3ヶ月で77冊読んでみて

色々なところで「本を読め」と言われるので試しに始めてみた。

今3ヶ月目で77冊まできた。思ったより続いていることに驚き。三日坊主の自分にはできないだろうと思いながらのスタートだった。

この時注意しているのは、せっかく読んでも忘れてしまうので得た知識など簡単にメモしている。ふとした時に見返すのも楽しい。

読書を始めて考えていること。

❶雑学王になれそうな気になる

「あ、そういえばこんな疑問子供の頃持ってた!」というような内容の答えが本に書いてあるのが一番かな。やっぱりまだネットだと、自分が気になったことを検索するけれど、本の中には"気になっていたことを忘れていたこと"を見つけることがあるかもしれない。

例えば私の場合。13年ゼミや17年ゼミがいるのは知っていた。そして普通のセミは6年眠って7年目に成虫になるのも知っていた。そうなると、いわゆる7年ゼミになるので生殖的隔離が起きて毎年違う種類のセミが街中に溢れ返るのではないか? だけど私たちが目にするのは毎年同じ種類のセミである…なぜだろう。

という疑問。うーむ。上手く伝えられるような例を挙げるのは難しい。

この場合の理由はセミによって誤差があって6年ちょうどで生まれるわけではないからだそう。いずれにせよ、勉強にはなる。


❷作者を意識するようになる。

いつか大学教授をしている人が言っていた。

「学生は教科書に出てくる著名人はもう死んでいると思っている」といった内容。確かに自分も、坂本龍馬や松下幸之助などと同じように文字で登場した人物に対して生きているか?などいちいち考えていなかった。

同様に今読んでいる本も、一体どんな人が書いているのだろう、と最初に確認してから読み進めるように変化した。本は一対一で向き合えるが対面ではない。だから心への響き具合も違う。本ではなく筆者と向き合おうという意識が読み進める中での理解度や自分の意見の創出に役立つ。


❸読書ではなく持ち歩くイメージで。

読書の罠ではなかろうか。本を読んだら満足してしまう、ということは。自己啓発にはなるけれど変わるのは結局自分、そうは分かっていても本を閉じたら終わり、となってしまう節がどうしてもある。だから例えば、物事を習慣化するために読書を習慣化する、といったような手段として捉えるなど、その先の目的が必要になる。

そしてもう一つ。読書によって失う時間の対価。つまり機会費用。

例えば電車内のスマホを読書に変えた場合に、今までしていたスマホができなくなる。例えばメールの返信やニュースの確認など。これを外せないから読書が継続しない、と言う人が多いのではないだろうか。

自分の場合は、歩きながらメールの文面を考えて、電車を待つ間に文面作成して送信。ニュース確認を素早く済ませて読書というのをやっている。ただ、常に本がカバンの中に入っているというのは大きければ重くて邪魔だが小さければ良いことだと思う。せっかく持ってきたのだから、とちょっとした空いた時間に本を開く気分になるし、急に相手が遅れて時間ができた時の時間の有効活用にもなる。

読書をする、というより本を持ち歩く、といったイメージの方が気軽で良いのかもしれない。

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