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(続)能面はほぼほぼ100%二重まぶたを考察。仮説はあくまで仮説です。

こんにちは。
前回、能面(女面)は、ほぼほぼ100%二重まぶたというお話をさせていただきました。
今回は、その続きとして、女面が二重まぶたな理由を考察してみたいと思います。


仮説① 能面は縄文顔かもしれない説。

日本人の顔のルーツは、縄文顔と弥生顔!?

日本人の顔のルーツとしては、ざっくり大きく二つに分けられます。
それは、縄文顔と弥生顔!

およそ二万年前、元々日本に先にいたのは縄文人。
縄文人は、縦横同じくらいの長さの四角い顔で、彫りの深い濃い顔が特徴。
太い眉、くっきりとした二重まぶた、鼻や口のパーツも大きめ。

なんと、日本人のルーツとしては、先に二重の濃い顔の縄文人がいたわけです。

そこへ2800年ほど前に大陸からやってきたのが、弥生人。
弥生人は面長で平坦な薄い顔立ちが特徴。
一重まぶたで、鼻や口のパーツも小さく薄め。

私達がよく日本人の特徴として思っているのはこっちですよね。
現代日本人の遺伝的構成要素の多くはこちらの弥生人に由来するようです。

弥生人はなぜ一重?

では、なぜ大陸からやってきた弥生人は一重だったのでしょう?

北方のアジア人は、冬には零下50度にも寒い場所で暮らすので、眼球を寒さから守るために、目が小さくなり、まぶたにも皮下脂肪がたまって一重に
なったんですって。

なるほど。
アフリカで生まれたホモサピエンスは世界中に拡散し移り住んでいったわけですが、アジアの寒冷気候に適応して顔の特徴が変化していった、ってことみたい。
理由があって、大陸北方のアジア人は一重の小さい目になっていったんですね。

まとめ

まぶたに関していえば、能面は縄文顔の要素である二重まぶたを取り入れた、ということになるのかもしれません。


仮説② 室町時代には二重が流行だった説。

平安美人と室町美人

「能」は室町時代に世阿弥によって大成され、その頃に「能面」も理想の完成形が作られたと言われています。
つまり、能面は室町時代の美人顔、「室町美人」ということになります。

「昔の日本美人」=「切れ長の一重まぶた」という時には、「平安美人」を指して言っていることが多いですよね。

平安時代の貴族社会から、室町時代の武家社会へと変遷する中で、もしかしたら美人顔の定義も変わっていったのかもしれませんね。
優雅な貴族文化では感情を表さないことがよしとされましたが、武家社会では目に強さのある二重まぶたが流行していた可能性も!?

「写し」が作られるので、二重だらけになる

能面には「写しを作る」という考え方があります。
室町時代などに作られた面を「本面」として、後の時代ではそれを模倣してつくっていきます。

なので、「本面」が二重であれば、それを模してつくられた面はすべて二重につくられていきます。
仮にたまたま室町時代に二重が流行っていたという理由だったとしても、本面が二重であることで能面全体の二重率が高まるとは言えるでしょう。

まとめ

室町時代の流行り顔が二重まぶただったのかもしれない。あくまで仮説。
それが単なる流行りに過ぎなくても、写しをつくっていくことで、能面の二重率は高まる。

仮説③ 切れ長の目が一重まぶたとは限らない説。

二重まぶたの線が省略された可能性

横に一本細い線を引いて描いた目と、小さな「く」の字型に描かれた鼻。
『源氏物語絵巻』などがまさにこれです。
私達の思う「平安美人」ってこのイメージですよね。

これは「引目鉤鼻(ひきめかぎばな)」と呼ばれ、当時の美人の特徴と言われています。

引目鉤鼻(ひきめかぎばな)は、平安時代、鎌倉時代の大和絵、風俗画におけるヒトの顔の眼および鼻の類型的、様式的な描写技法である。日本独特の技法であるとされる。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

眼球もないし、まつげも描かれていないし、上まぶたと下まぶたも併せて
一本の線。
鼻も、鼻筋も小鼻も鼻の穴もなく、小さなくの字型に集約されています。
つまり、すべての要素がものすごく簡略化されている。

この「引目鉤鼻」をもってして、後世の人たちは「一重まぶた」といっているわけです。
しかし、この「引目」って絶対に一重まぶただとは言い切れないのではないでしょうか。

もしかしたら仮に二重まぶたであったとしても、それも省略されていただけ、という可能性だってあると思いませんか?


そもそも一重か二重かに興味がない!?

そもそも平安時代にしろ室町時代にしろ、美人の基準が「一重まぶた」だとは、当時の文献にはどこにも書いてありません。
というか、一重にしろ二重にしろ、まぶたのことについてはほとんど記述がないようです。

当時の人たちは、そもそもまぶたが一重か二重かなんてことは問題ではなく、たいして興味もなかったのかもしれません。

まとめ

一重だろうが、二重だろうが、奥二重だろうが、全部省略。
単に様式的描写として一本の線として描かれていた可能性もアリ。

仮説④ 表情変化のバリエーション説。

女面の種類は豊富なのに、なぜ?

とはいえ、日本人の二重まぶた率を考えると、能面がほぼほぼ100%二重というのは、かなりのインパクトのある数字。

女面は何種類もあって、様々な年齢、様々な性格のバリエーションが作られている。だったら、二重まぶたばかりではなく、一重や奥二重の面があってもいいんじゃなかろうか。
にもかかわらず、女面のまぶたはほぼほぼ100%二重。
ということは、やっぱりそこにはなにかしらの理由が存在する?

一本の溝がもたらす表情変化。

色々な仮説を立てて考察してきましたが、結局のところはっきりとした理由はわかりません。

しかし、まぶたの上に刻まれた一本の細い溝。
この細い溝の山と谷は確実に一重の時にはない陰影を作り出す。この陰影が、女面の特徴である表情変化の技巧の一つであるのかもしれません。

能面の二重まぶたは、決して現代の流行りのようなパッチリとした彫りの深いものではありません。
それこそ二重の印象がないほど、浅く細く入れられています。
しかし、能面師たちは、その二重の溝を確かに存在させているのです。
一重のままだったら生じえない表情の変化を、その一筋の溝が生み出しているのは間違いありません。

まとめ

結局のところ、真相は謎のベールに包まれたままですが、なんだかんだで女面の表情変化のための技巧が濃厚説。

みなさんも色々な角度から物事を見て、歴史や文化や人間の営みに思いを馳せながら、楽しんでみてくださいね。



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