10代最後に、どんな大人になりたいか考える

あなたは、どんな大人になりたいですか。もしくは、どんな大人ですか。

私は大人になることに希望が抱けない。そもそも現状の社会がお世辞にも明るいとはいえないものだから、未来にも希望が抱けないし、そんな社会を支えていく大人になる自信もない。
とても暗い言葉で始まってしまったけど、こう思っている人少なくないんじゃないかな。特に、同じくらいの年代の人に聞いてみたい。大人になりたい?なりたくない?

アルバイト先の主婦と話すと、「若くていいねぇ」「もう私なんて年でだめよ」とよく言われる。確かに若さは一つの強みだ。体力もあるし、まだ発想だって柔軟だと思う。でも、若くていいねという大人は多いけど、「大人は楽しいよ」と教えてくれた大人に、私は出会えたことがない。日常の多くに、そうとは言わなくても、若さが正義で老いは悪だという意識が潜んでいるような気がする。春学期にとっていた授業で、40歳くらいのけっこう捻くれている男の先生が、「若いうちはいろんなことに悩むけど、大人になると諦められるから大丈夫」ということをやたらと繰り返して言っていた、こういうことは大抵不満が残っているからこそ強調するのではないか…と思ってしまう。諦めって。もっと他に言い方あるじゃんー!

人の取り柄が若さだけなら、老いは不幸なことだけど、そんなことは決してないはずだ。

もう一つエピソード。
私が出会ってきた大人は、社会の問題を自分ごととして受け取っている人が少ない。
小中学生のころ、公民の授業で社会保障制度を学ぶとき、一人の高齢者を何人の若者が支える計算になるかという図がよく出てきた。少子高齢化の進む今、支える側の負担は年々大きくなっている。その部分の説明で、先生たちは決まって、「みんなが大人になるころにはもっと大変になっていると思うけど、先生は支えてもらう側だから、みんな頑張ってね」みたいなことを言う。小中学生を相手にしたこの言葉に深い意味があるとは思っていない。でも、どんな社会問題でも大人たちは、「未来を担うのはみんなだから、頑張ってね」と、今問題に直面している自分たちは関係がないかのようなことばかり言うことに違和感を感じていた。

自分が大人になって、子供たちと話す機会があったら、次の世代に「もっともっと大変になるけど、頑張ってね」と言うのか。大人が問題に向き合う姿勢を子供たちに見せなくては、子供たちはこの先どんどん希望が感じられなくなるんじゃないか。

最近ではあまり聞かれなくなったが、「大学生は人生の夏休み」という言葉も違和感だ。人生これからの方が長いのに、今が楽しむラストチャンスみたいだ。やたら細かい人間しかこんな言葉気にしないよと思うかもしれないけど、大人になることにマイナスなイメージがいたるところで形成されて。ぼんやりとした「大人になる不安」「大人になりたくない気持ち」を作っている気がする。

少なくとも私はそれをしっかりと受けている。
こんな大人になりたいと思うようなモデルがいたらな。

私は、どんな大人になりたいか。
子供たちが、大人になるって悪くないかもと思えるような大人になりたい。
そのために、いっぱい吸収できる今に余すことなくやれることはやりたいなと思う。
残り少ない10代、楽しむぞ~

2023/8/12
00:11
下書きより

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