【強制収容所】ガス室を生きて出た人
5月20日は、収容所がつくられた日です。
アウシュビッツ収容所に行ってきた時のことを書こうと思います。
アウシュビッツはポーランドにあります。実は調べるまで、ドイツにあると思っていました^^;
アウシュビッツに行く時は、冬に行った方が良いと聞いたことがあったので行ったのは1月下旬。
アンネの日記など映像作品で見るのと同じで衝撃でした。寒すぎて、白いモヤがかかっている。
【まず結論】
いつもこの項目から書いていますが、今回はありません。一言で語れるような話ではありませんでした。行くにあたり勉強したことなどを書いていきたいと思います。
【本題】
①ガス室を生きて出た人
『私はガス室の「特殊任務」をしていた』という本で、
著者が1人だけ、ガス室を生き延びた人を目撃したという話がありました。
事前学習をした際に、一番印象に残った部分です。
その人は、
老人でも障害者でも青年でも少年でもなく、
赤ちゃんだったそうです。
ガス室で全員が死亡するまでに20分ほどかかるそうですが、
その間に母乳を飲んでいてあまりガスを吸わなかったからではないかと書かれていました。
もちろん、その赤ん坊は射殺されました。
②75年前は”昔”のこと
正直なところ、祖父母から話は聞くけれど戦時中は昔だという実感しか湧かない。
だけれどアウシュビッツで、今につながっていると感じたことは3つありました。
❶宿舎の外壁。
レンガが1階と2階で微妙に色が違います。
その理由は、後に収容者が増えた時に収容者たちが2階部分をつくらされたからだそうです。
❷ポプラの木
敷地内に生えるポプラの木で、収容者が植えたものもあるそうです。
大きく立派に育っていました。
❸爪で引っ掻いた文字
「お母さん」という文字が寝床などに沢山書かれています。結局、本当に最後に頼りたくなるのは神ではなく母なのだと胸を打たれました。
こういったところから、
アウシュビッツは昔ではなくつい十数年前であり、
今に繋がっているのだと感じることができました。
③歴史の保持か今の尊重か
収容所に隣接する教会では結婚式が行われたり、
すぐ近くには食事をする場所が普通にあったりする事実に、かすかに驚きました。
でも実際に訪れてみて少し考えが変わりました。
それは、自分はガス室に入ったけれども外に出ることができたから。
いくら頭で考えても想像の域を超えているしわかったことにすらならない。
唯一実感できたのは、今生きているということ。
アウシュビッツは”歴史”の前に”墓場”。
収容所の隣とか国外とか関係なく、今生きているということを大事にしたいと思いました。
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