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忘れがたきうどん店(10) 五島軒 新千歳空港店



”うどんタクシー”チャンネル

「うどんタクシー」をご存じだろうか。
香川県仲多度郡琴平町に本拠を置くタクシー会社が手掛ける観光に特化したタクシー事業である。

90分~180分貸し切り制で、香川県内各所のうどん店に連れていってもらえる。県内の宿泊先や空港、駅、フェリーターミナルへの送迎もOK。道中ドライバーさんと交わす雑談も魅力のひとつ。ドライバーさんは厳しい社内試験に合格して、さらに自分でも手打ちうどんを作れるようになってからうどんタクシーを任されるという。もちろんお値段はそれなりにかかるのでおひとりさまにはややハードルが高いが、数名グループによる自家用車を使わないうどん店巡りに適した交通機関である。

会社ではうどんタクシーのYou Tubeチャンネルを作り、定期的に配信している。ゆるくてほのぼのとしていて、しかし押さえるべきところは逃さないふんいきが好ましく、よく拝見している。バックナンバーを眺めていたら、2022年夏に北海道まで遠征してうどん店巡りを行う企画が行われていたと発見した。琴平から京都府の舞鶴港までうどんタクシー用の黄色い車を運転して、さらに小樽行きの新日本海フェリーに乗船したという。凄い。その中の五島軒新千歳空港店を取材した動画には驚かされた。

そういえば北海道だった

五島軒は函館市にある洋食レストランである。1879年、箱館戦争の記憶がまだ色濃く残る時代に開業した。開国五港(函館、新潟、横浜、兵庫、長崎)のひとつで、その時代から西洋人の需要も見込まれていたのだろう。「五島軒」の名は長崎県五島列島福江出身の初代料理長、五島英吉にちなむ。五島英吉は旧名「宗平次」。長崎奉行所で通訳を務めていたが戊辰戦争に駆り出されて箱館へ。幕府軍が敗れるとハリトリス正教会に避難して、そこで西洋料理を学び、心機一転を期して改名。1879年に初代社長の若山惣太郎に出会った。

従って石川啄木が函館で暮らしていた時(1907年)には既に30年近い実績を持つ洋食店だったはずだが、啄木自身は全く縁がなかっただろう。啄木が函館を離れる契機となった1907年8月の大火で五島軒も被災して、それを機に末広町の現在地に移転した。

1990年代から2000年代にかけてたびたび函館を訪れていた私にとって、五島軒といえば函館駅前の北洋ビル7階にあったレストラン「ブルボン亭」の印象が強い。列車の待ち時間などによく訪れた。幼い頃、都内百貨店の大食堂で広々とした窓から外を眺めながらライスカレーを食べさせてもらえることが何よりも楽しみだった私。エレベーターに乗って町を一望できるレストランに入りカレーをいただく経験は我が懐かしの記憶にも直結して、好ましいひとときであった。しかしこの駅前店はいつのまにか姿を消した。末広町の本店は一度訪れたきりである。

五島軒ではレトルトカレーを販売している。家の近所のスーパーマーケットでも常備されていて、急にカレーを食べたくなった際に重宝している。

函館を中心とする道南地方は確かに北海道ではあるが、他地域の「ザ・北海道」とは微妙に異なるふんいきが感じられる。江戸時代から徳川幕府の支配が及ぶ「和人地」が定められていたためか、文化的には北東北地方に近い。私にとって五島軒は「函館のレストラン」という認識は強くとも「北海道のレストラン」という認識はほぼなかった。それだけに、新千歳空港に出店しているという情報には一瞬虚をつかれる思いがした。

函館末広町の本店や、ブルボン亭の代わりとして五稜郭タワーに新たに開設した支店ではライスのみだが、新千歳空港店ではうどんも出しているという。これはぜひ行って確かめてみなければ!ライラック見物の帰りは五島軒のカレーうどんで締めくくる計画を立てた。

五島軒を探せ

五島軒は新千歳空港ターミナルビル3階にある。もちろん幾度も行っているビルだが、近年ご無沙汰していることもあり、場所探しに意外と手間取った。3階に上って案内図を見てもなかなか見つからない。Googleマップはビルの中ではほとんど役立たない。飛行機のチェックイン締め切り時間までそう余裕があるとも言えない時間帯なので少々焦る。ようやく「五島軒」の名を発見しても方角がすぐに把握できない。ますます焦る。

レストランゾーンの南西側、国際線ターミナルとつなぐ通路近くにあったが、新千歳空港の地下駅から国内線搭乗手続き施設に向かう動線から外れているとたちまち難易度が上がる。

灯りを見つけて心底安堵した

ローストビーフカレーうどん

空港ビル内のメインルートから外れているせいか、付近を歩く人の姿も少なく、入店するとすぐに案内された。メニューショーケースにもカレーうどんが堂々と展示されている。カツカレーには上富良野産の豚肉を用いているという。

運転を想定しなくてよい環境ゆえ、ビールやワインもある

前述のうどんタクシーチャンネルのレポートではうどんメニューとして「伝統の牛スープ」と「トマト風鶏スープ」の2種が紹介されていたが、訪れた日には後者の代わりに上富良野産ポークを用いた「カツカレーうどん」が登場していた。いくら大好物でも、これはさすがにヘビーすぎる。上富良野の豚肉には後ろ髪引かれるものがあったが、うどんタクシーのドライバーさんと同じくローストビーフカレーうどんを注文した。

壁面には五島軒の歴史紹介パネルが飾られている

オーダーから7~8分ほどで到着。円錐形の白い丼にローストビーフとトビウオの練り物が載せられている。トビウオも五島列島の名産品。ミニライスつき。これはおいしいはず!

ローストビーフカレーうどん

黒いエプロンをつけて、いざわが口内へ。
麺は細く円筒形で、讃岐うどんのような「エッジ」は全くない。ツルリとした滑らかな食感。しかしふにゃふにゃではなく、コシはしっかりとある。動画の店長インタビューにもある通り、五島うどんは手延べ式で、椿油を生地に練り込んでコシを出し、伸びすぎを防いでいる。

五島うどんの麺

カレーうどんといえばしょう油ベースのだしにカレールーを加える和風サラサラタイプがほとんどだが、ここは五島軒。もちろんライスにかけるカレーと同じで、とろみのある洋風味。ブイヨンベースでしっかりコクを出している。

ローストビーフは老舗洋食店らしく繊細な味わい。トビウオと不思議な和洋折衷・山海折衷を織りなしている。店長さんのアイデアに敬意を表したい。すばらしくおいしかった、ごちそうさまでした。

そろそろチェックインに行かなくては。舌を麻痺させるほどにすさまじい甘さを誇る石屋製菓の「白い恋人」チョコレートドリンク缶を買って飲み、ライラック見物の旅をしめくくった。

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