日記 2024/03/04〜2024/03/10 今年初の野球観戦

2024/03/04

阿久津隆「読書の日記」の1巻目、装丁にクマさんの絵が描かれているからそれを僕はクマさんと呼んでいるが、そのクマさんを読了するまでに11ヶ月要した。で、今は「読書の日記 本づくり スープとパン 重力の虹」を読み進めているわけだが、読み始めて5日で半分以上読み進め、このままいけばあと数日で読了することになる。クマさんは1,100ページ、「本づくり スープとパン 重力の虹」は664ページなので、そもそものページ数が違うことに加え、「本づくり スープとパン 重力の虹」は文庫本サイズであるのに対し、くまさんはそれよりも一回り大きいサイズだったから、単純にページ数だけで比較することもできないのだが、少なくともクマさんは「本づくり スープとパン 重力の虹」 の2倍程度のボリュームがあったということだ。

それにしてもだ、半分以上読んでいるというのは、読み進めるスピードがさらに上がったように思う。それはクマさんが重たくて分厚い本だったから、残りページが少なくなるにつれて本を持つときのバランスが悪くなり、特に仰向けの状態で読むときに腕が辛くなったこともあって終盤は意識的に読むスピードを上げ読了し、そのスピードのまま「本づくり スープとパン 重力の虹」を読んでいるからでもあるし、単純に面白くて読むのを止められれないということもあるのかもしれない。

日記を読むというのはこういうことがある。1日につき1日分といった感じで細切りに読むこともできるが、1日1日の区切りはあるにしろ連続した日々のことが書かれ終わりがないから、一度ゾーンに入ってしまえば際限なくずっと読んでいられる。「読書の日記」に関してはこのゾーンに入ったということで、現時点で刊行されている残り4巻分もこの調子で読んでしまいそうだ。「本づくり スープとパン 重力の虹」を読み始めたときは、クマさんのときに要した時間からして、早くても1ヶ月くらいで読み終えるだろうと思っていたが、思っていた以上のペースで読んでいて、その状態が今はとても心地良い。「オン・ザ・ロード」と「訂正可能性の哲学」も読んではいるが、それは会社に持って行って読むための、朝や昼に読む用になっていて、家ではもっぱら「本づくり スープとパン 重力の虹」を読んでいる。

 ファクトみたいなことに興味がない、と思って、今日アップできることになった「ひとの読書」をアップする準備というか、アップできる状態にする作業もしていた、それは原稿直しより前、到着してすぐのときにしていた、それをしてから原稿直しをやっった、その「ひとの読書」でも僕はファクトには興味がなくて、正しさには興味がなくて、それを考えていたら、正しい回答は一種類しかないけれど間違っている答えには無限の可能性があるから、ということなのかもしれない、と思った。間違いには豊かな多様性がある。そう思ったらいよいよファクトチェックなんてどうでもよかった。

阿久津隆、『読書の日記 本づくり スープとパン 重力の虹』(NUMABOOKAS) p260-261


今朝、娘は下痢をしていた。一昨日に腹痛を訴えていて、昨日は一旦良くなったが、また今日は調子を崩している。下痢以外に症状はなくて、朝からまた妻と喧嘩のようなやり取りをするくらいに元気はあって、幼稚園にも行ったし今のところは様子見だが、年長さんと過ごせる時間は今週いっぱいまで、今週いっぱいまでと書いたところで一気に寂しさが襲ってきた、とにかく今日入れても5日間しかなくて、なんとかこの5日間を元気に年長さんと過ごしてほしい。だから早く腹痛が良くなって元気になってほしい。無理してでもとは思っていないし、さらに調子が悪くなれば休むことも仕方ないが、そうならないように、少しでも悪化するようであれば早めに病院に行って診てもらうようにしたい。しかし、あぁ、年長さんと過ごせるのもあと5日なのか。

そして考える。来年の今頃は、娘は卒園間近だということ。1年なんてあっという間だ。小学校に入れば楽になると、中学生の姪を育てた弟家族は言うが、それは親元から離れていくということも意味するはずで、だから小学生になれば娘との関係も変わっていくことになるということで、この1年の娘との過ごし方というのは貴重なものになるのかもしれない。きっとそうなんだろう。

