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「やらない」をやってみる。限られた時間の使い方を180度改めて気づいたこと

こんにちは。名古屋でライター・編集・企画をしているイトウユキコです。
先日はこれまでの転職の七転八倒エピソードを公開したところ、たくさんの方に読んでいただき、ありがとうございます。

この記事の「主体的に巻き込まれる」でも書いたように、この1年ほど新しいプロジェクトにチャレンジしたり、人と出会う場所に行ったり、外に出る活動を積極的にしてきました。

その結果、気がついたのは時には「やらない」勇気を持つことの大切さ。
今回は「やらない」ことを選んで何を目指していくかについて綴っていきたいと思います。

このnoteではこれからフリーランスとして独立を目指すパラレル(複業)ワーカーの私が経験したことや考えたこと、実践していることを綴っています。
体当たりしながら自分らしい働き方を模索していく体験記になっているので、興味のある方は読んでいただけるとうれしいです。

この1年の具体的な活動と変化

顔が見える関係性を築いた結果・・・

主な変化はこんな感じ。

  • WEBメディアの編集

  • 取材・インタビュー記事への特化

  • イベントの企画コーディネート

  • 地域プロジェクトに参加

  • イベントの司会・ゲストスピーカー

  • うつわのオンラインショップ(プレオープン)

細々と続けていた「クラウドソーシングの継続案件(無記名記事)をこなす」ところから、リアルな場でお会いした方とのプロジェクト(仕事・ボランティア問わず)に全振りすると決めて動いてきたこの1年。

特に、まち歩きイベントの企画とWEBメディアの編集に関わることになり、視野を広くして引き出しを増やさなくては!といろいろなイベントに出かけるようになった。

自分の住む街の歴史や文化を知るのはとても楽しい。
新たに知る事柄がどんどん広がっていき、ときに「あれはこういうことだったのか!」と点が線になる瞬間に世界への解像度が上がっていく。

発端は仕事のためとはいえ、学ぶことの楽しさを改めて肌で感じている毎日だ。

同時に「うつわのお店をやる」という目標を実現するため、うつわのイベントに足を運んで作家さんとお会いしたり、お取り扱いのお願いをしたり、展示やお店を見に行ったりと、こちらも精力的に動いていた。

自分で決めた枠を外す

単にインプットというだけではなく、せっかくなら「自分はこの程度が限界」という枠を外してみたいなと思った。

自分にとっての「この程度」とは体力や時間の限度、そして自分で無意識に「自分らしい」と決めている行動の範囲の両方について。

この1年、よく知人・友人には「アクティブだね」「フットワーク軽いね!」と言われてきたが、本来の自分はフットワークは軽いけれど体力がある方ではないし、どちらかというとお布団と仲良くしていたい。

元々一人旅をしていてどこでも一人で行くけれど、人との接点が生まれることは少なかった。
この1年間は出かけた先で会った方とお話ししたり、吸収しようという目的を持って動いているので、同じ外出でも意識的にはかなり違っていた。

興味のあることは多いけれど、なんとなく自分で「自分らしいこと」「得意なこと」の範疇は決めてしまっているように思う。
それも居心地が良いけれど、もしかしたら無意識な部分に隠れている「意外と好きなこと」を見逃していないだろうか?

せっかく外に出ようと決めたのだから、居心地のいい得意なことを抜け出すチャンスにもしよう、というのがこの1年の裏テーマ。

例えば、異業種交流会のような場所で初対面の人とお話しするとか、人前に出て話すとか、それまで縁遠かった場面もなるべく避けないようにした。
結果(それらのシーンが得意になったとは言い切れないが)無意識にあった「自分にはできないだろうな」という枠がまあまあ取れてきたように思う。

自分でも意外だったのはボランティアでやったイベントの進行管理が楽しかったこと。
中長期のスケジュールとゴールを定めて、タスクを落とし込んで計画を立てていくのが好きなことに気づいた。

今年度は新たに進行管理のお仕事をいただいたけれど、この気づきのおかげであまり身構えずに取り組めている。

仕事以外でもフットサルをやってみたり、人生初のテント泊をしたり、奈良まで運転してみたり、「とりあえずやってみる」のハードルはだいぶ下がってきた。(誘ってくれるみなさんのおかげなのでありがたい)

