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「ヒプノセラピー×アートのセッションを受けた100名の魂の肖像画100点を鑑賞できるアート展〜光彩のタペストリー展〜」に行って感じたこと、とは?


はじめに

SNSのタイムラインで友人が投稿したのを目にして気になり、調べてみると行きやすい場所で開催されていたので思いつきでよく知らないまま行ってみました。

こちらでは「ヒプノセラピー×アートのセッションを受け、自分自身の中にある答えに辿り着いた100名の、内なる美しさである魂の肖像画を描いた絵画100点を鑑賞すること」ができます。

実際に行ってみると、結論、今の自分に必要な気づきをもたらしてくれるとてもいい体験ができました。

この記事では展示の内容というよりも、そこから私が何を受け取ったのか?について書いていきたいと思います。

今回一番気になったこと

まず展示のメインである100人の内的世界が表現された作品、1つ1つがとてもパワフルに感じられ、素敵でした。

1つ1つの作品がその人の世界を覗く窓のように見えた。「この100人の世界が並び、覗き込むことができる、今私が立っているこの場所は一体なんなのだろう?どこなんだろう?」という、そこに意識が向く私がいました。

1つ1つの作品はとても素晴らしかった。
今回の私に飛び込んできたのは作品を観ることができるこの場・スペースだった。

この問いに対する答えを考えてみるならば、先日パルクールシーンの日本の第一人者であるZENさんの初の個展に行った時に感じた

「作品とは、その人が絶え間なくその人にとっての世界と出会い続けているという営み、言い換えればその人がいつも見て聴いて感じている世界を切り取った静止画のようなものであり、その世界を覗く窓のようなものでもある」

という捉え方のままに、1つ1つの作品を形にされたお2人が100人と行った作品づくりの記憶が一堂に会している記憶の貯蔵庫、言い換えれば「お2人の内的世界が見える化されたもの」という答えが1つ。

もう1つ浮かんだのは、経営学者で工学博士でもある田坂広志さんが2022年10月に出版された「死は存在しない」の中で紹介されている「ゼロ・ポイント・フィールド仮説」でいう「ゼロ・ポイント・フィールド」であるということ。

「『ゼロ・ポイント・フィールド仮説』とは、一言で述べるならば、この宇宙に普遍的に存在する『量子真空』の中に『ゼロ・ポイント・フィールド』と呼ばれる場があり、この場に、この宇宙すべての出来事のすべての情報が『記録』されているという仮説である。」

たとえば仏教の「唯識思想」における「阿頼耶識」と呼ばれる意識の次元。古代インド哲学の思想「アーカーシャ」の中に、ゼロ・ポイント・フィールドと極めてよく似た考えを見ることができる。ゼロ・ポイント・フィールドには、過去から現在までの出来事の情報だけでなく、未来の出来事の情報も存在するという。

著者はさらにすべての情報はゼロ・ポイント・フィールドの中に「波動情報」として記録されていると付け加える。量子物理学的に見るなら世界のすべては「波動」であり、情報は「波動干渉」を利用した「ホログラム原理」で記録されているという。ホログラム原理とは、波動の干渉を使って波動情報を記録する原理のこと。

「量子真空が、一三八億年前に、この壮大な森羅万象の宇宙を生みだした場であり、その中に、無限のエネルギーを宿している場であることを考えるならば、不思議な説得力をもった仮説である。」

ForbesJapanのこちらの記事から引用

100枚のうち一番気になった作品

私にとって他の作品との異質さを強く感じた作品だったので気になったのかなぁ。Miccoさんという方のもの。私の撮り方が下手で反射?してしまっていますが、本当はもっと背景の黒さがハッキリとしていて美しく、白が貴重の動物、龍や人のような存在が浮かび上がってくるように感じられるところが印象的でした。

もしかしてシンクロニシティ

こちらがイベントのフライヤーです。左側に照明の色が入ってしまって本来のカラーではないのが申し訳ないのですが、とても素敵なデザインです。

中央に見える円柱のような光の柱の根本には、今回作品を展示されている100人のモチーフが並んでいるそうです。そして、フライヤーには101とあるのは、今回の展示を観に来たあなたが101人目という意味が込められているとのこと。

話が一気に変わったと思われると思いますが、私はもともとチームラボ代表の猪子寿之さんの思想・感性が好きで動画や記事などよく読んでいました。今週になって数年ぶりにブーム?が戻ってきて動画を見直したり、新しく観たりしていて、今朝ちょうど観た動画がありました。それは、2021年4月18日に投稿されたABEMA Primeで猪子さんが仕掛ける新サウナについて特集されたものです。その中で猪子さんが冷水シャワーのコンセプトについて語っているシーンがあります。

