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勝利の女神:NIKKE 稗史:或る異端者たちの愛(21)

 この世のすべては橋です。
……微笑みも、溜息も、まなざしも。
 なぜなら、この世のすべては架橋されること、向こう岸に至ることを願っているのですから。
 つまり、他の人びとと理解し合うことを熱望しているからです……

イヴォ・アンドリッチ

 コアから流れ出る膨大なエネルギーを受けて、ナイチンゲールが目を覚ます。一同はその目に注目したが、別段赫くはなかった。
「大丈夫?侵食とかされてない?」
 イスカンダルは心配そうに尋ねたが、ナイチンゲールは首を横に振った。
「今、NIMPHの簡易チェック中だが侵食は確認出来ないな」
 立ち上がって手足を動かしたり体操をしてみるが、装甲があるのに違和感なく動かせる。とんでもないボディだ。
 ナイチンゲールは目を瞑って黙考する。
(さて、このカラダをどうするかだ)
 短期的には、CEO二人の前で大々的に能力を見せつけてやる方が後々話が早くなるだろう。しかし、一つだけ懸念があった。自分の能力が先ほどの見立て通りだった場合、大きな弱点を抱えていることになる。
 また、イスカンダルをダシにする場合には更にその弱点が彼の致命傷になりかねない。
(無理をする必要はないよね?アマリリス……)
 ナイチンゲールは決断した。すなわち……

「さて、ぼちぼちお開きにするけどその前にコレを見て」
 ナイチンゲールは無重力によって浮かび上がる。
「そして、これらをこうする!」
 自発的に外された両手脚が地面にスルスルと降り立った。イングリッドは訝しむ
「コレは一体何のマネだ?」
「お土産。あたしはエリシオン・ミシリス・テトラ・中央政府に対して手脚のパーツを一つずつ譲渡して、以て身柄の保全を求めます」
「つまり、これは自由に研究素材にしていいから保護して欲しいのね?任せなさい」
 シュエンはこういう時は目敏くて助かる。早速シン達に持たせていた。
「これ結構重いわね」
 クエンシーが右脚を持つが、中々の重量のようだ。
 イングリッドにしてみれば、独占することもなく破棄したヘレティックのデータを再び暴露されるに等しいので嫌そうな顔をしている。全勢力に均等に配慮されているので文句を付け難いのが尚更腹立たしいのだ。
 ナイチンゲールは超重力の壁を解き放った。シュエンは会社に戻ることにしてリムジンへと向かうが、最後にイングリッドにこう言った。
「今から帰るから、メティスを元に戻してくれない?」
 イングリッドは無言でハンドサインをすると、メイデンの声が聞こえた気がした。その直後に固まっていたニケ達が活動を再開した。

 いろんな部署のニケ達が雁首並べて立ち往生していたところを急に叩き起こされた格好である。イスカンダルは説明役に徹しているが、皆がやいのやいの言っているのでアワアワしている。
 右脚は既にメティスのマクスウェルに渡されたが、既に興味津々である。
「もしもし、エーテル!ちょっと本社まで来といて!ヘレティックの右脚がサンプルで来たんだって!マジでヤバいから!M.M.R.に持ってこい?そっちには別のパーツがそのうち来るし今はこっちが最速だよ!?うんうん、それじゃまた!」
 頬擦りまでして余程嬉しいようだ。
「引きこもりもこういうのがあれば全然構わないよ。今日からよろしくね、私のベビー❤️」

「いやはや、とんでもないことになったわねぇ」
 各所で軽いパニックが起きつつあったのを、ナイチンゲールやリアルカインドネスの三人は遠巻きに見ていた。
「あなたもつくづく命を捨てるのが好きねぇ」
「ギルティ、好きなもののためにこそ命はかけられるとあたしは思ってるんだ」
「好きな子とおんなじカラダを使うのも?」
「純愛だろ?クエンシー。誰にも使わせないようにしてるんだ」
 シンはアマリリスの首を見る。穏やかな寝顔ではあるが、血の気が無さすぎるし、それになんだかひんやりとした冷気が漂う。触ると無機物とかそういうレベルを超えた冷たさであった。
「シン?」
 ナイチンゲールがウインクしている。何らかの意図があるとだけ理解することにして、ナイチンゲールの旧ボディの膝の上にアマリリスを載せ直した。