あと、時間的にも最大限使えるようにしようと思い、体力が無い&ロングスリーパーなりにどこまで動けるか試してみたかった。

全力で自分で決めたことに向かうのは楽しいけれど、ずっと続けるのはよほどエネルギッシュな人でないと普通に疲れることも体感できた。
自分にとって「居心地がいい休みのペース」を設定し直すことができたのはよかったと思う。

「やらない」選択をする勇気

1年間、外向きにエネルギーを向けていたので、当然ながら家で過ごす時間が少なくなった。
そして、外に行くことは「時間」「お金」「体力」のリソースがかなり割かれるので、意識的に動き回ることには期限を設けようと考えていた。

人に会う」「インプットする」「自分の枠を外す」をできる限りやってみた結果、新しい仕事の機会や出会いに恵まれたことは本当に運がよかったと思う。

それと同時に「自分のキャパシティの限界」に改めて目を向けることが、これからの時間の使い方を考える上で必要だと気づくことができた。

機会損失をこわがらずに

さまざまな機会をいただいたからこそ「機会損失したくない」と思うことも多い。

やってみたら、何らかの出会いや気づき、楽しい時間があることは経験からわかっているからだ。

仮にやってみたことが「やらなくてもよかった」と思うような結果だったとしても、マイナスだとは考えていない。
これは自分との相性がよくないことなんだなとか、今は必要としていないんだな、という気づき(データ)を得られるから。

コスパやタイパという観点では効率が悪いことももちろんあるが、実体験として見聞きして判断することも大切だと思う。

自分のキャパシティに少し自信がついたからこそ諦めたくない気持ちもあるし、不安を補うために体験や知識をインプットしたいという気持ちもある。

それはもはや「楽しみながらより良くする」というよりは、やや強迫観念めいてもいて、あまり健全な感情ではないのかもしれない。

しかしながら、山羊座は頼まれると自分の持てる時間や力をホイホイ使ってしまうタイプ(意訳)としいたけ占いに指摘されていて、なかなか当たっているなと思う。

自分の大事な時間をどこに使っていくかについては、今後さらにしっかり考えたい。

いろいろなことに首を突っ込んでいると「何を目指しているのか」と思われるかもしれないが、見据えている目標は変わっていない。

「うつわのお店を作って成り立たせること」
「ライター(編集・企画)として生活していくこと」
「それらを両輪として、ものづくり・地域の魅力を伝えていくこと」

そのためにまだまだ足りないことを補い、知らないことをもっと知っていきたいという欲求が強い。

ただ、そもそもの目標設定が「二足の草鞋」なので、それぞれに注力できる時間は少なくなることは目に見えている。
インプットだけではどこまでいっても目標は絵に描いた餅のままだ。

やるべきことに集中するために

いくら勉強を重ねても、手を動かさなければノウハウコレクターで留まってしまう。

この記事でも書いたように、環境を変えるだけではなくて、作っていくことが必要で、リソースを割くところを集中して、勇気をもってアウトプットしなければいけない。

だから、いまは「何かチャンスがあるかも」という気持ちだけで動くのは控えて、どこに力を注いでいくのかを見直している最中だ。

短期的には無理できても長期的には絶対に続かない。
だから、無理なく続けられるように適切に休みながら健康と時間という資本を大切に使っていきたい。(同時にお金を増やすことも考える)

長く続けられる形を作るために、はやる気持ちをコントロールしながら、ときには「やらない」ことも決めていくこと。
これもまた、私にとってはなかなか勇気のいることではある。

いまは時間を最大限に活かせるように、フリーランス1本で集中できるように動き始めた。
そして生まれた時間を、もっとうつわのお店づくりに注ぎ込めるように少しずつスライドしている。

本当は今年の春に始める予定だった日本茶の資格の勉強も1年後回しにし、かなり気になっていた勉強会もぎりぎりまで迷ってやめた。

それらをやらなかったことで得られないこともたくさんあるだろうとは思う。
でも、目の前の目標に注力することでしか手に入らない未来もきっとあると信じて、いまは自分の環境をつくることに集中したい。

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