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eスポーツから想ったチームジャパン

ふとeスポーツの現況がどうなっているのか知りたく記事を探してみました。
eスポーツ市場に興味を覚えたのは2018年ごろで、5年以上経た時点で検索しても2016年の記事が上位に出ていることに少し残念な気がしました。
以前にデジタルゲーム研究の第一人者と言われる馬場章氏の講演を聞いたことがあります。古いメモを引っ張り、その時に聴いたお話も引用しながら以下を綴ります。

デジタルゲームの始まりは、1958年にアメリカで開発された「Teniss for Two」と言われています。それ以降は「デジタルゲームを作る文化」と「デジタルゲームで遊ぶ文化」が形成され、いずれも趣味の範囲でしたがその後「作る文化」が職業へと進化しました。「遊ぶ文化」では遊び方も2通りあり、1.競う(ストイック)、2.いちゃいちゃ遊ぶ(エンジョイ)と分かれますが、このうち時を経て1の競う分野から職業(プロ)へと進化していく中でeスポーツ市場が形成しはじめているようです。

そもそもゲームでのコミュニティ形成の出発点としては日米欧に違いがあったようですが、例えば日本ではゲーム機メーカー主導でゲーム喫茶からゲームセンター(黎明期は不良が集う場所と言われていたこともある場所)へと拡張し、その中で「太鼓の達人」のような競技スタイルのゲームも増え、他者を魅了させるようなプレイヤー(ゲーマー)も出現し、YouTubeではゲーム実況という分野も人気を博すなどしてeスポーツという分野が形になってきていると話を伺いながら、その歴史に興味を覚えました。

と、ここまでが5年ほど前の講演でお聞きした話も引用ながら綴ってみましたが、2016年ごろからしばらくの間は「日本にとってのeスポーツ元年」と書いた記事や大手企業がチーム発足やスポンサー傘下したニュースも続けざまに見たりしましたが、今はどうでしょうか。遠くから記事を探すだけの身としては、現在もなお日本のeスポーツ市場は世界(米・中・韓・欧など)と比較するとあまり活性化されていないような気配に映ります。理由としては、ゲームへの偏見や法規制の縛りなどあるようですが、これはeスポーツに限らずデジタル化促進や人材育成/開発などの面においても21世紀以降、日本産業が後手にまわってしまっている一つの事例にすら感じます。

真似て学ぶー、日本は古代より海外から得た知識を日本流にアレンジして国内はもとより世界でも支持されるといった「芸風」が食の文化でも機械の文化でも得意なはずですが、それは物や心が豊かで、ハングリー=掴みたい実現したいものもあり、ひいてはそれが商売にもつながるという志があり、さまざまな要件が起因する中でHONDAがスーパーカブを、SONYがウォークマンを、日清がカップヌードルを、任天堂がゲームウォッチやTVゲーム専用機を出し、RPGを筆頭にゲームジャンルを拡張し世界を席巻したものの、現在は上述の理由等もあり、また一部のみが利権を獲得する構図でチームジャパン精神はスポーツのみに委ねられている感じもします。

いつの時代も打破するのは若いチカラで、大谷翔平選手の活躍に松井秀喜元選手が喝采を送り、松井元選手の功績に大谷選手が敬意を抱くような関係値が家族・地域・学校・職場などで潤った時、日本もまた次の高みが望める気がします。たまたまeスポーツのことが頭に浮かんでのnoteでしたが、序章として綴りました。

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