらに王などというものはない」

 オイスはちらりとフィオランを見上げ、肩を竦めた。

「おまえさんは何もわかっちゃいない。つくづく人間的な発想だなあ」

 俗っぽいと言わんばかりの視線を向けられ、フィオランはむっときた。

「正真正銘の人間なんでね」

「上下優劣をつけたがるのは人間の最たる特徴だね。だからわっしらは人間とは距離を置く」

「だから俺に当たりが強いのかい? ドワーフの人間嫌いは、俺たちの世界では実に様々な伝説になっているぜ。子供をしつけるための大人の作り話だとばかり思っていたが、本当に実在してたんだな」

「この世には人間が知らないだけで、まだまだ多くものが存在するんだよ」

 もっと詳しく聞き出したかったが、オイスはそれきりむっつりと口を閉ざしてしまった。
 先ほどまでいた地下水流が流れる洞窟よりも広い大伽藍を過ぎ、瀟洒でありながらも迷路のような通路へと入り込んだ。
 
 まるで蜂の巣のようだと思った。
 通路の所々に部屋があり、それらがドワーフたちの住居なのだろう。
 入り口には精緻な刺繍が施された緞帳どんちょうが垂れ下がっていた。
 それら部屋の一つに二人は案内された。
 重い緞帳をかき分けて潜ると、部屋の中にはベヒル達三人の姿があった。
 ほっとしたが、フィオランはどういうことかと眉を跳ね上げてオイスを顧みた。
 彼ら三人は皆一様に目隠しをされ、囚われ人のように固まって床へ座り込んでいたからだ。
 フィオランの目配せを受けて、オイスは当然のように答えた。

「掟に従ってもらったんだよ。人間にわっしらの住処を見せるわけにはいかないんだ」

 岩盤崩落から助けはしたが、行動の自由を奪うことが条件だったらしい。
幸いにも、三人は大人しく異世界の生き物の要求を受け入れたようだった。

「……俺も人間だぞ?」

 慎重にフィオランは問うたが、オイスは無言を守った。その小さな眼がちらりとヴィーへ向けられたのをフィオランは見逃さなかった。

「礼をいう、オイス。おまえたちの掟をだいぶ変則させてしまったようだ」

 改まって礼を言われ、オイスは照れたように髭を引っ張った。

「なあに、麗しのさすらい人の力にならん奴はおらんよ」

 そして緞帳を潜る前にこう言い残していった。

「わっしは何も見てないし、知らんよ。だって部屋から出て行くんだから」

 後はご自由にどうぞ、というオイス流の気遣いらしかった。


~次作 「 3-2 期待という名の世迷い言 」 へつづく

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