今日はオープン戦がない1日。月曜だからレギュラーシーズンと同じこと。昨日は教育リーグでウォーカーとリチャードがホームランを打っていた。ウォーカーは次の試合からまた1軍に合流するらしい。ウォーカーが調子を上げてきたら、スタメン争いはますます白熱することのなる。正木も上がってくるらしいが、正木もその争いに加わることになるんだろう。先発ローテ争いも面白いが、今は打線の調子がいいから、野手のレギュラー争いの方が気になる。育成の川村が良い活躍をしているから、周東とのレギュラー争いも最後までもつれそうだ。川村が競争に勝つということはそれは支配下を意味するわけで、レギュラーを奪う形で支配下も勝ち取るなんて胸熱だ。

今は「読書の日記」と野球が面白い。

2024/03/05

娘の下痢は続いている。

昨日は1日に数回下痢をして、深夜にも起きて下痢をしたので明らかにおかしいとなり、今朝一で病院へ。結果、ウイルス性胃腸炎とのこと。医師から今日は幼稚園を休むようにと言われ、年長さんと過ごせる残り日数が少ない中での貴重な1日ではあったが休ませるしかなかった。

下痢は続いているし、下痢の前には腹痛は訴えはするものの泣くほどのものではなく、ずっと腹痛が続いているというわけでもなさそうなのはまだ良かった。下痢をする直前にお腹が痛い、と言って、下痢をしたあとはケロッとして、機嫌もいいし、妻とプロレスをする余裕もあるくらいには元気だ。午後も数回下痢をしていたし、しばらくは続くかもしれないので、特に脱水状態にならないようには気を付けてないといけない。

1年くらい前から後追いで少しずつ聴いてきた超相対性理論だが、昨日聴いた回で深井龍之介さんが番組から卒業した。いずれ深井さんが番組から卒業することは知ってはいたし、卒業するまでの数回は深井さんがいなくてゲストスピーカーの回が続いていたから不意の卒業というのでもなかったが、それでも深井さんが卒業することに寂しさを覚えた。
図ったわけではないが、卒業のこの時期に深井さんも番組から卒業。卒業の季節。

オフィスまで歩く30分の間はずっと音楽を聴いていたのだが、数ヶ月前に一度「超相対性理論」を聴きながら歩いたら頭が活性化して仕事にも入りやすいことがわかって、それ以来朝はずっと「超相対性理論」を聴くようにしている。そうして「超相対性理論」を聴く頻度も上がって、ようやく深井さん卒業の回まできた。歩きながら聴くPodcastはとてもいいというのが、この数ヶ月「超相対性理論」を朝に聞き続けてきたことの結論で、だからこれからも朝にはPodcastを聴き続けていきたい。

しばらくはまだ「超相対性理論」を聴くことができるが、そのうち最新回に追いついてしまう。そうなったときにはCOTEN RADIOやらゆる言語ラジオやら聴くものはたくさんあって困りはしないのだが、一昨日に宮崎智之さんと今井楓さんがパーソナリティをしている「BOOK READING CLUB」という番組を見つけた。タイトルのとおり、この番組では様々な本が紹介されるようだ。まだ番組の紹介のような回しか聴いていないが、とても面白くなりそう。宮崎智之さんの声を初めて聴いたが、想像していたよりも低くて渋い声だなと思った。

宮崎智之さんといえば、「モヤモヤする日々」の著者で、いつも寝る前に少しずつ読んでいる。その宮崎智之さんが本を紹介してくれるのであれば、それは面白くなるはずで、この番組を聴くのが今から楽しみだ。というか、なにも「超相対性理論」の最新回に追いつくのを待つ必要もなく、今から聴き始めたっていいわけだ。

というわけで、本番が始まる前の予告編と、BRC始動宣言の「一匹と九十九匹と」を続けて聴いてみた。「一匹と九十九匹と」がすごいエモい回だった。文学やラジオに救われた、あなたが孤独な1人であっても私たちだけは決してあなたを見捨てることはない、自分たちが文学やラジオに救われたようにたった1人の孤独なあなたを救う。すげー。

2024/03/06

今日から深井さん卒業後の超相対性理論。近内悠太さんのゲスト回「思いがけずアナキズム」の第1回。

聴いていると、「BOOK READING CLUB」の「一匹と九十九匹と」にも通じることがあって、昨日感じたエモさを思い出した。村上春樹がエルサレム賞の受賞スピーチで話した壁と卵の話、壁が強固なシステム・社会で、卵があたって砕けるものだとすれば、自分は卵の側につくということ。宮崎智之さんが「一匹と九十九匹と」で九十九匹の社会は無視できないと言いつつも、孤独な一匹を救うと言ったこと。

