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市場規範と社会規範を図にしてみた〜タダの箱庭を活用して考察〜


はじめに

最近、通称「タダの箱庭」本をつかった読書会を行なっています。

このプロジェクトでは、行動経済学の用語である「市場規範」と「社会規範」という言葉に象徴される、全くルールが異なる2つの世界を私たちは生きている一方で、この2つのルールが全く異なる世界をごちゃ混ぜにしてしまっていると言います。

市場規範と社会規範についての図を考えてみた

この「市場規範」と「社会規範」の2つを図にできないかな?と思い、寝かせる期間も経てできあがったたたき台がこちらです。

この図で表現したかったことは、まず社会規範と市場規範は違う次元にあるということ。ルールが違うということ。(これはハコニワ本で表現されていること)そのルールを表現する言葉として、私は勝手に共感という言葉を用いています。(その意味するところについてはこちらの記事を参照ください)フィール&シェアというのも暫定ですが、社会規範の世界を象徴する動詞として載せています。そのことを表現するために、市場規範は地球の中の話、社会規範はその地球の重力とは違うルールの話といったイメージをしやすいように上記の図を選びました。

※細かい補足
厳密に、市場規範と社会規範がそれぞれが地球、宇宙と符号しているかは別の論点なので今回はあくまで違う次元ということを表現したくてつかいました。

表現したかったことその2は、市場規範を分けて捉えてみること。ここを考えるきっかけとなったのは、お金と私たちが共通して呼んでいるものが介在しなくても市場規範なことってあるよね?と思ったことでした。

そこから色々考えて、最初は社会規範自体を市場規範の相対として置いていたのですが、表現したいことその1から同じ象限に置くことは適切ではないと思い、よくある表現かもしれませんが愛と恐れを極として置く軸をつくりました。(本当に愛でいいのか、愛情ではないか?という検討事項が残っているのですが、ひとまず仮置きで)

ひとまずたたき台としてつくりましたが、論点は結構残っています。

例えば、市場規範の枠に置いている「お金を介在させない × 愛」の象限は社会規範ではないのか?があります。この問いは、この図の表現自体に影響を与える大きなものですね。

こちらは現時点では、この象限に位置すると思っているのは

(1)自身にとって健康的な量やペースで愛から交換する行為
(2)また自分の喜びと他人の喜びが一致することでお金が介在しない行為

といったことが、この象限に当てはまると思っています

では、上記は社会規範ではないのか?というと、違うと私は捉えています。その理由は、市場規範と社会規範の満足のゴールがそれぞれ、「交換」と「共感」にあると考えているからです。

>「交換」と「共感」について詳しくはこちらの記事を参照ください。

この違いはクラファンがイメージしやすいかもしれません。

社会規範でクラファンで応援するとしたら、リターンではなく応援の気持ちを「想いを共有できていることを表現する行為」として「ただ応援」を支払うだけで当人として幸せな気持ちを感じているはずです。

一方で、本当はそうしたいけれど、該当するリターンがない場合、何を交換するか?を考えて応援することになりますよね。その場合、当人の意図はどうであれば行為自体は市場規範、交換モデルの中の「お金を介在させない × 愛」の行為に当てはまると思ませんか。

これが現時点での考えですが、引き続き検討していきたいと思います。

さいごに

このような形でこの図だけでもまだまだ論点はありますが、読書会を続ける中で探究を深めていきます。


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