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ASDは、雑談が苦痛な件

ASDの方は、雑談が苦痛でそれに意味を求める傾向にあるらしいです。

確かに、私は、誰が何時どこでどうした話は、殆ど興味関心が湧きません。

カフェに行った話や、恋バナ、世間話、何気ない日常会話、それらを聞いていて、何が面白いのかがよく分からないのです。
聞いていても、「だから何なのだろう?」
「何が面白いんだろう?」に、なってしまいます。共感も辛い…

女子トークは、参加は不可能です。
  例えば、「この前、○○に行ってきて、カフェに行って~」
「この前、○○ライブを見に行って~」
「私は、昔、○○で3年暗い働いていて、仕事がハードで休みがあまり取れなかった…」
 「職場の○○が、○○して、なんか怠けてて…迷惑だった…」 
「子供が、○○高校に合格して○○の部活をして…」

聞くと、多分、苦痛になると思います。
だから、どうしたのだろう?何なのだろう?と、なると思います。
正直、他人がどうしただとか、どうでもいいんです。
私にとって、意味について考えるような感じです。
定型女性とは、脳の造りがつくづく違うのだと感じます。

科学や文系系のマニアックな深みのある方にウエイトを置いた話は興味関心が、湧きます。私の興味関心は、深く狭くです。

ですが、定型発達の方は広く浅くみたいです。

彼らが楽しく雑談しているのを目の当たりにし、何がそんなに楽しいのだろうか?と、不思議に感じてしまいます。

私は、会話に意味を求めているのだな…と思います。


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