「あなたはこれから*%◻︎どうするの〜?」
「秘密。とりあえず更生館には戻らないね」
「じゃあ、ここでお別れねぇ」
「私達ももうすぐ出所する%+#のよ〜」
「私は出る気はないんだけどね」
 シン達も面談を順次進めていって、早ければあと数日で更生館を後にするところまで来ていた。
「この一年近く、いろんなことがあった。皆がいてくれたから何も分からなくても面白く生きることが出来たんだよ。ありがとう、お姉ちゃんたち……なんてな?」
 茶目っ気たっぷりにナイチンゲールが別れの挨拶をすると、シン達は手脚がない彼女にも容赦なくスキンシップしてやった。


 各々の勢力ーートライアングルのユルハはテトラ分、プリバティが中央政府分を持ち帰ることになったーーに奇跡の一端を配布し終える。
 皆が帰り支度を終えた頃だった。
「すまない。イングリッドCEOとイスカンダルはこっちへ来てくれないか?まだ手脚が再生できないから」
「やれやれ。この期に及んでまだ何かあるのか?」
「どうしたの?」
「口に耳を近づけてくれよ」
 二人は顔を近づけて耳を澄ます。重力壁が展開され、ナイチンゲールが囁く。
「まだアマリリスは死なせてない。あたしは彼女を救うためアンチェインドを手に入れるんだ」
 流石に二人は開いた口が塞がらない様子だった。

 「研究員から聞き齧ったようだがアンチェインド開発成功はシュエンの飛ばし記事だぞ?実際、持っていた指揮官に譲るようねだってたからな?」
 イングリッドはこの件に関して目撃していたのである。
「なんだ、アイツ持ってなかったのか!?」
「それよりアマリリスさん生きてるってこと!?大丈夫?」
 イスカンダルの懸念はもっともだ。ナイチンゲールはことの仔細を説明した。
「あたしはあの子の頭を確保した時、最初は殺すつもりでいた」
「アマリリスのもったいないお化けでも出たか?」
「まぁそんなとこ。脳を重力で囲んで潰す寸前に閃いたんだ。アンチェインド使えばいいんじゃないかって」
「確かになんとか治療出来そうだが、それまでどうするんだ?」
「コールドスリープさせてる」
「させたいじゃなくてさせてんの!?どうやって?」
「脳のそばに本当に小さなマイクロブラックホール作っておいた。材料は汚染されたナノマシン」
 人智を超越しているのでサッパリわからないが、それで熱を吸い取ってアマリリスの脳を冷やしているらしい。脳みそ吸われる方が早いのでは?と彼は不安になる。
「でもそれだと栄養が足りないだろう?早晩脳細胞が壊れるぞ?」
「なので簡易的なやつでいいんでコールドスリープ装置作ってちょうだい。頭だけ入ればいいから。重力壁で囲んで悪さしたくても出来ないようにしとくからさぁ」
 溜め息ののち、イングリッドは答えた。
「専用の容器を改造して酸素やエネルギーだけ与えておけるものを早急に用意させよう」
「ありがとうございます!」
「何故私にこんなことを伝える?黙っていたほうが安全だろうに」
 イングリッドの最後の疑問に、ナイチンゲールは丁寧に答えた。
「あなたがアマリリスの親代わりのように振る舞っていたということを知っているからですよ。シュエンじゃこうはいかないし、頼むだけ無駄だろうから」
 そしてもうひとつ付け加えた。
「アマリリスのことは他言無用に願いますが……彼女のお目付け役ふたりには言っても構いません。今まで彼女を気にかけて下さってありがとうございました」
 宙を浮きながらも斜め四十五度をキッチリキープするお辞儀を披露するナイチンゲールに、イングリッドも頭を掻きながら苦笑するしかなかった。

