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おなかにやさしいふあんのしょほうせん


※ネガティブな言葉しか吐いていません。楽しい・明るい気分でいた方は、気分を害する恐れがあるので見ないことをオススメします。
自殺を連想させる過激な内容も含みますご了承ください


いま、とても不安な気分です。私の日々の感情の8割が不安です。



どうして人間は、生きているだけでこんなに不安を感じなければいけないのか。

不安を感じた時の、胃の底から湧き上がってくる恐怖を、どうやってやり過ごせばいいのか。永遠に分かりません。

不安の洗い出し


私がいま不安を感じていることを、試しに書き出してみます。

最近始めたアルバイトが、上手くいくのか不安。自分がADHDの傾向がある自覚があり、(診断ではADHDではないと判定されましたが)「多くの人が働く上で当たり前にできること」のいくつかができないことが、同僚や上司に見抜かれてしまわないか、それによって、「こいつは使えない。給料泥棒だ」と言われないかどうか、きわめて不安。

精神疾患をきたして解雇されないか不安。いつ、「明日からもう来なくていいよ」と言われるか分からないことへの不安。

今週から夏休みまで忙しい時期となるが、途中で鬱病になって全てがダメになるのではないかという不安。

アルバイトの失敗体験が加算されて、社会に出て働くことへの絶対的な恐怖がますます増えるのではないかという不安。

期末期間とアルバイトのシフトが重なり、自分のキャパシティが追いつかず単位を落としてしまわないかという不安。

3年次の必修科目の先生が、学生に精神的危害を与えることで知られており、多くの学生からネガティブな体験談を数多く聞いているため、「自分が壊れないで最後までやっていけるか」、「今年度のうちにきちんと単位を修得できるのか」という不安。

今年度の履修では、同じ学部の友達と対面でのコミュニケーションを取れる機会が限られているため、「交友関係不足」によってメンタルに支障をきたさないか、という不安。

3年後、自分が社会に出た時に、問題なく勤務することができるのかという不安。

20歳になったが、この先の人生が、不安と恐怖に圧迫されるだけの日々が続くひどく苦しいものになりそうで、どうすればそうならないかが分からない事への不安。

アルバイトで何か重大なミスをやらかさないかという不安。

ある日突然両親が死んで急に天涯孤独の身となってしまうのではないかという不安。

今年一年、生き延びることができるのかという不安。

ミスをして他人から「あいつは無能だから」と見捨てられないだろうかという不安。

精神的なタフさと気力と行動力が年々衰えていることへの不安。

この先の人生で何が起こるか分からないことへの不安。

アルバイトでの働きぶりについて誰から何の評価も下されていないが、
自分が時給に見合った働きぶりをできたのかが分からず、問題なく業務を遂行で来ていたのか客観的な評価を下すことができないため自己評価すらできず、「もしかしたら、恐ろしいほどに仕事ができない人間になっていはしないか」という不安。

今週のアルバイトも問題なく終えることができるのかという不安。

社会に出た時、同世代に比べて何事にも不器用で、Excelやwordの使い方、
営業スキルや上司との接し方も含め「社会人基礎力」(厚生労働省が定めたもので、大学のキャリア教育や就活支援の場でよく使われる言葉)がきちんと満遍なく身についているだろうかという不安。分かりやすい指標で計れるものではないため、大丈夫か分からなくて不安。

1限の授業で遅刻したことはないが、今後、夜のスケジュールが立て込んでおり就寝時間が遅くなるため、来月あたりやらかすのではないかという不安。

急な体調不良や慢性的な疲れで勤務ができなくなるのではないか、それによって周囲に迷惑を掛けそうで不安。

ここ4年は問題ないが、パニック症状を発して、周りから変な目で見られないか不安。

来週、久々に合う友達と、ご飯に行く。
自分のコミュニケーション能力が劣るために
「こいつと喋ってて1000円以上の食事代費やす価値ないな」と相手に思われはしないか、今回のご飯を契機に自分を嫌いにならないか、分からなくて不安。

あらゆる場面で自分の能力の低さが露呈し、周囲に見放されて、この世界での居場所がなくなってしまうのではないかという不安。

仲良しのグループ×3で、自分の悪口を言うための自分抜きのLINEグループが作られているという被害妄想から抜け出せず、陰でとことん嫌われぬかれているのではないかという不安。
(過去にその種の体験があった訳でもないのに)


就職1年目、上手くいかず空回りして、同期から大きく差をつけられて、
出世ルートから足を踏み外してリストラ予備軍になりはしないかという不安。

.…などなど。
頑張って言語化してみようと試みましたが、アタマというより、
胃と心臓の奥深くから感じる本能的なモノなので、自分でもよく分からないです。

怖いです。

怖い

精神安定剤や胃薬を飲んでも、飲み会に行っても、友達と会っても、
つかの間の快楽は得られますが、それが切れた時の反動で、もっとずっと苦しい気持ちになるので、楽にはなれないです。

