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やりたいこと探しの罠から抜け出す方法


過去、やりたいこと、好きなことを見つけられずに死ぬほど悩んでいた時期がある。なんとなく、ずっとこのままの人生じゃだめだってことだけはわかっていた。でもこれといってやりたいこともない。将来を考えると漠然とした不安だけが襲ってくる。

何かを変えたくて、勤めていた会社を辞め、個人で仕事を始めた。一人で生きていけるくらいには稼げるようになった。でもなぜか充足感はない。もっと何か、何か心にグッとくる、これだ!という仕事はないのか。。そう思いつつも、ただ流れていく時間に焦る日々。

その頃は、なんかこう、『すごい人にならなきゃ。』みたいな、【好きなこと】と【成功】はセットじゃなきゃいけない、という謎のプレッシャーを自分に与えていた。そしてその好きなことは、熱中できるものでなくてはならない、と。

色んな副業も試した。動画編集とか、古着転売とか、翻訳とか。よく分からんマインド系の高額セミナーにも入った。オンラインサロンもいくつか入ったし、本も多ジャンルにわたって100冊くらい読んだ。でも、どれだけ試してもどこか違う。

何かに熱中している人を見ては、『良いなぁ。私も何か自信を持って、これが好きです!と言えるものが欲しい。。』と心底羨ましく思っていた。

こんな感じで丸3年くらい迷走して、
リアルに100周くらい回って、

、、どうでもよくなった。

考えるのを辞めた。めんどくさくなったのだ。こんだけ試しても出ないんだからもう無理だと、ついに諦めた。ついでに仕事もやめる事にした。


もうどうにでもなーれ⭐︎
なーーーんでもいいでーーーす✴︎


そんな風に投げやりになって力を抜いてみたら、びっくりするほど生きるのが楽になったことに気付いた。そして何故か、あれだけ停滞していた人生が少しづつ動き出した。

その理由を後から振り返ってみたら、いくつか思い当たるポイントがあったので、まとめてみようと思う。

1)やりたいことは探すものではない

そもそも、やりたいことというのは本来探すべきことではなかった。子供時代、時間を忘れて夢中になったあの経験は、探し求めて得たものではない。何故か突然心を奪われ、やらずにはいられない。それが本来の在り方だと思う。

やりたいこと探しに明け暮れていた頃は、ひたすら外部に答えを求めていた。そうではなく、日常を生きていく中で心が動いたものが【好きなこと】【やりたいこと】なのだ、ということだ。

“探す”という意気込みが自分の視野を狭めていた。やりたいことは探さない。前のめりにならない。眉間にシワが寄りまくった、ガチガチ頭の力を思い切って抜いてみる。ただ静かに、心の動きに敏感になって素直にそれに従うことが、結果的に新しい人生をもたらしてくれるのだと思う。

だからまずは、やりたいこと探しをさっぱりやめた方がいい。

2)自分の思い込みに気付く

やりたいことを探している時は、何をやってもモヤモヤしていた。何故なら、私の中でやりたいことというのは、『お金が稼げて、みんなにすごいと言われて、キラキラしていて、成功できるようなもの』という枠の中にあるものしか許されなかったからだ。

だから『これ楽しい!』と思っても同時に、(これではダメだ、仕事にはならない。今はネットの時代だから、うんぬんカンヌン。。)といった形で、心の本音をいつの間にか脳内が打ち消してくる。


私の場合、やりたいことは、

・稼げなきゃいけない
・何かすごいことを成し遂げなきゃいけない
・決めたら続けなきゃいけない
・一つに絞らなければいけない
・熱中できるものでなければならない

こんな感じの思い込みで枠組みされていた。


そしてその思い込みに気付いてから、「別にそうじゃなくても良いんじゃないか」と思うようになった。それらの条件は無意識に自分で課したもので、そうである必要は何一つなかった。

3)ひたすら自分を許してあげる

2つ目に挙げた自分に対する制限にしっかり気付いてから、「自分に厳しすぎたなぁ」と思えるようになった。

例えば、『もっと稼がなきゃダメだ、動かなきゃダメだ。』という脳内の独り言が出てきたとしたら、今までは、(そろそろ本気出さなきゃ。同世代より遅れてるんじゃないの?大丈夫なの?やばいんじゃないの?焦った方がいいんじゃないの?)という思考が、同時多発的に出てきて頭がいっぱいだった。そして上手くいっている人を見て、更に自己嫌悪という負のループに入る。


それを一旦立ち止まって、(わー、また自己否定しようとしている。こんなに頑張って自分のことを真剣に考えてあげてるのに、かわいそうだよね?)と、もう一人の自分が自分を守ってあげれるようになったのだ。

