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変化を「指摘」されてダルいか褒められて嬉しいか

いつもと少し系統の違う服を着て出勤した。何のきっかけも意味もないが、気分で髪を切った。

こういう時に、いつもと違うことを「指摘」されて嬉しいと思うか、反応に困ってその後今まで通りに戻るか。

私は圧倒的に後者だ。
「似合ってるね」に対して「ありがとうございます」と返せればまだいい。しかし「髪切った?」「いつもと違うね」レベルの発言には「ええ、まぁ」としか答えられない。
一方で、頑張って塗ったネイルを「おしゃれ」などと言われれば、それは嬉しいと感じるだろう。

そういえば昔、近所の人や先生に褒められた行為をその後やらなくなったことがある。
幼稚園の時に友人に「髪切った?」と聞いて「笑わないで」と返されたこともある。そんなつもりはなかったのに。

伝えたい想いは溢れているのに
伝え方がわからなくて
今でも言葉を探しているんだ

♪King Gnu / Teenager Forever

なぜそうなるのか。思いつくのは次の3つだ。

1. 意識的に気合いを入れて変化したか

特に大きな意味もない変化を大袈裟に取り上げられたら、それは面倒だろう。
髪型などを変えていって相手に気づかれなくて拗ねるのは、少なからず気持ちの入った変化だからではないか。本当にそんな人がいるのか知らないが。

私の幼稚園時代の出来事は、特に意識していなかった髪型を、私の発言によってわざわざ意識させてしまったがための返答だったのかも知れない。

2. 返答に困らないか

Yes/Noで答えるクローズドクエスチョンであっても、相手はそれ以上の返答を求めている場合がある。
そのような場面でYes/No以外の回答を思いつかないと、聞かれたこちら側が困る。

また、4月頃は、周囲から「(新しい環境に)もう慣れた?」と聞かれてまくれて困り果てる人もいるだろう。私は返答のレパートリーを同期から盗んだものだ。
その質問の先に会話を展開する発想がないなら、最初から無理して話しかけなくていい。
書くまでもないが、答えたくない質問なら尚更である。

3. 自分が受ける「指摘」が他者の利害に抵触するか

自分が褒められることは、自分に対する第三者の印象にも少なからず影響する。それが自分にとって不利益な方向であれば、当然嬉しくない。
さらに、自分が褒められることがその第三者の自己評価の低下に繋がる場合も、ある種の罪悪感を覚えてしまう。それが仮に自分の杞憂に過ぎなかったとしてもだ。

だって知っている 言葉はほんのちょっとで
感じれることは それよりも多くて

♪ポルノグラフィティ / パレット

コミュニケーションなんてそんなもんか。
無意識でも、直接的でなくても、他者の感情を左右する。
気を遣っているつもりでも逆効果であったり、場面によっては「生意気だ」と言われて「年齢不相応なほどに大人かつ上から認知されるレベルのことを成し遂げられた」と喜ぶ人もいたりするかもしれない(私である)。

この3つ、誰か確立した議論にしてくれないかな。
そう考えたところで、ポール・グライスの協調の原理を思い出し、さらに自分が日本語教育能力検定の勉強内容をすっかり忘れていることに気がついた。

実は今度、初めてボランティアベースではなく日本語を教えるのだ。今まではオンラインのみで、教案もきちんと作ったことがない。大学1年生がアルバイトで塾講師をやるような感覚だ。時給換算すると実際そのくらいである。
その話はまた後日。

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