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父親の思い出 その2 馴染みになれ ~当たり前過ぎて意識しなくなっていること

【注意】 以下鼻につく記述があります。

 私の父は、外資系の製造業の会社の秘書を長年務めました。その会社の本社が東京の大手町にありました。その関係で、母と弟と銀座のソニービルで時間調整して、父の待つ築地の大衆鮨屋の江戸銀の新館で待ち合わせて、食事をさせてもらっていました。隣の別館の店舗内には生け簀(す)が有って、そこから魚をあげるというアトラクションをしていた場所が子供ながらに興味有りました。しかし、父の定位置が有って、何時も新館 のカウンター席の一番奥に陣取って、私達を待っていました。今思えば、接待も常にその店を使っていたようです。
 私はとさかが大好きで、何時もカウンタに大盛りで出してもらっていました。お鮨は、子供なので遠慮なく定番の大トロ、ウニ、イクラを頼んでいました。高度経済成長期が終わっても何も変わらなかったので、矢張り製造業で特に基幹産業は凄いと子供ながら感心していました。

 今はその別館も新館もを含めた多くの支店は無くなり、本店のみが残っています。

 帰りは東急ホテルのラウンジでピーチメルバを食べて帰るのが好きでした。
 そして東京無線のタクシーで帰宅するというパターンでした。

 父親からのメッセージは、接待するなら店、タクシーを固定して馴染みになれということだったのだと思います。

 実際私が役員になった時は、これを実践しました。

蛇足
 日産ショールームや三愛経由でのソニービルの時間調整で、ソニーという会社と専売公社(現JT)のサービスや商品に対するリテラシーが鍛えられました。

超蛇足
 アメ車のグランドマーキュリーで自宅から食事に行った時に車の中に居る私を近所の友達に見られてしました。それからずっと
 「お坊ちゃま」
といじられました。それに懲りて父に電車で集合、タクシーでの帰宅にしてもらいました。



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