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ライフリンク・メディア報道・故山本孝史さんの思い出①

末期がんと闘いながら、自殺対策基本法の成立(2006年6月)にまさに命をかけて尽力し、2007年12月に亡くなった元民主党参院議員の山本孝史さん。ライフリンクの清水康之代表と組んだ強力タッグで、画期的な法律を生み出しました。山本孝史さんの功績を伝える報道を見ていきます。

2006年5月22日、山本孝史さんは参議院本会議の代表質問に立ちました。山本さんは、自らのがんを公表したうえで、がん対策基本法と自殺対策基本法の早期成立を求めました。
まさに命を懸けた訴えは、与野党だけでなく議場を超えて各方面で大きな共感を呼びました。法案成立への機運は一気に高まりました。
                  (ライフリンク・ヒストリー⑮)

山本孝史さんの議会史に残る名演説の最後の一節です。
「本院厚生労働委員会では、自殺対策の推進について全会一致で決議を行いました。私は、命を守るのが政治家の仕事だと思ってきました。がんも自殺も、共に救える命がいっぱいあるのに次々と失われているのは、政治や行政、社会の対策が遅れているからです。年間30万人のがん死亡者、3万人を超える自殺者の命が1人でも多く救われるように、何とぞ議場の皆様の御理解と御協力をお願いいたします」

山本孝史さんと清水康之代表の強力タッグについては、ライフリンク・ヒストリーでも紹介しています。

「当事者」の重みを信じ、がん対策に取り組む--山本孝史(やまもと・たかし)さん
 「がん患者は先のことが考えられないつらさと向き合い、一日一日を大切に生きている」。医療制度改革関連法案を審議する22日の参院本会議で質問に立ち、自らがんであることを公表した。事務所に届いた激励メールに「励みと受け止めてくれた人がいたのなら、思いがけない喜びです」。
 がんが発見されたのは昨年暮れ。月に1度の抗がん剤治療を受けながらの政治活動だ。今は与党と民主党がそれぞれ提出した「がん対策基本法案」の今国会成立に力を注ぐ。「何が必要で、解決にはどういう段取りを設けなければならないのか。土台作りには法律が必要」と訴える。
 5歳の時に交通事故で兄を亡くした経験から、学生時代は交通遺児の支援活動に携わった。国会議員になってからも、薬害エイズ問題や自殺対策など、常に「命」の問題にかかわってきた。(2006年5月29日 毎日新聞「ひと」

山本孝史さんの功績を伝える新聞各紙

「いのちをかけて いのちを守る」。2005年12月にがんで余命半年と告げられてから、自らのキャッチフレーズにしていた。この言葉通りの人生だった」(2008年1月22日 読売新聞「追悼抄」

「これはおれの置き土産だから」。NPO「自殺対策支援センター ライフリンク」(事務局・東京)の清水康之代表(35)は、がんを告白した後、自殺対策基本法制定に渋る議員を一緒に説得して回った時の言葉を覚えている。「執念に押され、自民の議員も協力してくれた。党利党略でも私利私欲でもなく、国民の命のために行動した」(2007年12月24日 朝日新聞

もうすぐ山本孝史さんの一周忌が巡ってくる。
 衆参で通算14年、年金、薬害エイズ、自殺と、一貫して「いのち」を取り上げた国会議員だった。
 一昨年5月の参院本会議が印象に残る。がんを告白し、がん対策基本法の成立を訴えた。東京で2年、政治の現場を取材し、与野党双方から拍手が起きたのを見たのは、あの時だけだ。「思いに応えよう」と法案は翌月、成立した」(2008年12月13日 読売新聞

研究雑誌「ボランタリズム研究」(社会福祉法人大阪ボラティア協会ボランタリズム研究所編)に清水康之代表が山本孝史さんとの思い出を寄稿しています。
「YouTubeで、1日平均500回以上、通算66万回以上視聴されている、ある政治家の国会演説がある。2006年5月22日に、参議院の本会議場で行われた代表質問である」(注・現在は109万回以上)

「その政治家とは、民主党参議院議員の山本孝史さん。自殺対策やがん対策だけでなく、薬害エイズ問題や難病対策、障がい者支援や中国残留孤児支援などに取り組み、『いのちの政治』と称されている方だ」
「自殺対策の法制化に向けて共同戦線を張った。山本さんは政治家として、当時は野党議員であったが国会内をとりまとめる役を担い、私は山本さんが超党派で連携しやすくなるように、自殺対策への社会的気運を高める役割を担った。そうやってずっと、二人三脚で進めてきたのである」
「山本孝史さんがいなければ、日本の自殺対策はいま以上に遅れていたことは間違いない。また、山本さんがいなければ、自殺対策基本法に現場の声がこれほど反映されることはなかっただろうし、官民の連携がいまのような形で進むことはなかっただろう」

清水康之代表の寄稿は次の文で終わっています。
「山本さんから受け取った『命のバトン』。私も次の走者に手渡すまでは、しっかりと握りしめながら全力で走り続けていく決意だ」

写真は、宮城県・松島の藤田喬平ガラス美術館にて。


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