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花は咲く Flowers bloom in your garden.Ⅸ

「明日になったら街に行けるよ」
子供心に街がどんな所か想像してみた。
人がたくさんいて、家がたくさんあって、おいしいものがたくさんある。
夢のような場所だってお母さんからいつも聞かされた。
従兄弟の捨吉も街で大工の棟梁に弟子入りするって。
また会えるかな?
明日になったらふもとまで降りて、そこで知らないおじさんが連れて行ってくれるって母さんが言ってた。

●大八車

バスに乗り込むとき、なぜだか母さんが泣いていた。
でもね母さん、ここはとっても暖かいんやで。
掘り炬燵って体が温まるんや。
家にあった囲炉裏って顔ばかりほてって手足は冷たいままやった。
こっちの母さんがね、お客さんが来るとき冷たい手で触っちゃびっくりするやろ。
だからようく体を温めておきやって言うんや。

ギィギィって窓の外から音が聞こえてきた。
私は喜んで玄関に飛んでったら、こっちの母さんにおしとやかにしなって怒られた。
「圭二郎さん、こんにちはっ」
ちょこんと頭を下げてからゆっくり見上げた。
「圭二郎さんはやっぱり大きいなぁ」
背の高さが六尺を超える人なんてそういない。
店の入り口から入るときちょっと屈まないと通れないんや。
着物の袖に手を突っ込んで八十文出すとお母さんの前にジャラジャラとばら撒いた。
「ありがとうねぇ」
お母さんは銭をかき集めて懐に入れて面倒臭そうにお辞儀をした。
「そしたら、圭二郎さん。一緒に湯場に行こ」
私は大きな圭二郎さんの手を引いて湯場に向かった。

圭二郎さんは五日に一度顔を出した。
朝明やらぬ時間に大八車に野菜やら薪やら乗せて市場の方に向かっていった。
私は寝床から起き上がって、そっと湯屋から出て市場に出ると、圭二郎さんを手伝って野菜を売った。
だって圭二郎さんは大き過ぎてみんなが怖がって寄り付かないから、私が売らないと野菜が売れ残ってしまう。
たまに暇が出ると畑に行って大根を抜いて洗った。
あの日は圭二郎さんは嫁さんと一緒で陰から見てるしかなかった。
二人きりになれるのは湯屋の中だけやった。

圭二郎さんの嫁は体が弱くて一人目の子供を産んですぐに亡くなってしもた。
それでも私は湯屋であの人を待つしかなかった。
私が大手を振ってあの人のところに行けば周りの人は白い目で私のことを見るやろ。
圭二郎さんはな、あまり喋らんかったけど、時々おかしなことをしてびっくりさせるんや。
街の東の方で火事が出た時はな、居合わせたあの人は横にあったブリキのバケツを頭から被って、棒でガンガン打ち鳴らしながら、街中を走り回った。
「火事や、逃げろや!火事や!」
みんなは「やっぱり頭がおかしいのやろ」って噂したけど、こんなに人のこと思いやる人はおらん、と私は思ってた。

圭二郎さんの嫁さんが亡くなって三回忌の法要が終わった翌日に、
またギィギィ鳴らしながら大八車が湯屋の前に着いた。
私はいつもみたいに玄関で待ってると、圭二郎さんは大きな葛籠を重そうに運んできはった。
怪力の圭二郎さんでも大変そうやった。
そしたらな、お母さんの前にその葛籠をドォンって置くんや。
お母さんがな「何ですのん?」って怪訝な顔して葛の蓋を開けたら、そこに山のような五銭玉が入ってた。
「見受け金や。とっといて」
困った顔して「一体いくらありますの?」
って母さんが言い終わる前に、圭二郎さんは私の手を引いて道を歩き出した。

「ちょっと待って、私裸足や」
そう言ったら、圭二郎さん、私のことな
ひょいって持ち上げて肩に乗せるのや。

「わしの嫁や。みんな見てや、これがわしの嫁や」
顔がかぁーって熱くなって、ほっぺたに赤い花が咲いた。
ああ、なんや知らん、その花の上を涙が流れて止まらんのやわ。
それからな、
あの人の肩の上から見える景色は雲の上より高いって初めて知ったわ。

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