散歩をしても、外の空気を吸っても、イヤホンで好きな音楽を爆音で聞いても、慢性的な恐怖はずっと消えなくて、

常に「泣きそう」で、怖いです。

「不安」という感情はホモサピエンスの生存本能で、野生動物から身を守っていた原始時代の名残りである、とか耳にしたことありますが、

高度に文明化した社会で既に要らなくなったはずの「極度の不安」が、どうして自分の人生を縛り付けてくるのか、

どうして、周りが「大丈夫だよ」「考えすぎ」と言ってくれるようなことを、私だけが感じなければいけないのか。

セラピーもマインドフルネスも呼吸法も結構試してみましたが、
「肩の力を抜く」こと、「リラックスする」ことは、
私がこの世で最も苦手なことのようです。

幼少期からの心配性・リスク回避思考は、失敗体験を積み上げることでどんどん加速されていく気がして、20歳の時点でこんなんなら、もっと年を重ねてトラウマが加算されれば、身動きが取れなくなりそうで、怖いです。

トラウマを基に「今度は同じミスをやらかさないように」気を付けて行動するため、どんどん行動が制限されそうで怖いです

私は、幼稚園時代に怒られた体験を全て覚えているくらい、悪い意味でトラウマを忘れられない人間です。楽しかった思い出は何も覚えていないのに。

しょちゅうフラッシュバックを起こして気がめいります。
高校時代に聞いていた音楽を聴くとトラウマが鮮明に蘇って涙が出てくるので、当時大好きだった音楽を聞くこともできません。
(数か月前にハマっていた曲もトラウマの引き金になるので怖くて聞けません。新曲ばっかり聞いちゃいます。)

授業内容や暗記科目はどんどん忘れるのに、どうして
忘れたいことばっかり忘れられないんだろう…という感じ

昔のことを全然覚えてない人が、羨ましくも思えてしまいます。

大学生活で分かったことですが、私は
「不確実性が高い要素」、「未知のもの」に対して恐怖を覚えるようです。

初回授業の週というだけで胃が痛くなる。
「人間関係」、「他者評価」、「コミュニケーション」、「明日のこと」、「将来のこと」など

とにかく、「分からない」「正解が見えない」状態が怖い。

(数学は苦手ですが、)
数学の問題の答えのように、唯一絶対の答えが出て欲しい。

確証が欲しい、正解が欲しい

そんなものないと分かっているのに。

他人から、一言でもいいからポジティブなコメントを貰えないと、
「もしかして嫌われたかな」「自分のどこがダメだったんだろう」と思ってしまう。

責任

そして、「責任」という言葉に対してとことん弱いです。
中学生の頃から、やりたくもない役職を、
場の流れと同調圧力で、やらされ、
肩書きのもつ力に押しつぶされることが何度もありました。

具体的な作業はまだ何もやっていなくても、
「委員長」や「リーダー」という名前を付けられた途端に、
胃の奥が痛み始めるのです。
泣きたい気持ちになるのです。

でも、周りの同世代は「当たり前に」こなせていることだから、
自分が悪いんだと思って、なんとかやってみる。

ノブレス・オブリージュという言葉があります。
高い位には重い責任が伴う、という意味のフランス語です。

このモットーを高校1年生で教えられてから、
(校訓?のような形で何度か教え込まれた)
役職に就いて作業を行うことがますます怖くなりました。

「自分のような、ポテンシャルの低い不器用な人間が
特定の役職に立って何かを行うことは、全体にとってメイワクだ。」
そんな意識を自然に持つようになりました。

逆に、「なんの役職にもつかない」場面では、自分でも驚くほど力を発揮できることも分かりました。

自己啓発書もHow to 本もビジネス書も色々読みました。
学校の先生の中でも「仕事が早くて優秀」と評される先生をはじめ、
周囲の「デキる」大人たちから仕事術を見て盗んで、時には聞きに行って相談してみましたが、


私は相変わらず、

生きるのに不器用で無能で、人間の悪い部分ばっかり集めてできたような
しょうもない人間のままでした。

自傷行為のルーツ


「自分を責める」癖がついてきたのもこのくらいの時期でした。
自分への怒り、やるせなさ、不甲斐なさ、苛立ちで
いたたまれない気持ちになって、

普段、生徒があまり立ち寄らない校舎の奥の1階のトイレに籠って、
泣きながら自分の頭と腕を殴り続けていました。

入浴時に痣と生傷を発見してはじめて、
「あ、今日も衝動で自分のこと殴っちゃった」と我に返る感じでした。

損害賠償金を払うこともできないので、
自分を傷つけることでしか、
ノブリスオブリージュを果たせなかった責任を取ることが出来ないと考えて、「今日もこんな無能な自分でごめんなさい」という周囲への謝罪の意を込めながら、小さな自傷行為を繰り広げていました。

