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「卒業論文」という名のカクテル

五月病対策ということで、今年は、定期的に感情をアウトプットしよう!

と決めました。
2年前、去年、と五月病にバイタリティーを根こそぎ持ってかれた私は、
国民の休日が1日もない6月を、かたつむりのようにじめじめ生きていました。

本題です。

最近一番思うこと。
大学から出たくない。

ただこれだけです。
正確に言うと、今の学部から出たくない。
就活を初めて感じたことは、
「教育の場を提供してもらえるって、なんて嬉しいことなんだろう。」
期末テストだって要は「お試し」にすぎず、

毎日が実戦となる社会人生活(?)と比べたとき、
教育的愛情に満ち溢れたふわっふわの雲の上で眠っているような気がして、

久々に大学の授業を受けた初週は、
ほどよい爽快感と恍惚感と共に
あっというまに去りぬけていきました。

今日は、私が所属する大学と学部への愛を叫ぶだけです。

大学で1番好きな瞬間は、10年以上生きてきた世界の足元の地盤が、
音を立てて崩れていくあの瞬間です。

「当たり前」を疑う体力と覚悟を、大学が教えてくれた気がします。
小中高の学校教育の壮大な伏線回収というか。
積み上げてきたものを潔くハンマーでかちわるような、
大学入学後の1年は、「常識」というびくともしない巨大な岩に、
恐る恐るヒビを入れていくような、特異な罪悪感と高揚感がありました。

「歴史とは、人為的につくられた概念にすぎない。」
史学の入門授業の初回で放たれたこの一言が、
大学に入った瞬間と言えるかもしれない。

「江戸時代」という時代区分すらも、
歴史の教科書も、私が楽しんできた
「歴史コンテンツ」は、

単なる幻想だったのか???

と、呆然自失するような、
アタマを思いっきり殴られたような
感覚があって、

たまらなくなって、
半年後には歴史哲学の授業を受講しました。

「子ども」の概念は近世以降に誕生した?
地理の授業で学んだ「地域」の概念は、実在するのか?
とか。

先生方の伝え方が上手い、というのもありますが、
最初は苦痛でしかなかった
「批判的な意見を述べてみる」、「疑問点を見つける」、
「既存の価値観を疑ってみる」という作業が、
どんどん楽しくなっている自分に気が付きました。

勉強→学問へのパラダイムシフトは、
中学進学時よりも、高校進学時よりも、
小学校に入学した4月よりも、
衝撃であり、人生の通過儀礼のように思えました。


そして、全ての学問がどこかしらでは繋がっているような、
文理のカベも、「文学部」というラベリングも、
本当は、頭の整理をしやすくするための名付けの方法にすぎなくて、
ウェブ状に、点と点がつながるように、組み合わせて、変形することができるんだなと 感じました。

「学際性」と「専門性」。

レポートに行き詰った時は、
1つの研究室に引きこもるんじゃなくて、
他の分野を専攻する同期とサシ飲みに行った方が、
突破口になることを学びました。

すきま風を吹かせるように、
専攻以外の授業も取らなければ卒業できない、
オープンで社交的なカリキュラムが大好きです。

大学1年目のオンデマンド授業では、同じような話を
ひたすら詰め込まれる一斉講義に、
飽き飽きすることもありました。

小石を地道に拾うような、
行くかも分からない大学のパンフレットを片っ端から資料請求するような、
「めんどくさい」の一言に尽きる時間でもありました。

第二外国語、必修科目、総合科目.…

基本的には、
自分の好きな授業しか取りたくありませんが、
「必修」という制約下で、ぶっちゃけ嫌々取った授業もあります。

でもそれは、いわばカクテルを配合するための材料でした。

3年目の春になって、
「意味がない」と文句をたれながらもヒッソリ回収してきた小石が、
急に、サンサンと輝く宝石となって、
強烈な価値を放っているように感じます。

「うわあああこれって○○先生が話していた××論の話じゃんやば!」
「あれ、似たような話を聞いたことある気が.…あ!2年前の必修だーーーー!図書館で泣く泣く読んだあの本の1章に載ってたテーマだ!!」


タイトルにもある「カクテル配合」。
私は1時期、ノンアルカクテルにハマってました。
ある日サングリア(ノンアル)を大学の同期と飲んでいた時、ふと気が付きました。

「大学生活って、カクテルを配合する作業なんだ!!!」

空っぽだった透明のグラスに、ベースとなる液体を注ぎます。
カシスオレンジならカシスリキュール、みたいに。
文学部なら人文学、というように。

そこに様々なお酒を、絶妙なバランス感覚と独自の勘に基づいて、配合していくんです。4:6かも、8:2かもしれない。

氷で割るのは、国際関係論や法学かもしれないし、
情報工学や都市計画かもしれない。

場合によっては、素粒子物理学や心理学かもしれない。

バランスが難しいから、試行錯誤します。

美味しいカクテルを造るため、
素材集めに奔走します。

それは時に「必修」という名のタスクかもしれません。
演習授業のためにイヤイヤ読んだ参考文献かもしれません。
何度も作り直します。

そうやってブレンドして、シェイクして、
バースプーンでステアリングして.…

「卒業論文」というカクテルを完成させるんじゃないかなと
思います。

カクテルの製造場所は、ラボだけじゃないかもしれない。

材料はどこに転がっているか、分からない。
カクテル作りのお師匠たち(先生)と廊下で交わした何気ない雑談かもしれないし、
バーテンダー仲間とくっちゃべった休日の1コマかもしれない。

そのカクテルは、
とびきり上等のシャンパンボトルにはなれないけど、
拙くて少々不味くて、人には勧められないかもしれないけど、
この4年間でしか生みだせない
その場限りのオリジナルカクテルなんじゃないかと

思いました。

そして、製造過程は
「楽しさ」も「興奮」よりも、
忍耐を要するものだとも、感じました。


まだ卒論執筆すら始まっていないのに、
なにを大口叩いているんでしょう


学際性を高めることは、カクテルをつくるプロセスそのものであると、
自分に言い聞かせて、
大学生活の1番美味しい部分を存分に堪能して、もがいて、苦しんで、


最後は、自分のためだけに作ったカクテルを美味しく飲み干して、
学位記を受け取りたいと思います。


来週もたのしみだー













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