エピローグ
留まる切なさを かき消して

 A.C.P.U.の警官であるキリは視覚に重大な欠陥が存在する。指揮官や例外的な事態を除いて、常にボヤけている視野はポリをしてタオルと見間違える程だ。
 畢竟、彼女は対外的な任務はほぼ出来ず、電話番や書類整理みたいな行政業務ばかりしていた。
「そろそろあの時間ですね」
 部屋にある壁掛け時計は二時を示していたが、彼女は見ない。スマホの時計の方がまだよく見える。
 夜勤は気楽だ。何も事件が無ければただただ静かであるから。休憩時間にはラジオでも聞きながら休める。
 それに深夜にはちょくちょく、変わったニケによる話をラジオなしで聴くことも可能だ。
 そう、シン達以外にも例の時間に例の電波を受け取っていたニケはいたのだ。そして、今日はその最後の放送が垂れ流されていた。

 ヘレティックのボディはやはり凄まじい。喪われた四肢を猛烈な勢いで自己再生し始めている。
 ベンチには、ナイチンゲールが今まで使っていた非戦闘用ボディが首無しの状態で座っている。その横にイスカンダルが腰掛けていた。
「とりあえず、色々済んだね。お嬢?」
「……ああ」

 ナイチンゲールは宙を浮いたまま、やや憮然としていた。
 コイツはいつまで自分の事をお嬢と呼び続けるつもりなのだろうか?彼女の不満はそこだ。
 確かに理解できなくはない。彼の知っているサヨコはいつまでも彼の理想の女性像として記憶にあり続けている。
 だからといって、それを放置しておくのはよろしくないだろう。自分は既にニケであり、姿形も大きく違う。それに子供も産めないので将来の事を考えるならば真っ当な人間を選ぶべきなのだ。
 自分には心に定めた相手がいるという事もハッキリ言っておかねばなるまい。彼女はそう決めた。関係が絶たれる事になっても言わねばならないのだ。

「お嬢をずっと探してたから、これで漸く胸の痞えが取れた。これからはまた一緒にいられるよ」
「……確かにありがたいんだが、結局さ、お前が見ているのはお嬢さまのサヨコだろ?」
 彼は図星を突かれ、目を逸らす。
「今のあたしはナイチンゲールだ。いつまでもサヨコの幻影を重ねられても困る。もう元には戻れないんだ」
「でも……」
「でもじゃない」
「それでも!!」
 彼は声を荒らげ、ナイチンゲールは一瞬ビクッと体を震わせた。彼女の記憶の中にここまで強くものを言う彼は存在していなかった。
「それでも僕は、君を忘れることが出来ないんだよ」

