統合失調症によって破綻した状態を立て直すための個人的な哲学
自分に対して肯定的である
何となく、何時も言い訳から書き始めている気がする。する必要もない言い訳だ。自意識過剰なのだろうか。
あまり他人の事を考えていないかもしれない。何となく、自分の事しか考えていない。
或いは、ナルシストなのだろうか。と言うか、特に自分の事が好きな訳でもない。
そう思っているのは自分だけで、実際にはナルシストなのだろうか。良くも悪くも、自分中心の人間ではある。
自己中心的と言えば批判的な意味の言葉なのだろうけど、自分を肯定するという意味ではそんなに悪い言葉ではない。或いは、自分中心と自己中心は違うのだろうか。
その辺りは、言葉の問題だ。とりあえず、相変わらず自分は自分中心の人間ではある。あまり他人の事を考えていない事は事実だ。
実際、自分の事ができない人間には他人の事もできない。なので、それはそれでいいと思っている。
統合失調症を立て直す過程で生まれた哲学
自分は、結構論理的な人間である。言い方を変えれば、理屈っぽい。
まず自分の事から考えて、その後に他人の事を考えている。全ては自分がどうかというところから始まっている。論理的にそういうふうにしか考えられない、という事である。
特に自分の事が大好きな訳ではないのだが、自分に対して肯定的である事は事実だ。これは結局、自分が精神病患者である事に起因しているのではないのだろうか。
精神病患者は、論理的に破綻している。だから、その治療の過程で身に付けた哲学が理屈っぽい自分中心の哲学だったという事である。
或いは自分は、あまり自分に否定的な人間は精神病になったりするから、それを論理的に立て直した方がいいという事を言っているのだろうか。
結局、他人を疑っている
自分は、少なくとも自分に対して否定的な人間ではない。子供の頃は、割と自分に否定的だった記憶がある。しかし、それで行き着いた先が統合失調症だった。
ところで自分はマイナス思考を標榜しているが、そう考えると矛盾してこないだろうか、という見方もできる。結局それは、全体的にマイナス思考で自分に対しては肯定的だという事だろう。
根拠のない哲学を修正して行くとそうなる。最近では自分は、憂鬱な気分になっても根本的に哲学の部分では自分を肯定している。
結局、自分は自分以外の人間を信用していないようだ。自分を信じて他人を疑うという事が自分の個人的な哲学である、という事になる。
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