それくらい、高校2年生の時点ですでに自身の才能のうすさと不器用さに
絶望していました。

この絶望感は受験勉強に昇華させました。
「今の時点でこんなに無能な人間なら、就活で全落ちする。解雇される。
だから、せめて学歴だけは絶対に他人に負けてはならない。東大に落ちてしまっては、それこそ自分の存在意義が消滅してしまう」という強迫観念に駆られました。
でも結局、東大には行けませんでした。

さあ今度こそ、自分が生きていい理由が分からなくなってしまいました。
だから自死を試みました。(この件は別の記事で詳しく触れます)


インターンシップ

でも、どうしようもないから、とりあえず、大学4年間で、
社会不適合者の権化たる自分を、
なんとか「正常に働ける」状態に持って行かせようと、
いろいろ挑戦しました。

日々、実践と改善のループを回すことでスキルアップできると思っていました。

自分なりには、頑張っていました。
でも、無理でした。
アップどころか、ここ5年「スキルダウン」している感覚すらあります

私は昨年、1日限定型のインターンシップに複数参加しました。
「不安と恐怖を感じずに自分の能力を発揮できる場面」には、以下が挙げられるのではないかと考えました。

①ブレインストーミング→意見が否定される心配がないから
②心理的安全性が担保されたシチュエーション
③役職がない、自由に動ける役回り
④責任を伴わない
(※あくまでも「疑似体験」や「ワークショップ」としてのインターンが多かった)
⑤給与が発生しない

⑤が一番デカいです。
お金を貰うわけではないので、責任を感じる必要がないから。

でも、⑤が付いた時点でそれは「仕事」ではなくなります。
それでは食べていけません

自分が社会人に向いていないことを痛感するだけで、
悲しくなりました。


なのに、適性のない作業を任せられる。
表面上の付き合いでは、自分が無能であることは誰にも悟られない。
だからこそ、いつ自分の無能さがバレるか分からなくて怖い。

人から作業の様子を見られることがとにかく苦痛。とたんに集中できなくなる。

第一印象で、「なんとなくこの人なら上手くやってくれそう」と誤解されることが多い。ふたを開けてみれば、恐ろしいほど無能だった。
その繰り返し。


アルバイト

昨年度、アルバイトを始めました。
人生で初めて、「労働をしてお金をもらう」体験をしました。

責任という言葉の重さを、ストレスとプレッシャーと緊張という、分かりやすい形で体感しました。

大学2年生の夏から半年間、飲食業の接客をしていました。

従業員証のネームカードを首に通すだけで、緊張で動悸が激しくなる。

研修自給ではなく、正規の時給で働くことに対して「私は役職に見合う働きぶりができてない」と感じる。責任に耐えきれなくて苦しくなる。
「お願い…私は他の従業員の誰よりも無能だから、給料を半分カットして…
同じ給料で働いてたら、責任が重すぎてメンタルが持たない」

1つでもミスをした日は、「会社に不利益を生じさせてしまった」罪悪感で眠れなくなってしまうため、その日の1時間分の給料を使って社割のサービスを使わないと気が済まない。

働いた直後に、社割のご飯を食べながら反省点を1時間かけてノートに洗い出してセルフフィードバックをするが、どんどん落ち込んでしまう。

成長点・改善できた点を必死に思い出しても、それらをはるかに上回る
「ダメポイント」が無限に見つかって、減点方式になってしまう。

上手く働けていないので、退勤後、1時間ごとに追加注文をしながら5時間客席に長居して先輩の働き方をずっと観察してフィールドノートにつけてみた。(文化人類学主専攻の強み(?)を活かしてみました)

しかし、「ムリだ、どう工夫したって自分には出来る気がしない。全く展望が持てない」と絶望し、泣きながら家に帰る。

電車の線路を見つめながら、「今ここから飛び降りれば、責任も全て無くなるし、自分という無能な人間がいなくなることでこれ以上社会に迷惑を掛けないで済む」と思い詰める。

