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NIKKE研究各論(17)魂の座

昨日(註 2023/07/09)ちょうどAT-Xで『呪術廻戦』をぶっ通しで見たので、この話題を取り上げよう。テーマはズバリ「中身とボディについて」である。
 ニケの中にはリターやアドミのように少女型のボディでありながら成熟した人格を持った者もいれば、かたやココアのように身も心も幼い者、アリスのように体はほぼ大人のものなのに幼児退行したかのように幼い言動を繰り返したり、ライのように身も心も幼女だが実年齢が19歳(註 ファミ通では10代半ばとぼかしている)というものもいるなど多様である。量産型ニケですら、脳の中身は当然違うので、それぞれのアイデンティティを有している。

(若干意味合いが異なるのだが概ね同じなので)量産型のプロダクト12でもこんなに違う!


 また、マクスウェルは人間だった頃の自分と、ニケである今の自分とではモノの感じ方が全く異なると考えている。ニケの身体が、経験を加味してどのように精神に影響を与えているかを想像するのは容易いことではないが、『呪術廻戦』の2つの台詞から考察してみたい。
 対象の魂を改変できる真人は「肉体に魂が宿るのかな?それとも魂に体が肉付けされているのかな?」と問い「いつだって魂は肉体の先にある」(精神は肉体に囚われず、むしろ肉体を変化させ得る)と回答した。
 一方「肉体は魂であり、魂は肉体なんだよ」(精神と肉体は相互関係にある)と持論を展開するのは羂索である。奇しくも彼は脳みそが本体であり、他人の死体を乗っ取る事で活動する、ニケとの親和性の高いキャラクターである。
リターの場合:彼女の来歴は総論6を一読されたし。リターは幼女の姿をしているが、喋り方や思想は老婆そのものである。適性年齢があるのと、長い年月を生きてきたという設定から、若年でニケになってそのまま加齢したとみる方が自然である。基本的にはおばあちゃんなのだが、仕事の付き合いで会食したり、趣味に若者に人気のボードを始めてみたいなど柔軟な人物像を見せる。

ちなみに水着はスク水。


アドミの場合:アドミは見た目と中身が一致しているニケといってよいが、一点だけ特記すべき事がある。彼女の態度が見た目以上に大人びている点だ。これには彼女がニケになってからの悲劇に起因している。元々彼女はとある隊長の娘(もしくはそれに近い存在)であったが、隊長を救うために命を落としたようだ。ニケとして復活し再会を果たした彼女を待っていたのはあまりに辛い罵声であった。

溺愛していたのに豹変して捨てるという扱い方は、アドミの人格形成に決定的な影響を及ぼしてしまう。

 その後もたらい回しにあったようで、今では書類にサインする事自体トラウマを呼び起こすとのこと。彼女はただ誰かに愛して欲しいだけなのに、周りの大人は自分の都合だけで彼女を弄ぶだけで飽きたら捨てるようなことを繰り返されたのだろう。トライアングル部隊に配属されたことはある意味で幸いであった。

同僚のプリバティは仲間思いなのはいいのだが、イマイチ思慮が足りない。
信長「おぬしは本当に残念な娘じゃな…」


上司のユルハは悩みをしっかり把握してアドバイス出来る。

 彼女の上司であるユルハは最大限この問題を重視して仕事を割り振りしたり、母親のように心配したりしてくれる。同僚のプリバティは逆に、思慮の足らなさを発揮するため、アドミにも小言を言われたりため息を吐かれるが、プリバティはアドミを見た目通りの子供として扱ってくれるのだ。そんなアドミも、基本ウマの合わないユルハとプリバティの間を取り持つ緩衝材として作用している。プリバティが皆で一緒に外出しようと提案しても難色を示すユルハだが、アドミも行きたいと言うとしぶしぶ合意するのであった。

なんだかんだで仲が良い。ストーリーではトライアングル部隊とは対立しがちなので違った一面が見られる。


アリスの場合:アリスはかなり特殊なケースである。彼女は妄想家と言われたりするが、頭の中はマスタング曰くbeautiful と形容されるほど、スチャラカである。

アークは楽園なのかという問いに対して、人によって違うと言われ混乱するアリスちゃん。

容姿は10代半ばぐらいなのに、内面は無垢な少女そのものである。生前はやはり10代半ばのようであるがこの時は年相応の振る舞いをしていたため、ニケになってからこうなったといえよう。彼女は病気で余命幾ばくもない状態であり、ニケになる以外延命できないと見做された為、契約によってニケになったようだ。その時傍らにあったのは『不思議の国のアリス』であり、彼女は願った。アリスになりたいと。

過去の記憶はあまり覚えていないものの、病院には悪感情を覚えるようだ。


 ニケのボディはその人の願望が反映されることがあるのだが(例えばラプンツェルは「無事に家に帰りたい」と思っていたからか、ボディにはジャミング能力のある髪の毛が実装されている)、彼女もまた「アリス」に成ったのである。
ルドミラの場合:ルドミラはアンダーソン曰く「特に、ニケになってかなり経つ」と言われる古い時代のニケである。容姿と同様、内面も20代後半〜30代前半を保っている。しかしリターが、時に自分以上に大人びていると感じることがあるほどだ。

ルドミラはこの手の諧謔がお好きなようだ。

ココアの場合:チビッコメイド長のココアは見た目と中身が一致している完全幼女型ニケである。でもファミ通ではライを【初のロリっ子】と書いているのはなぜなのか?ファミ通編集担当はロリのストライクゾーンが狭いのだろうか?もしかして実は年増なのか?とりあえず色々見てみよう。
 まず彼女はとにかくケチャップをかけまくるし紙ナプキンとクレヨンで紙飛行機作ったりとお子様モード全開である。また、悪者を追っていても相手側はココアの姿や行動を見て子供と認識している。皆彼女の天真爛漫な姿に微笑ましいと満足するわけである。だがたまに?と思う点はなくもない。例えばケチャップでお絵描きする題材がミトコンドリアからラプチャー、120mm迫撃砲まで描けてしまうのだ!流石プロメイド?「マナーがメイドを作る」という格言通り、メイドの所作を叩き込まれていながらも少女性を失っていないのが彼女の強みなのである。

ちなみに武器兼カサのココレラは、ココアのアンブレラの略らしいぞ?