「僕は君が居なくなるまで、ずっと一緒にいられただけで満足していたんだ。そりゃあ、君に彼氏が出来て朝帰りしてたりした時は悔しかったさ」
「寝取られたとでも思ったのか?」
「そうだよ!僕の方がずっと前から君の事を知ってるんだから」
「人の下着でマスかきしてたりしたものなこのムッツリスケベ。風呂場で物色してんのバレてんだよ!」
 イスカンダルは特大のデッドボールを喰らい一瞬口を大きく開けて絶句した。しかし諦めない。
「そうです!悔しくて悔しくてまんじりともしなくてセンズリこいたりとかしてました!なんなら大人になって小銭が貯まったら風俗とか行ってますよ!……でもね、駄目だったんだ。君ほどに人を理解出来ないんだよ」
「……そういうこと言われてあたしがどう感じてるか、言ってみ?」
「しょうがないやつだって思ってるでしょ?」
 ナイチンゲールは赤面する。
「なんで分かるんだよ……」
「普通の人だと顔色が露骨に変わるんだよ。軽蔑に満ちたあの嫌な顔。僕は恐らく人と上手くやっていける能力に乏しいんだ。立ち位置が掴めずにズカズカ入り込んで、結果がそうなるのさ」
 彼は嘆息しつつ話を続ける。
「友達も全然いないし、出来たとしても場所が変われば縁が切れていた。君だけなんだよ、ここまで言い合えるのは……」
「ただの腐れ縁の幼馴染みなだけだと思うんだが?」
「絶対違うよ!多分君も僕と似た何かを持っている。アマリリスが好きなのはそれ込みなんでしょ?」
「……そうだよ。あたしはカワイイものが好きなんだ。あの子もお前もカワイイの範疇なんだ」
「男でも女でも?」
「女の子の方が心が震えるけど、男でも可」
「僕もそう見られてるって事でいいね?」
「……嫌う理由がない。あたしだってあの子と出逢うまでは部隊で一緒になったニケと楽しんでたし」
 ふたりは顔を見合わせると苦笑した。
「僕は……もう少し早く君に好きだと言っていれば、また違っていたのかもね」
「あたしの両親に遠慮なんてしてるからだな。記憶が抜け落ちてるから顔も思い出せないけど……」
「今さら遅いだろうけど、僕は君が好きだ……ナイチンゲール」
「ホント今更なんだよ。今のあたしにはアマリリス一択だ。けど、キープ君なら許してやらなくもない」
「やっぱりそうなるかぁ。でも及第点みたいだから、今後に期待だね」
「その代わりアンチェインド探しをサボったらしばくぞ?」
「了解。……ん?なんかおかしいぞ?」
「お前みたいなポメラニアンは首輪しとかないとな」
 どうしてこんな貧相な子犬が気になって仕方がないのだろうな……ナイチンゲールはふふっと笑う。
「最後にさ、お願いがあるんだ……」
「何だよ?」
「お嬢って呼んでもいい?」
「いーやーだ」
「良いって事ね……ありがとう、ナイチンゲールお嬢ZZZ」
 仮眠を少々取っただけで、ずっと活動しっぱなしだったイスカンダルはついに睡魔に敗れて眠りについた。
「オイオイこんなイイとこで寝るかフツー?だからモテないんだぞ、ってもうそんな事はどうでもいいんだな。全くもう」

 このやり取りを聴いていたキリは情緒を破壊され、これ以降の業務で悉くミスを連発してポリ達に逆に心配されてしまったのだった。


 この事件のあと、様々な事があった。全てを書き出すと果てしないので簡潔に記そう。

 エリシオンはこの件でおいては最も損をした。アマリリスに施された超能力発生のメカニズムを、ナイチンゲールの脳スキャンデータからサルベージされた。直ちにリバースエンジニアリングの措置が取られ、いずれは奪われてしまう事だろう。

「本日をもってアマリリスの護衛任務を終了とする。ご苦労だった」
 イングリッドはDとKに対して、無感情に通達した。
「ラジャー」
 任務を完遂出来ず忸怩たる思いがあろうが、Dはそれを表に出さない。ふたりは踵を返して退室する直前、イングリッドに呼び止められた。
「アマリリスは生きている。これは他言無用だ、漏れたら自裁してもらう」
 Dの背中は漆黒のコートに覆われていたが、両肩が僅かに震えていた。Kはやれやれというボディランゲージをしながら戯けて見せた。

 一方のミシリスは、シュエンの見立て通りいい事づくめで終わる……はずであったが、激化する民衆のメティスへの誹謗中傷には辟易していた。また、この時にラプラスの心の不調を見抜けなかった事が文字通り致命的なダメージを与えることになる。

ナイチンゲールとイスカンダルは、中央政府庁舎に赴き、彼女の助命嘆願を願い出た。
 ナイチンゲールは、モルモットの如くデータ取りに協力する旨を申し出たことで、エニックの恩赦を引き出せた。彼女はほとんど能力に関しては言わなかったが、エニックはアーク最強戦力の一角と位置付けたようであり、イスカンダルの副官ニケに据えたのはそのためだ。
 そのイスカンダルはというと、先日の任務達成により昇進と優秀指揮官の受勲を得ると共に、中央政府軍に転属となった。大学未入学かつノンキャリアとしては破格の扱いである。
 これにはバーニンガム副司令官のお墨付きがあった。元々彼の将才に目を付けていたし、半分ヘレティックのナイチンゲールを唯一運用できる彼を囲い込むことで、アンダーソン副司令官との勢力均衡を図れるのだ。

