結婚 (こんなこともしちゃってもアリの時代) その3.092 2回目の挙式 〜リファレンスとしてのバブル初期の結婚式 当たり前過ぎて意識しなくなっていること
鼻につく内容が続いてすいません。
事実を残すということで引き続き赤裸々にかつ丁寧に紡ぎます。
経緯
その1では
〜改めて考えてみた
先ずは基本的認識の整理から
ということで結婚とは何かのおさらいをしました。
その2では、
〜始まりは婚姻届提出
ということで、婚姻届の建付けから分かる結婚を考えてみました。
その3.01は今どきの結婚式ということを深堀りすべく先ずは昭和のバブル期に入った位頃の能天気に明るい結婚式をリファレンスとしてご紹介。
その後主流となるホテルでの挙式と披露宴のセットとの対比で大学や会社の施設を利用した挙式and/or披露宴のご紹介をしました。
その深堀りで大学や企業の施設が結構開放されていて稀有な設備をリーズナブルに利用できるというご紹介をしました。
その3.02はその具体的な例を1つご紹介。
リファレンスなので当時の雰囲気が伝わるように詳述しています。
その3.03は、具体的な例1つのご紹介の続き。
大安吉日、土曜日、June Brideにも拘らず日本鋼管高輪クラブは貸切状態という結婚式当日の詳細。
ハイソカーで乗りつけ、無宗教なのに神前結婚式をし、披露宴も派手に会社関係、学校関係、親族という構成で120人を超える参加者を迎えるというミーハー(今どき使わない言葉(笑))さ。
硬い挨拶にも笑いが散りばめられる新しいスタイルの披露宴の走り。
「〇〇(私のこと)君はロリコン(ロリータ・コンプレックスの略)
だと聞いていたが、順当な素敵なお嫁さんで安心しました。」
とか
「ホントに〇〇が研究室に来る時は、実験以外、毎月の土曜日丸一日使う研究進捗報告会、週2回の輪講のみ。無駄に研究室にダラダラ居ないのです。他の同期の4人は順当に研究室に居るのに。なので顔を見れば“あっ会議の時刻か”と分かる程徹底していました。」
などと、受取りようによっては際どいネタを…
硬い挨拶の場面でもイジる軽さと明るさが…
その3.04はその具体的な例1つのご紹介の続々篇。
バブル初期の披露宴は兎に角明るい。
会社の同期が私達夫婦の写真をスライドにしてくれて見事にロリコンネタでイジってくれました。
まぁ当時20歳の吾妹に
Love “in” at First Sight
(正に“in”で、ガッツリ魅力にLock Onされた感じ)
だったので全く動じませんでしたが(笑)
その3.05はその具体的な例1つのご紹介の続々々篇。イジリのゲームの話題でした。結婚披露宴が明るく楽しい…
最早単なるパーティー
となったというオチ。
閑話として、呆れる程“ドラ息子”の私の顛末を赤裸々に綴らさせて頂きました。どうやら読者の方々にはドン引きだった様ですが… (それでも残そうという趣旨)
その3.06は、そして披露宴の後の
2次会たるや凄いことに…
という話でした。
結婚披露宴は遅れに遅れ、予定より1時間半遅れて高輪クラブから“正統派”ディスコ、六本木のホテルアイビスにあった“高級”ディスコ”ラジャコート“に到着。2次会の会場は既に盛り上がっていて、吾妹は大歓迎、私は1部吾妹のファンから無茶苦茶にされつつも至って明るいバブル初期らしい2次会でした。
その3.07は、高輪での挙式、披露宴、六本木での2次会を終えてタクシーで高輪クラブに戻る所から。
流石に2人共疲れ切って居ました。気持ち良さそうにうたた寝をする吾妹の横顔を見つつ目に入ったケン・コーポレーションさんの看板を見て、いずれは物件を貸せる様になりたいなぁ…と。
それは実現する未来が待っていたのですが…
そんな些末な事は遥かに超越する…
(そのレベルは私の祖父母や父母の代でやった。それを超える価値あるものとは…)
“お金では買えないそれ以上の素敵な未来”
が私こと”究極のドラ息子“(笑)には用意されていました。
高輪クラブに到着して、最上階のスウィートルーム。疲れ切った身体で雑事をこなし…
当時は私はすっかり痩せていて筋肉も落ちて体重は58.5kg。長身とは言えかなりの痩せ型の吾妹でしたが…吾妹を抱いてベッドに乗せることができなかったのでした。正に
画竜点睛を欠く
感じでした。優しい吾妹は笑って許してくれましたが…
それでも2人っきりが嬉しくて、勿論“しっかり抱き合って”就寝。というオチ。
その3.07は、結婚式の翌日に起こった交通事故の話でした。
新居たる社宅に戻る前に、吾妹の実家に不要不急の荷物を置いて片付けをしている間に駅前の郵便ポストに行こうとした時…
駅前の駐停車の車の切れているところに駐停車すべく、助手席側のドアミラーを確認した後ゆっくりと車線を変えて停車しようとした時、私を左から追い抜こうとしたおじいさんの運転するカブが助手席側後方の側面トランク辺りに衝突。