ソリンの場合:働くニケでココアと対照的なのがソリンである。各論12でも彼女を扱っているので御一読を!職場や企業風土の差も確かにあるのだが、彼女の場合思慮が足らず良かれと思ってやった行動が裏目に出過ぎるところがあり、しかも本人は子供と思われたくないというところから空回りが起こるので始末におえない。では本当に子供からニケになったかと言えばそうでもないようだ。何故なら彼女はずっと前にあったAFX列車テロ事件の被害者の1人(他のインフィニティレール所属ニケも同様)だからだ。また本人もニケになる際、年齢より下のボディを希望したのである。「最初は、幼いのに強いって言われて嬉しかった」と発言している。セルフハンディキャップした結果である。こうして中身と外見に矛盾を抱えつつも、内面も見た目の幼さに引き摺られているのがソリンなのである。

おもちゃショップでリトルキャノンの2人にチビ扱いされてムッとするソリンちゃん。大人の威厳は絶無だ。

マクスウェルの場合:彼女はこれらの例で挙げたニケとはやや趣きが異なる。外見は20代くらいであり、割と最近ニケになったと考えられる。彼女はシュエンによって、死後にニケにされた。シュエンはパッと見てもわかりやすいメスガキであるので、如何に彼女が天才と言っても幼児の時分から制作は出来ないだろう。

いつも冷静なイメージがあるマクスウェルだが、ルドミラの特殊能力「マイナスの手」に対しては酷くセンシティブな対応を見せる貴重なワンシーン。


 彼女の特異な点は、人間時の自分とニケになった後の自分を地続きに捉えていない点である。無論、経歴的なところは人間時代のものを援用してはいるが、「昔は昔・今は今」というスタンスは変わらないように見える。以下は彼女のセリフである。

「人間だった頃に大好きだった飲み物だったけど、今飲んでもなかなかイケる!」
「人間だったマクスウェルがどんな気分だったか私に分かるわけないでしょ。」
「人間だったマクスウェルはもう死んだ。私はニケのマクスウェルだし。」


この発言以外にも、食事はニケ用に調整されたものしか摂取しない(人間が食べているものは無害であることは当然わかった上で、効率的に管理するためにあまり積極的に摂らないだけ)。これは彼女が「ニケが人間のふりをする必要はない」と考えているからだ。彼女のこうした思想は、ニケの身体と精神の関係を研究する上で良いリトマス試験紙になり得る。

ライの場合:最後にライを取り上げる。このニケは韓国ではその幼稚園児の様な姿で物議を醸したようであり、さらに設定年齢は驚きの19歳である。蟹座のB型か!?キャラクターストーリーなどでは、ロリババァっぷりを感じさせないクソガキムーブを全力でかましてくるが、一方では幼児にしては打算的な面をみせる。例えば、後輩のアインが急に褒めたのをゴマをすっていると判断するのだ。
 ならばやる事はひとつ、ライの描写と実際の幼稚園児の発達具合と照らし合わせるのだ。ライが好き勝手し放題していたのを指揮官に怒られ反省文を書かされるシーンがある。その内容は「すみませんでした。私ももう3年生で最高学年なのに歌を聴いておやつを食べるくらい、やってもいいと思ってました。でも、先生が嫌がっていたなんて。本当に私が間違ってました。すみません。」である。またこの後、何年生でも同じ学生だからとか後輩の見本になるようにとか諭すと、ライは自分の先輩は同じ事していたのになんで自分は全部ダメで怒られなければならないのかと抗弁するのである。
 文科省による子供の発達段階の特徴だと「幼児期になるにつれ、身近な人や周囲の物、自然などの環境とかかわりを深め、興味・関心の対象を広げ、認識力や社会性を発達させていくとともに、食事や排泄、睡眠といった基本的な生活習慣を獲得していく。また、子ども同士で遊ぶことなどを通じ、豊かな想像力をはぐくむとともに、自らと違う他者の存在や視点に気づき、相手の気持ちになって考えたり、時には葛藤をおぼえたりする中で、自分の感情や意志を表現しながら、協同的な学びを通じ、十分な自己の発揮と他者の受容を経験していく。こうした体験を通じ、道徳性や社会性の基盤がはぐくまれていく。」とある。文字の読み書きはNIMPHで習得出来るとしてこの利己心は幼児性の現れと見るべきだろうか?この後ライはこう発言するのである。「先生がいない場所では、先輩がルールなのよ。」
…上下関係というか縦社会全開の思想ですね。彼女の中には基盤どころか儒教的な上下関係がすっかり根を下ろしている。幼稚園児の皮を被ったJKであることよ。

虫歯で指揮官監視のもと病院に来たライだが、健診を嫌がるネロを見て。お前が言うな。

 結局のところ、本人の心持ち次第で成長したり、外見に近い振る舞いをしたりするというどっちつかずな結論になりそうだ。カラダとココロに正直なだけ健全なのだろうか?

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