深呼吸を何度やっても、緊張から来る心臓のバクバクが収まらなくて、
肩に力が入りすぎて、不思議とミスを連発する。

「今日は17時から出勤だ」と思うだけで、2限の冒頭で涙が出てくる。
冷や汗と手足の震えが止まらなくなる。

でも、そのことを周りの誰に相談していいのか分からなくなる。

大学のトイレに駆け込んで自分を殴る。頭を思いっきり叩く。
ささやかな自傷行為によって物理的に自分という存在を否定しないと、
精神がもたなくなる。

「ああ、この感覚ね。高校ぶりだ、、、なんか懐かしい」
心を壊すのに慣れてしまって、この日常を受け流していました。


そんな状態まで行きついて、両親からレッドカードを出されたことで
ようやく辞める決心がつき、辞めました。

辞めるのも怖かったです。

絶望の3か月


「自分の能力を高めて、将来、問題なく社会人生活が送れる状態をつくる」ことが目的だったのに、自信をつけたかったのに、逆に

自分の無能さを痛感して、自分は生きるに値しない人間だった、という、
認めたくなかったけど気付いていた揺るぎない事実を改めて突き付けられた気がして、無気力症候群に陥りました。

職場で罵詈雑言を浴びされれたわけでも、誹謗中傷されたわけでもないのに。


改善と努力を積み重ねてきただけなのに、全てが空回りして、
周りの同世代が当たり前にできることが
自分にはできなくて、

サイゼリヤでランチを食べてお会計をするときも、
ファストフードでも喫茶店でも、ホールスタッフのきびきびした動きを見る度に、トラウマがフラッシュバックして、胸が押しつぶされます。

どうして、こんな人間に育ってしまったんだろう。
私の20年間のどこが間違いだったのでろう。
どこで道を踏み外したんだろう。
やり直すならどこだろう。
何が足りなかったんだろう。

義務教育をこなして、大学に入学して、単位を回収して、ありがたいことに
何不自由ない円満な家庭環境で育てられて、五体満足で、経済的に困窮してるわけでもなく、いじめや体罰、暴力を体験したわけでもないのに。
非行に走ったこともないのに。

私の何がいけなかったんだろう。


バイトを辞めて間もない成人式の当日は、そんなことばかり考えていました。考えるつもりはなくても、心に浮かんで、消えなかったんです。

本当は生まれて来てはいけない人間が、生物学上の何かの手違いで産まれてきてしまったように思えてならなくて。

20歳の誕生日を迎えた瞬間も、
神様から
「死ねよ。20年も生きてきてこんなに存在意義のない人間、この世に要らないから」と言われてる気がして、
「ああやっぱり消えたい、、でも怖い、、、死ねない、、、私は怖くて死ねない!!!!」という思いで、今もなんとか辛うじて生き永らえている、という形です。

応募

バイトのトラウマを早く風化させたくて、成功体験が欲しくて、そのためには、新たな一歩を踏み出すしかなくて、バイトを始めました。

私にとっては、とても勇気のいる選択でした。
今回は、別の業種に応募してみました。

独り暮らしではないので、幸いにも、
「バイトをしないと生きていけない」生活を送っている訳でありません。


しかし、社会人になる前に、

「働いて上手くいった」体験が、のどから手が出るほど欲しくて、
応募しました。

大学のキャリアアドバイザーやカウンセラー、信頼のおける友人などから、
様々な助言に耳を傾けたうえで、慎重に、選びました。



今のところ、ミスはゼロです。やらかしてもいません。

なのに、どうしてでしょうか

初回の勤務が終わって建物を出て、100mほど歩いたあたりから、
耐えきれない不安と未来ヘの恐怖で、心臓の鼓動がうるさいほど響いてきました。

まだ、トラウマが尾を引いているのかもしれません。

ストレス耐性とトラウマへの耐性もない自分が、数年後、きちんとやっていけている未来が全く見えず、


今日は久々に、憂鬱すぎてどうしてもベットから出られない朝を迎えました。

新学期がようやく始まるというのに、、、
自分の背丈ほどの高さのほそーーい平均台を歩くような危うさがあり、
いつ落ちてしまうか、落ちた先に何があるのか分からなくて、怖い。

トラウマがトリガーとなってパニック状態になりやしないか、怖い。


とはいえ、こうして言語化することで、なんやかんや


だいぶ落ち着いてきました。


今学期で気を付けたいことは、
「自分のネガティブな感情を素直に認めてあげる」。

疲れた時は、「ああ自分はいま疲れているんだな」と肯定してあげる。
しんどい時は、「今日は、しんどい」ことを容認してあげる。

抑圧しない。見て見ぬ振りしない。
自分のSOSに気付いて上げる。
無理やりポジティブな方向に持っていかせなくていい。

きちんと弱音を吐く。抑え込まない。

文字・音声、なんでもいいから、目に見えるカタチでアウトプットすることで、負の感情の存在を認めてあげる。


それだけは、大事にしていきたいなと思います。











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