注意力が落ちていたのか…
画竜点睛を欠いた瞬間
として私の生涯の戒めとして記憶に残っているというお話しでした。
その3.091は、“こんなこともしちゃってもアリの時代”という感じで、2回目の挙式を上げてしまったというお話しでしたがその前フリが長くなってしまった為に、それをその3.091とし主題は
画竜点睛を欠く(続編)
としました。その内容は…
新婚旅行の為に上手く月を跨ぐ感じで16日間休みを獲得し余裕ある旅程で、ニューカレドニアに。しかも殆どクラブメッドの施設内でヨット、ウインドサーフィン、テニス、海水浴、プール、アーチェリーなどなど、多様なスポーツを楽しめるという何ともお気楽なパッケージを選択。3食全ての食事もパッケージツアー旅費に組み込まれていました。その食事、最初のディナーでの事故。
広めのテーブルに適当に座って、様々な国から来られステイしている方々との国際的な触れ合いを楽しむという趣向。
私達もそのテーブルに着きました。当然話しかけられ会話のスタート。ネイティブではない方々の英語ということで連立方程式を解く様に難易度が高く頭は会話を維持するだけで手一杯の私は吾妹そっちのけで会話していました。その時不運にも吾妹のメインディッシュが、給仕の方の不手際で滞って居たのです。新婚旅行で吾妹のそれに気付かず。放置された吾妹は激怒という…
画竜点睛を欠く
の続きという顛末になってしまったというオチのお話しでした。
…………………………………………………………………………………………………………
今回は、いよいよこんなこともしちゃってもアリの時代という感じで、2回目の挙式を上げてしまったというお話しです
オプションとして、ヌメアというニューカレドニアの首都の市(市街地は道幅は広く歩道も広いという構成できれいに整備されているものの当時は老朽化が激しく、道路は凸凹してていて、スコールの雨が溜まっていたり。周りの建物も市の建物以外は平屋かせいせい2階建)
の中に有る教会での結婚式と市庁舎での写真撮影というものと、イルデパン島という殆ど元々住んでいた原住民の方々だけが住んでいる少しワイルドな歴史も持つ島に遊びに行くというものだけを選択しました。
そもそもクラブメッドのニューカレドニアは当時としては新婚旅行の最も人気のあるツアーの1つでは有りました。しかしオールインワンなために総額は一見高額。と言ってもオールインワンなので寧ろ私にはアフォーダブルに見えていました。具体的には現地での様々なアクティビティ、例えばヨットとかテニスとか含めて何をしても無料、お酒以外の3食付き。なのでそもそも長期滞在を前提としたプログラムであることから、人気が有っても中々会社員では選択し難いパッケージでも有りました。
https://www.clubmed.co.jp/
何と言ってもニューカレドニア外国良い。天国に一番近い島と言われていましたので…
そんなクラブメッドのニューカレドニアでした。
贅沢にも選択したオプショナルウエディングツアーはまた最高でした。
当日は3組の新婚カップルがツアーに参加。まぁオプショナルツアーなので挙式と言っても本人に2人だけが参加する至って簡素なウエディングという趣向。
吾妹は自前のウエディングドレス、ティアラ、ブーケ等一式を日本から持ち込んで、私は肩掛け式の本格的な8mmビデオカメラと3脚を持ち込んで2度目の挙式に臨みました。
本気度伝わりますかねぇ
先ずはチャペルで牧師さんが立会って挙式をしました。
因みにニューカレドニアの宗教人口はこんな感じのようです。
キリスト教プロテスタント 17.1%
キリスト教カトリック 51.1%
キリスト教 異端派 3.6%
イスラム 3.5%
無宗教 15.1%
でも記憶ではプロテスタントの方だったかと…
(もぅそこからしてミーハー。ホイチョイ。)
そこから全て8mmビデオを3脚に固定して
一部始終を撮影しました。オプショナルツアーでの挙式ということで宗教的縛りは緩く、撮影禁止場所は有りませんでした。
その上で、挙式や、その後に訪れた市庁舎には常にプロのカメラマンが付いて、最早古語となった所謂“映(ば)えスポット”で記念写真を撮影もしました。
日本で神道式で挙式を行った1週間以内に行った
完璧な記念用のキリスト教式ウエディング
何ともほのぼのした話
何とも節操のない話かな
こんな事してよいのかという思いが頭に過ぎらなかったかと言えば否定できませんが…能天気に吾妹との新婚の時間を長々と楽しみ尽くすという感じでした。
あ~楽しかった(笑)
現在はクラブメッドさんは2000年頃に撤退された様です。それでもヌメア市庁舎でのウエディングのツアーという企画は今でも健在の様です。
つづく
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?