そして同時に、(あぁ、自分は稼ぎたいんだなぁ。人と比較して、焦って色々考えてたんだなぁ。一人で思い悩んで、十分考えてるじゃないか。今でもちゃんと生きてるのに、もっと頑張ろうと思ってたんだね。偉いぞ、自分。)
という感じで、自分の焦りや現状を受け入れてあげた。


そうすると、自然と焦りは消えるし、自分に課していた縛りも消えていく。本当に自分がやりたいと思う事に素直にフォーカスできるようになってきたし、現状の仕事にも前向きに取り組めるようになった。(まぁ仕事はもう辞めるんだけど。)

4)好きなことは、単純なことでいい

世の中には名前のついた【カテゴリー】という概念が存在する。ざっくり例えれば、美容とか、ファッションとか、AIとか、投資とか、アイドルとか。他にも大なり小なり無数にあるが。私は、好きなものとはこれらのカテゴリーの中から選び取るものだと思っていた。

でも、そうじゃなくてもいい。世間のカテゴリーの枠に当てはめなくても良かったのだ。もっとボヤッとした概念的なものでもいいし、まだ世に浸透していないどんなに小さなものでもいい。

力を抜いてみたときに、ふと、私は”知る”ことが好きなのだと気付いた。世界の様々な出来事に興味がある。美容も好きだし、アイドルも好きだし、政治や経済について知りたいし、心理学なんかも興味がある。簡単に興味が移り変わる。

だから、結局私は何が好きで、何がしたいんだ?となることが多かった。でもそうじゃなかった。ただ単純に、”知る”ことが好きなのだ。知らないことを知りたい。それが私の興味であり、心踊ることだったのだ。


また、"好きな生き方”というものにフォーカスしてもいい。やりたいことがなくても、こういう人生にしたい、こんな働き方で、こんな人たちといれたら幸せ、とい考え方もまた、【好きなこと】や【やりたいこと】に入るのだ。


これに気付いた時はハッとした。何かのカテゴリーから選ばなくても良いんだ。純粋に興味の赴くままに生きてもいいのだと。ここまで真剣に、”好きなこと”について悩まされている人間も稀かも知れないが、これに気付いてからはより一層自分を肯定できるようになった気がする。

+α)未来に絶対的な安心感を持つ

これは上記の内容とはテイストが少し異なるが、自分の心にとても良い影響を与えてくれたので追加しておきたい。

やりたいこと探しをしていた時、なぜそれに囚われていたかというと未来が不安だったからだ。このまま生きていくのは嫌だ。何か熱中できる、充実した人生にしたい。お金も今のままでは不安だ。もっと人生を変えたい。そう思って迷走していた。


だから、真逆のアプローチをしてみる事にしたのだ。

『未来は絶対に大丈夫だ。最高な未来が待っている。そう信じて、今楽しめることだけにフォーカスしよう。』

そう自分に言い聞かせるうちに、本当にそうなんだと心から思えるようになった。

未来は誰にもわからない。これは絶対に大丈夫だ、なんていう生き方はない。逆にいうと、今自分がどんな状況であれ、現状に不安になることもできるし、安心することもできる。それは自分で選んでいい。安定なんてこの時代には存在しないのだから。

だったら、自分が今描ける最高の未来だけを意識していよう。それを叶えるための手段は考えない。絶対的な手段も存在しないのだから。

だから、ただ決める。最高の未来は待っているのだから、何をしていても大丈夫だ。そこに根拠は必要ない。そう本気で思えるようになると、何をしていても安心感がここにあるようになった。軽い心で、心に従って行動できるようになったのだ。

まとめ

やりたいことは、探すべきじゃない。

稼げなくてもいい。続かなくてもいい。一つじゃなくてもいい。何かのカテゴリーに分類されなくてもいい。自分に課してしまっている縛りに気付いて、自分を許していこう。頭と肩の力を抜いて、無数に広がる可能性の中から好きに選び取ることが、本当の意味での”好きなことで生きる”に繋がるのだ。

最高な未来を確定させたのなら、信じて、今やりたいことだけ、楽しいことだけをやっていこう。

こういうマインドで生きていくと、ふと思いついたことを行動に移すことが楽になる。そして少し行動するだけで現実が変わっていく。思わぬ出会いがある。人生の可能性が広がっていく。

とまぁ、自分の『書きたい』という気持ちに従って書いてみたらとても長くなった。こんなに長い記事を読んでくれる人がいるのだろうか。。(そう思いつつも一週間以上かけてガチで書いている。)
でも、私はこの考えに辿り着くまでに3年以上かかった。だからこの内容が、同じように人生を重く捉えてしまっている誰か一人にでも届いて、新しい気づきになればとても嬉しいな。

おしまい🙂‍↕️


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