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ドラッカーの言う「位置」と「役割」で捉える多様性のある会社組織とは?

はじめに

最近、こちらのオンラインコミュニティーのとある分科会に定期的に参加しています。

その中で、ティール組織を実践されている、株式会社TXT代表の片桐さんが
経営者が「うちの社員はまだできないよ。まずは研修から」と言う機会が
多いという話題に対して、自社でのご経験をお話してくださいました。
 
※片桐さんのインタビューはこちら。
(本インタビューは本記事の話とは一切関係ありません。片桐さんの取り組みが素晴らしいので紹介したくて貼っています。)

そのお話の中で、片桐さんが(上記の経営者が言うような意味での)教育・研修とティール化は関係ないと思っているといった旨をお話され、その背景なども言っていたのですが、細かい内容を忘れてしまいました 汗
 
ですが、ちょうどこの分科会で話題になっていた「多様性のある会社組織」というテーマと、この片桐さんの話が繋がった気がして、浮かんだことがあるので今回の記事を書くことにしました。

「位置」と「役割」で捉える多様性のある会社組織とは?

多様性のある会社組織とは「こういう特徴もあるのかも!」と浮かんだ話になります。
 
いきなり引用から入っちゃいますが、P.F.ドラッカーは、その著書である「産業人の未来」でこんなことを書いています。

社会というものは、一人ひとりの人間に対して「位置」と「役割」を与え、重要な社会権力が「正統性」をもたなければ機能しない。
 
P.F.ドラッカー(2008).産業人の未来 ダイヤモンド社 P24から引用

ここで言う社会を、会社組織の中で考えた時に、「位置」とは、自分のアイデンティティみたいなもので、例えば、株式会社〜の、〜事業部の、役職の、正社員といったことがそれにあたるのではないでしょうか。
 
また、「役割」は、職種・仕事内容がそれにあたるかと思います。
 
なお、上記の権力の正統性の話は一旦置いておきます。
 
この前提を踏まえたうえで、昨今のティールなどの文脈で言われるような
経営者側から見た自主経営ができる人材を捉え直してみると、
 
通常であれば、与えられたものであるという自覚すら持ちにくい会社組織内の「位置」と「役割」を自分で創造できる人(会社との接点を踏まえた上で)というイメージが先行しているんじゃないかと思ったんです。
 
でも、実際には会社組織には「位置」と「役割」を誰かから与えられることで安心できる人・パフォーマンスを発揮できる人がいるのも事実。
 
そう考えると会社組織には、

(1)自分で位置と役割を創造したい人
→自身の意図と、組織との重なり具合(あるいは組織の体制的許容範囲)で、新規事業部長になるか、業務委託になるかなどのグラデーションがありそう。
(2)組織内で位置と役割を自ら選びたい人
(3)位置と役割を与えられたい人

という面での多様性があると言えるのではないでしょうか。(成人発達理論のように、さらに細かいグラデーションがありそうですが)
 
そして、従来のピラミッド型組織ではこれらの人たちが役職などに隠れて、潜んでいる・可能性のままの状態である、と言えるかもしれません。
 
そして、ポイントになると感じたのは例えば、自主経営を目指した際に「全員が」「すぐに」(1)(2)になろう!というのではなく、
 
(3)の人とその人のペース(あくまでその組織の経営方針など大外のペースはあると思いますが)も尊重できる・許容できるかどうか。
 
また、多様性となると雇用形態の話になることが多いと思いますが、この形態の話は、(1)(2)の人たちの話だと思うので、
 
(3)の人たちが心理的安全性を感じられる環境が担保されているかどうか。
 
 
ここに、ドラッカーの言う「位置」と「役割」という文脈においての「多様性」を持った組織かどうかの違いが出てくるように思いました。

さいごに

今回、ドラッカーを引用しましたが、引用文の後にも深く・本質的な言葉があり、ぜひそれぞれに咀嚼していただきたいと思ったので紹介して終わりたいと思います。

われわれは、社会を定義することはできなくとも、その機能の面から社会を理解することはできる。
 
社会というものは、一人ひとりの人間に対して「位置」と「役割」を与え、重要な社会権力が「正統性」をもたなければ機能しない。
 
前者すなわち個人に対する位置と役割の付与は、社会の基本的枠組みを規定し、社会の目的と意味を規定する。後者すなわち権力の正統性は、その枠組みの中の空間を規定し、社会を制度化し諸々の機関を生み出す。
 
一人ひとりの人間が社会的な位置と役割を与えられなければ、社会は成立せず、大量の分子が目標もなく飛び回るばかりである。他方、権力に正統性がなければ、絆としての社会はありえない。すなわち奴隷制あるいは単に惰性の支配する真空が存在するだけとなる。

P.F.ドラッカー(2008).産業人の未来 ダイヤモンド社 P24から引用

今回は、正統性については置いておきましたが、どこかのタイミングで考察してみたいなと思います。
 

 


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