 頭部だけになったアマリリスは、ロイヤルロードにある彼女の生家にいた。なお彼女の老いた両親は会社経営を他人に譲って楽隠居に入っており、別の住まいにいる。
 この家は元々ニケになった彼女に住まわせるつもりであったが、エリシオン側が思考転換対策で決して会わせなかったため実現しなかった。だが、ナイチンゲールが自身の臓器移植先を探す際に出会い、譲る手筈がついていたのに、直後に彼女の指揮官殺しが起こりこれまた延期になっていた。
 首だけではあるが下手に起きている状態で会っていたら思考転換のリスクがあるので、両親は時折見舞いに来ている。子供ができるまで大層苦労したそうなので、苦しむ事なく眠り続ける我が子を見守る事が出来る喜びを噛み締めているのだそうだ。
 そんな家だがナイチンゲールは同居の許可まで得ている上に、今回の措置でイスカンダルまで入居することになった。部屋は腐るほどある豪邸なのでその辺は大丈夫である。

 ロイヤルロードと大衆層のちょうど境のエリアに、かつてサヨコが住んでいた家と元工場がある。工場跡地は既に何処かに売られて、なんらかの箱物にする工事が進められていた。彼女の両親は工事の騒音を嫌って業者から宛てがわれたホテル暮らしをしており、イスカンダルの事前連絡なぞ必要あったのか分からない。

「引っ越すって言っても今の持ち物だけでいいよ」
 ナイチンゲールはこう言ったものの、折角だから家具なんかも持ち込んだ方が良いとイスカンダルは言う。
 彼は母親の病死によって天涯孤独の身の上となったが、サヨコの家に居候させてもらえることはできた。だが、父母の思い出が残る品々をほとんど持ち出せなかったのだ。

 ナイチンゲールは事前に預かっていた鍵で玄関を開ける。家に入ると隅に自分の履いていた靴がいまだに存在していた。
 リビングを見て回るが大した変化はないようだ。台所に上がり込んで冷蔵庫を見てみるが、流石に調味料以外は撤去されていた。仕方なく水を一杯コップに注いで飲みながらぶらついてみる。
 彼女は本棚からアルバムを発見した。家族の事を調べると思考転換のリスクがありそうだが、もう開いたので構わず見て回ることにした。
 あどけない幼児の頃に両親と一緒に撮った家族写真、大学を卒業した時の写真、工場での従業員全員の集合写真……今の自分と全く違うはずなのに自分とわかる女が存在している違和感に吐き気を催した。アルバムを急いで閉じると、その勢いで別の写真が一葉飛び出る。明らかに解像度の荒いそれはイスカンダルの家で撮られた物だった。
「アイツん家、貧乏だったからなぁ」
 粗末ながらも小綺麗な服を着た男の子と、上等な服なのに外で盛大に汚してきた女の子の対比はあまりにも分かり易すぎた。
 その一枚だけ持って行くことにして、ナイチンゲールはアルバムとコップを片付けることなく二階に上がった。

 もと自分の部屋は思いのほか綺麗に整っていた。壁にはアリアのポスターが貼ってあったが、日焼けして薄墨のような肌がやや白くなりすぎてしまっていた。買い直すまでは貼れるので回収していく。サイン色紙とセットだ。
 家具は部屋に合いそうな物だけ置くことにして、必要なものだけ窓から出していく。無重力で浮かせつつ重力を少しずつかけて軽トラに乗せていく。
 衣服はどうしようか。ニケになった今、体型が変わってしまい恐らく着ることは出来ないだろう。だが、アマリリスにはイケるかもしれない。尤も、単純に好みの問題で嫌がられるかもしれない。とりあえず、明らかに古過ぎる物以外は持っていく事にした。
 地上避難時代以前から連綿と使われ続けられた箪笥も持って行く事にした。黴臭い両親のところで終わらせるには惜しい逸品である。
 その中にある下着を見やる。かつて履いていたそれらを嗅いでみたら、人間だった頃のよすがをまた感じられるかもと思った。
「……やっぱそんなに甘くないか」
 ナイチンゲールの鼻腔に広がったのは、ただの防虫剤の匂いだけだった。


                     (了)

 

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