【アウシュビッツ】ガス室を生きて出た人
アウシュビッツ収容所に行きました。
アウシュビッツはポーランドにあります。
実は調べるまで、ドイツにあると思っていました^^;
アウシュビッツに行くなら、冬に行った方が良いと聞いたので1月下旬に。
アンネの日記など映像作品で見るのと同じで衝撃でした。
ポーランドへは、寝台列車でスロバキアのブラチスラバから入国。
早朝、ポーランドに到着し目覚めた時。
寒すぎて、白いモヤがかかっている…!
本当にこういう世界なのか、と背筋が冷たくなりました。
ガス室を生きて出た人
『私はガス室の「特殊任務」をしていた』という本で、
著者が1人だけ、ガス室を生き延びた人を目撃したという話がありました。
事前学習をした際に、一番印象に残った部分です。
その人は、
老人でも障害者でも青年でも少年でもなく、
赤ちゃんだったそうです。
ガス室で全員が死亡するまでに20分ほどかかるそうですが、
その間に母乳を飲んでいてあまりガスを吸わなかったからではないかと書かれていました。
もちろん、その赤ん坊は射殺されました。
75年前は”昔”のこと
正直なところ、祖父母から話は聞くけれど戦時中は昔だという実感しか湧かない。
だけれどアウシュビッツで、今につながっていると感じたことは2つ。
①宿舎の外壁から。
レンガが1階と2階で微妙に色が違う。
その理由は、後に収容者が増えた時に収容者たちが2階部分をつくらされたから。
本当は写真を載せたいのですが、実際に現地に訪れるとあまりカメラを向けようと言う意欲がなくなります。
②ポプラの木から
敷地内に生えるポプラの木で、収容者が植えたものもあるという。
大きく立派に育っていました。
こういったところから、
アウシュビッツは昔ではなくつい十数年前であり、
今に繋がっているのだと感じることができました。
歴史の保持か今の尊重か
収容所に隣接する教会では結婚式が行われたり、
すぐ近くには食事をする場所が普通にあったりする事実に、かすかに驚きました。
しかし、実際に訪れてみて少し考えが変わりました。
それは、自分はガス室に入ったけれども外に出ることができたからです。
いくら頭で考えても想像の域を超えているしわかったことにすらなりません。
唯一実感できたのは、今生きているということ。
アウシュビッツは”歴史”の前に”墓場”であるという事実。
収容所の隣とか国外とか関係なく、今生きているということも大事にしたいと思いました。
美しいから、恐ろしい
当時、ユダヤ人が収容されていた時も、収容所の周りの人々はこんな恐ろしいことが起きているとは想像していなかったそうです。
理由は綺麗なレンガ作りの施設だから。
外見は美しい。
しかし壁の内側には「ママ」と爪で引っ掻いた跡が無数に刻まれているのです。
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