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思い出せない記憶、思い出さなくていい記憶。〜原体験から感じたこと

人間の脳は不思議。
思い出せない(取り出せない)記憶もあれば、
思い出さなくて(取り出さなくて)いい記憶もある。
私と、私の妹についての話。

まずは妹。
ずいぶんと遥か昔、妹が2歳か3歳くらいのころ、両親が離婚し、妹は母が、私は父が育てるということで家族は離散した。

母はすぐに再婚。妹はそれからしばらくの間、兄がいることを知らなかったらしい。知らされたのは7,8年くらい経っての10歳になったころだった。母方の親戚の祝い事があって、そこに私と妹が幼少期に離れて以来に再会することになったため、親がやむを得ず伝えたようだ。

妹とは年が4つ離れていた。再会したとき、彼女は戸惑っていた。物心がつく前だった幼少期の妹にとっては、当時のことなど何一つ覚えていなくて、最初こそ話もちぐはぐで、実父や実兄への接し方がわからず遠慮しがちだったが、同じ血を継ぐ子ども兄妹がコミュニケーションをとることなど容易ですぐに打ち解けた。

母方での祝い事を終えると、父方の実家も近かったため、妹を連れて向かった。
再会を一番心待ちにしていたのは祖母だった。「さあさあ、上がって」と祖母がいち早く玄関までやってきて招き入れようとする。妹は緊張しながらも靴を脱いであがろうとしたが、そこで動作が止まった。そして、尋常ではないくらいの大きな声で泣き出し、家の中に入ることを拒んだ。

父方の実家であるその家は、幼い頃、妹と2回か3回ほど行って寝泊まりもしていた。行けば、祖母も叔父たちもみんな優しく温かく迎えてくれ、妹も兄と一緒に楽しく過ごした場所だったはずだが、物心という記憶が妹にはなかったころで、当時といえば小さいながら絶え間なかった両親の葛藤シーンを近くで目の当たりにしたり、両親ともに夜の働きに出かけ、兄である私とふたりで留守番しながら夜を過ごしたりという記憶も思い出せない。そもそも兄がいることを知らなかったし、今暮らしている義父が本当の父と思っていた妹にとっては、脳内に何かのパニックが生じたものだったのだろう。

結局、その日はその家の玄関を跨ぐことができなかったが、兄妹のコミュニケーションに時間をかけ、翌日に再度訪れた際はパニックにはならなかった。遥か昔の事、大人になってからの妹は私より多くそこを訪ね先祖の仏前参りに行っていることには頭が下がる。

ふと、
そんなことを思い出してnoteに書いているのだが、
そのきっかけは、最近もうひとりの妹から電話があったこと。

父親が再婚をしてから生まれた異母妹で、彼女もまた父の二度目の離婚で父や私と離れた。今と違って携帯もLINEもない時代、ましてや子ども。離れてからしばらくは手紙のやりとりもしたが、どちらからともなく途中で途絶え、数年経って再会したとき、彼女は少し変だった。それを私は強く注意した。

後になって注意の仕方を後悔した。その注意は妹のためではなかったと。妹のためという偽善を盾にした、それ以上に「余計な問題は起こさないでくれ」といった自分自身のためが強かったと振り返る。寄り添うふりして寄り添っていなかった、寄り添い方がわからなかった。詳細は書けないが、妹は盲信し混乱し、自分は行く末に怯えたのだ。それから妹は姿を消した。

あれから相当に時が経ってからの連絡。30年近くたつ。嬉しかった。
間を執り持ったのは、高齢になった田舎の叔父と叔母だった。
いろんな懐かしい話をしていくうち、私が変を感じた当時の話をした。
彼女はそこの記憶がなかった。
とぼけているのではないことは察しがついた。
強いショックがそこにはあったと感じた。
それ以上聞く必要はない。
電話から聞こえる今の彼女は生きた声をしていた。
自分も謝ることはしなかった。
辛かっただろう、
しかし正気に戻って生きる姿に元気をもらった。

私自身にも記憶が思い起こせない時期がある。
順風であったと感じていたころ、ひとつが崩れ、連鎖する雪崩のように激しい逆風に晒され、膝から落ちていくような言われのない罵声を幾度か浴び、自分自身も何をしたくてそれを言ったのかと冷静でなかった。人も離れていくのがわかったし、怖かった。核心とは全く関係ない当時の話が出たとしても、時代ごと思い出せず、覚えているのは罵声のみ、罵声だけは覚えている。誰から何を言われたかを。
そんな時期だからこそ記憶を消しているのかもしれない。

ただ、あのころ言われのない罵声と思っていたことが、実はそういう一面もあったかもな、と後々自分の疾しさに気づくときもある。心境は変わるもの。

事実と現実はひとつだが、人の目に映る真実は幾多もあること体感。

おしまい。


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