ここで言われている「円相」についてウィキペディアを調べてみると、

円相(えんそう)は、における書画のひとつで、図形の円形)を一筆で描いたもの。「一円相(いちえんそう)」「円相図(えんそうず)」などとも呼ばれる。

悟りや真理、仏性、宇宙全体などを円形で象徴的に表現したものとされるが、その解釈は見る人に任される。

とのこと。静止画では伝わらないので詳しくはこちらの動画を観てみて欲しいのですが、

こちらの画像の中心に写っている光の周囲に見えるものがシャワー、水しぶきです。

角度を変えて捉えたものがこちら。

今日の今日見たからすぐに想起されたのだと思いますが、フライヤーの中央の光と通ずるものを感じませんか。

そんな話を主催者の宇野豪佑さんにさせていただいたら、他の主催者2名の方はチームラボ出身とのこと。(後で見てみたらイベント紹介サイトのプロフィールに書いてありましたね 汗)

なんとなく共時性を感じたのでした。

帰りしなに思ったこと

帰り道の途中に神社があることを知っていたので、寄ろうと思いました。私は神社参拝が好きでよく行くのですが、と作品がその人の無意識を覗く窓という捉え方を神社に置き換えてみるという思考が働き、本殿1つ1つが何らかの窓で向こうからこちらを覗いているような感覚が芽生えたのです。逆を言えば、こちらもまた「向こうの世界(どこの世界!?)」を覗いているとも言えます。

この感覚は初めてだったので面白かった。

こちらは帰りに寄った神社。建物など色々なものが急に作品を観るためのデバイス的に見えてくるから面白い。

他に連想が広がったもの「くじら」つながり

作品をつくる上でのヒプセラピーを担当されている宇野豪佑さんに、今回の展示でも印象的だった「くじら」のモチーフから、「なぜくじらなのか?」という問いを皮切りに話をしていく中で、ふと数年前に映画化された漫画「海獣の子供」を思い出しました。

こちらは映画のサイト。私は漫画の方が好きです。

読み直してみようかな?

あと、「くじら」つながりで浮かんだのが映画「竜とそばかすの姫」の舞台の1つである仮想世界の中で泳ぎ回るスピーカーをたくさん背負った巨大でカラフルなくじらでした。

中央に写っているのが「くじら」
「millennium parade - U」youtube動画(以下)の一部をスクショしたもの

映画館で観た時に、上記の歌が大音量で流れてきた時が最大にして唯一の映画を観にきてよかった、というピークでしたw

こちら上記の動画を見ると分かるように、仮想世界とそこで生活する現実世界の私とは異なるアバターな私を、スマホの液晶画面という窓から覗いている、というのは今回書いてきた構造と似たものが見て取れる気がして、何が違うのか?というのは興味深い探究ポイントだなぁと思いました。

「デジタル集合的無意識」とか、「デジタル・ゼロ・ポイント・フィールド」とか、そういう組み合わせって興味深いな。

私は、落合陽一さんの提唱されている「デジタルネイチャー」という言葉には昔から惹かれています。

「図らずも我々は、自らの感覚器を基準にして自然環境をつくり変えています。それを意図的に行って環境と技術、ひいては人間と機械の融合を促しうるものがデジタルネイチャーです。私自身、人間が生み出したテクノロジーで『新たな自然』を構成することにフォーカスし、研究・教育活動やアート制作に取り組んでいます」

こちらの記事から引用

この意図的につくり変えられる対象である自然環境の中に、集合的無意識やゼロ・ポイント・フィールドが含まれているとして、それらが例えば上記の映画でいう仮想世界というデジタルなネイチャー側から影響を受けて、変わる、すでに変わりつつある、

あるいは、インターネットが登場して以来アクセスできる全員があまねく、個人が潜在意識のセッションを受けているかのようなプロセスが進行・深耕している真っ只中だとしたら。

そんな風にも発想が広がりました。

さいごに

展示に刺激を受けて、そこで得たものだけではなく、このnoteというキャンバスにアウトプットする中で新たに生まれた発想もあり、これもある種の作品づくりなのだなと感じます。

こういった表現をするエネルギーをもたらしてくれた展示、主催者・制作者のみなさまに感謝の気持ちが湧いています。ありがとうございました♪


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