見出し画像

文章はコミュニケーションと一緒なんじゃないかって。読者に嫌われたらもう二度と読まれない

今朝、Noteである書き手さんの文章を読んだ。

「何も行動しない人」のことを否定する内容だったのだけど、まるで自分がその人に説教されているように感じた。
なぜなら私は今行動できていないので。

その書き手さんはXでもよく見かけるのだけど、記事を読んでその人が一気に苦手になった。

こちらの事情もよく知りもしないくせに、何がわかるんだろうと。
環境が要因となって、簡単に動けない人だっている。


全体的に説教くさい記事が多かったから、他の記事でも怒られるんだろうなと思い、その人のファンにはなれなかった。

私はその時、文章は書き手が読み手に好かれないと本当に読まれないものなんだなと確信しました。

文章はコミュニケーションと一緒なのかもしれない。

リアルで偉そうな物言いをする人がいるとしよう。面倒事になりそうだから本人には直接言わないけれど、周囲からは「なんだこいつ?偉そうに」と、思われてしまうことでしょう。

一度、嫌な感じ、苦手という印象を持ってしまった人の話は、受け入れられないことが多いだろう。

文章も同じ。
読み手から偉そう、上から目線だと思われた書き手は嫌われます。

たとえば私はSNSで最近増えてきている、セールスライティング的な人を煽る文章が苦手です。
彼ら、彼女らは、人の悩みやお金が欲しいなどの人間の欲望を刺激し、文章で自らの目的を達成しようとしているのですが、ユーザーへの教育が時に説教くささを感じてしまうことがあります。

正直言うと、あなたは何様?偉そうだし、自分に酔っているのでは?と思ってしまい、そのアカウントをミュートしてしまう。

インパクトを狙ってなのか、「いますぐやれ」みたいな強い言葉も使ったり、具体的な稼ぎを言って自分は優秀だと匂わせることも。

それがまたXのユーザーには受けるらしい。

セールスライティングは人を動かす文章といわれていますが、
私は捻くれ者なので、そういう型にはめたような文章を見る度に絶対に心を動かされたくないと思ってしまう。てこでも動かされたくない。


文章を書く上で大切なのは、自分が上に立ち相手のことを下と見るのではなく、対等な関係を築き上げるために伝えることではないかと思う。
むしろこちらが読者から教えてもらうという気持ちで、謙虚な姿勢でいると、相手に寄り添えるような気がする。


文章には上も下もない。読み手と対等な関係を築くためには、ひたすら読者に寄り添った優しい文章を書けるよう心がけたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?