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シールが嫌いだったあの頃

私は幼い頃からシールが嫌いだった。

1番大きな理由として、シールは一度貼り付けると剥がせなくなること。これはシールの1番大きな特性だと思う。

貼ったら剥がすのが難しくなるものをなぜ無計画に貼り付けられるのか。今はよくても、そのシールを剥がしたくなることがあるのではないだろうか。
幼心に大人びていたため将来的なことを考えていたし、その絶対的な己の思考の自信により、シールをベタベタ貼る行為が低俗に思えた。

そしてシールをベタベタ貼るという行為がダサいと思っていた。子どもは机やイス、ランドセルなどに付けるのだが、ベタベタ無計画に貼り付けて、規則性も秩序もないデザイン性もないセンスもない貼り方が嫌いだった。
子どものセンスなんてたかが知れてるのを知っているからこそ自分はシールをうまく貼れないと思ったし、無秩序なシールの群体がキモイと思っていた。

大人になった今、シールのみならずステッカーと呼ぶようになった。もちろんステッカーも要するにシールと同じようなものだが、自身が大人になった分、あの頃よりもシールやステッカーの魅力が分かるようになった気がする。

大学内でノートパソコンにステッカーを貼っている人がカッコよく思えた。
私は大人になっているし、ステッカーを貼る人も大人になっているから貼り方や貼ってあるステッカーもそれは良く見えるだろうとは思う。

自分も何かノートパソコンに貼りたいと思ったが、ステッカーなんて持っていなかったため野菜ジュースのラベルシールをノートパソコンに貼り出した。ラベルシールは貼って剥がせるので気兼ねなく貼れた。飲んだらペタっと貼っていたので、自分がどれだけ飲んだかの記録になった。

色々あるんだなぁと感心した

学友にこそ何も言われなかったが、家族からは奇妙な目で見られた(ただ、私らしいと言われた)

最近だとゲーム作品に関するステッカーなどがたくさん出ていて、つい欲しくなってしまう。
ゲーム内で使われたデザインステッカーをペタペタ貼りたいと思う。好きなものを貼るという行為に満足したい。

しかし貼る場所がない。ステッカーはどこに貼るのか。
よく見かけるのはスマホやノートパソコン、スーツケースだと思う。
家電製品に貼っても良いのかも知れないが、相変わらずごちゃごちゃしたくないので貼りたくないのだ。自分の目に見える生活範囲にごちゃごちゃしたものをできるだけ置きたくない。

素敵なシールとステッカーだけが溜まっていく。いつか使いたいけど使ったら戻せないもどかしさ。
いつか貼れる日は来るのだろうか。

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