母を看取りました
ミニチュア作家のいわなり ちさとです。
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12月に入って、母は食が進まなくなりました。
10日過ぎにはもう年内かもという知らせが、、、
身内に知らせたところ、一番かわいがられた福岡にいる甥が一日休んできてくれることになりました。
でも、前日になり、母の意識はなかなか戻らない状態になってきました。
このままでは会議室で会うということも難しいと言われたのですが、一番かわいがっていた孫が遠くからやってくるからどうしても会わせてほしいと強くお願いしておきました。
彼だけが会うほうがいいだろうと判断して、一人で施設に行かせました。
11時前に連絡が来て、会えたという報告をもらいました。
もう目は開かず、ただ手が動く状態でしたが、それでも会議室に連れて来てくれて会うことができたと言います。
夜中、車で天気の悪いなか、走ってきてくれた彼が間に合って、施設もそれに応えてくれたことに深く感謝しました。
彼はランチのあと、すぐに帰っていきました。
3時前に施設から連絡が入り、延命措置などしないという同意書にサインしてもらわないと救急搬送しなければならなくなるということで急いでサインしました。
孫に会えて安心したのでしょう。
水も取れなくなり、もう危ないという話を聞かされました。
それでも、何度も死地から戻ってきた人なので、まだまだと思っていました。変なところで身びいきしてしまいます。
次の日の夜、もう危ないという電話が入り、耳元に携帯を持っていってくれて最後の呼びかけをしたあと、数分で息を引き取りました。
もう無料のPCR検査を受ける時間もなく、あきらめていましたが、主治医の先生が死亡確認には家族の立ち合いがほしいと言ってくださり、抗原検査だけで部屋に入らせてもらえました。
母は献体を申し出ていましたので、連絡をし、次の日に迎えが来る時間にまた、施設の外で顔を見て見送ることができました。
このご時世の中では、気を遣っていただけたことに感謝しています。
言いたいことをずいぶん言わせていただき、施設としては最大限私の要求に応えていただきました。
夏の扱いのひどさを思うと嘘のようにきちんと対応していただき、感謝しています。
今、母を看取って思うことは、施設も書類の提出など、縛りの多さの中でがんじがらめになっていたのだなぁということです。
人としての情について、かなり怒りました。
そして、その思いが自分勝手なものではないとわかってもらって、出来る限りのことはしていただきました。
園長の考えと行動は人を看るという基本をしっかりわかっていて、それでも、国などへの提出物の縛りでどうにもならないということが透けて見えてきていました。
介護という制度を書類をきちんと書くことで整備していこうと考えた誰かは現場で書類を書くより入居者との時間を大切にしたいと思う介護士の想いを想像もしていないのだろうなと思います。
書類なんて、少しでいいんです。
家族はいくらでも証言します。
よくしてもらったから制度上もらえる支援金はめいっぱい支給していただきたいと。
書類を書くことが一番の仕事になってしまうと、時には嘘を平気で書き連ねたり、毎回同じことを書いてきたりという、書類疲れを起こします。
季節の挨拶がめちゃくちゃだったり、前回と全く同じ文言をコピペしてある書類にがっかりしたこともありました。
でも、入所者の世話をしたうえで書類もたくさん書かねばならないと、時には心を込めている時間も心の余裕もなくなってしまうのは仕方のないことかなと今になると感じます。
制度設計ということを国のえらい方々がするのでしょうが、すべて足し算になっていくことが末端の現場を苦しめていくことにそろそろ気づいていただきたいと思います。
新しい試みが始まるなら、今までの中で必要のない書類はいらないとしていくべきだと思います。
そして、真に大切な入居者さんの幸せを考え、行動していく余裕を現場に戻してくれることを切に願います。
母は痛い思いをせず、静かに息を引き取りました。
その場にはいられなかったけれど、時間を携帯を通して共有させていただきました。
老衰。
いらぬ点滴などつけずに自然に逝かせてあげられて子供としてはなによりのことと思っています。
91歳になってすぐのことでした。
父が待ちくたびれていると思います。不自由な体を脱ぎ捨てて、母は笑顔で旅立ったと思います。
今日は奇しくも冬至。
一陽来復の今、母もまたいつか生まれ変わってくることでしょう。
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