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リアクションの薄い人生

先日、エアコンのクリーニングをしてもらった。
計画的な人なら、早期キャンペーンなどでお安くスムーズに済むところ、暑くなってエアコンを使い始めてから汚れに気づくという、要領の悪い人の典型となったため、予約してから1ヶ月も待つ羽目になった。
折しも、猛暑日。
暑い室内で時間をかけてクリーニングしてもらい、有りがたいの一言につきる。 
そして、いよいよ最後に、あの瞬間がやってきた。
そう。
お兄さんが仕事の成果、クリーニング後の汚れた水を、見せてくれるのだ。

きっとお兄さん的には、うわぁースゴイ!とか、ヒェ〜汚い!とか、何らかのリアクションを少なからず期待してるだろう。
これが、私には難しい。
初めてのことでもないのに、驚いてみせるのも気恥ずかしいし、そもそも、私は大きなリアクションができない人間なのだ。
案の定、この日も「あぁ…酷いですね」と、無の表情で、どうでもいいコメントを発するだけに終わった。
さぞかし、お兄さんは薄〜いリアクションに、物足りなさを感じただろう。

私は普段から、あまり感情が外に出ないタイプだ。
しかも、古典的な大和顔。
細い一重の目なので、余計に無表情に見られてしまう。
いかほどのものかと言うと、眼の検査で、
「はい、目を見開いて。」
「もっと、もっと!」
「もっと頑張って開いて!」
と、さんざ発破をかけられたあげく、先生があきらめて、指でグイッとこじ開けるぐらいである。
だから、驚きを表現しようと目を見開いたところで、ほとんど変化がないし、ウインクしたって、目にゴミが入った人にしか見えない。


さらに、動揺すると固まってしまうタイプなので、他人からは、いつもクールで冷静沈着な人と映るらしい。
本人の脳内では、小さな分身が「わ〜、どうしよう〜」とパニクって走り回ったり、はたまたフリーズして真っ白になり、呆然と立ちつくしていたりするのだが。
動じない人と、勝手に誤解されてしまう。

今までで、それを強く感じたのは、出産の時だろうか。
分娩の痛みは、最初は強めの生理痛ぐらいなので、余裕をかましていたのだが、徐々に波が強く激しくなってくると、人生で未だかつてない激痛であった。
まるで、走り出したら止まらない、狂気の暴走ジェットコースターのごとく。
もう引き返したくても戻れない痛みの波が、次々と襲ってくる。
私はあまりの痛さに、声を出す余裕もなくなり、脳内で「うおー、なんじゃこりゃー!」と叫びながら、声にならぬ声をあげて耐えた。

そのせいで、先生には、またも動じない人と誤解されたようだ。
「こんな静かな妊婦さん、本当珍しいわ。みんな、もっと獣のように叫びまくるわよ。」
と驚かれ、さらには
「痛みに強い方なの?」
とまで言われてしまった。
いえ、とんでもない。
むしろ、痛みに敏感な方である。
痛すぎて声もあげられない程、凄く辛かったのに。
わかってもらえず、なんだか損した気分だった。

ちなみに、友人は出産の際、あまりに大騒ぎしたために、病棟中に知れ渡る有名人となってしまったそうで、それはそれで問題だ。
(彼女いわく、赤ちゃんの頭が大き過ぎてなかなか出てこずに、地獄を味わったらしい。)


しかし、リアクションの薄い人生にも、良いこともある。
それは、暑い夏でも、涼やかにスーッとして見えるらしいのだ。
実際には、暑さにめっぽう弱いので、本人はうんざりしている。
マスクの下で金魚のように口をパクパクさせて喘ぎ、汗もダラダラかいてたりするのだが。
夏に暑苦しく見えないという点では、ポイント高しと言えよう。
猛暑の続く今、せいぜい、この利点を活かして、涼しげな顔で街を歩いてやろうと思う。


縁あって、このnoteを読んでいる方には、ぜひ記憶に留めておいて欲しい。
リアクションが薄いからといって、その人の感情まで薄いわけではない。
アウトプットが下手くそなだけで、実はメチャ焦っていたり、熱い闘志を燃やしていたり、感動にうち震えてる場合もあるのだ。

実際、私も反応は薄いが、脳内では繊細に感じ取る方なので、よく泣く人間だったりする。
以前、飛行機で映画版の『フランダースの犬』を観て、密やかに泣いていたが、鼻を何度もかんだために、結局ジロジロ見られるはめになった。
しかし、そんな場面でも恥ずかしがったりせず、つい気づかないフリをして、すんとした顔をし続けるのが、私なのだ。


どうか、世の方々。
リアクションが薄くても、温かい目で見守ってほしい。
フリーズしていたら、ちよっと待っていてほしい。
そうすれば、ボソッと礼など言ってくるだろう。
その時、脳内では分身が「メッチャやさしーい」と喜んで、ピョンピョン跳ねているはずだ。








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