聴きながら歩いていて朝から色々と考えた。はずだった。
はて、何を考えたんだっけな。考えてたこともすぐにメモをしないと忘れてしまう。

そうか、ゲームというワードが出てきていたけれど、そこで東浩紀の「訂正可能性の哲学」のことを思い出したのだった。

鬼ごっこがケイドロに、ケイドロがかくれんぼにいつの間にか変わる子どもの遊びのように、ゲームのルールは知らず知らずのうちに変わることがあるが、それは同じゲームとして錯覚される。この知らず知らずのうちにルールが変わるのは、アナキズムと言えるのか。アナキズムの一種だとして、ゲームに参加している者は同じゲームだと錯覚しているのだから、自らがアナキストであることには気づかない。であれば、それがアナキズムであったと認める第三者が必要となるのか。

あとは文学のこと。文学者が行っている言語の更新というのはアナキズムではないか。使い古された言葉を疑い、言葉の使い方に反抗し、言葉を更新していく。硬直した言葉をほぐして、言葉を刷新し、もしくは本来の姿を見せる。

なんてことを考えた。

さて、昨日のホークス戦はレギュラーシーズンの試合ばりに面白かった。特に9回裏の攻撃。川瀬から始まって、ウォーカーがしぶといヒットを打ち、調子の上がらない牧原もヒットで続く。そして谷川原のサヨナラ打。すごい興奮した。しかしウォーカーの応援は凄まじいものがあった。応援歌にはうといし、何年も試合を観続けていて誰がどの応援歌であるかほとんど認識していないが、ウォーカーの応援歌は格好いいと思った。シーズン中も盛り上がりそうだ。

で、今日はPayPayドームで現地観戦。

2024/03/07

娘の下痢はほとんどよくなってきて、昨日から幼稚園にも行き始めた。1日休んだ程度で済んで良かった。年長さんと過ごせるのもあと3日か。

昨日は、今年に入って初めてのPayPayドームで、それはポストに無料招待券が入っていたから行ったのだけれど、500円で内野指定席に変更できることを知って、シーズン中であれば値段も高い内野指定席がそんな値段で利用できるのであればもちろんそうする、ということで、仕事が終わってすぐ18時半に友人と待ち合わせ、7番ゲート近くの窓口で内野指定席に交換してもらった。3塁側の席だったが、前から13列目とかの今までにないほど近く見える席で、サードのスタメンだった井上朋也とかすぐそこにいるような感覚だった。しかし井上朋也は割とぴちっとしたユニフォームを着ているからかもしれないけれど、入団した頃と比べて体がガッチリしたなぁと思う。テレビで見ていてそう思っていたけれど、生で見て改めてそう思った。今年のオフシーズンに栗原との自主トレでアメリカに行き、そこで大分鍛えたそうだけれど、その大きくなった体を見てアスリートの凄さを思った。

で、肝心の試合だが、渋い試合だった。互いに4本ずつのヒットしか打てず、つまりは投手戦の締まった試合になったわけだが、ホークスはその4本のヒットで、周東の足というチート技を使いながら点をもぎ取って勝った。改心のヒットというのもなくて打線はなかなか見所がなかったが、それでも今宮の調子の良さは際立って見えた。川瀬も頑張っているけれど、このままオープン戦を突っ走ればおそらくショートのレギュラーは今宮で、そして2番で良い仕事をしてくれそうな感じ。

打線こそ渋かったが、投手に関しては、特に継投に入ってからは1本もヒットを打たれていなかった。昨シーズンPayPayドームに観戦に行ったときには一度も生で見ることができなかったオスナを初めて見ることができたし、ヘルナンデスも投げた。藤井と松本裕樹の勝ちパターンも投げていたが、この2人は圧巻で、特に藤井は三者連続三振で打たれる気が全くしなかった。で、今年から先発転向のモイネロも、昨シーズンまでの定位置である8回に投げた。モイネロの攻撃。

一緒に行った友人はヤクルトファンで、見ていてあまり面白い試合ではなかったかもしれないが、あーだこーだ、野球に関係のあることもないこともグダグダと話ながら試合を観て、それはとても良い時間だった。今年からドーム内に弐ノ弐が入って、ビール付きの餃子セットを頼んだのだが、久しぶりに食べた弐ノ弐の餃子は香辛料が効いていて、美味しいのは知っていたつもりだったけれど、こんな美味しかったっけ、こんなにスパイスが効いた感じだったっけと思って、美味い美味いと言いながらあっという間に食べた。弐ノ弐のビールセットは鉄板になりそうだ。レギュラーシーズンに入ったら買うまでに結構並ぶことになるかもしれないけれど。娘もたぶん好きそうな感じだったので、今度店舗に連れて行こうと思った。

しかし現地観戦というのはやはりいいものだ。内野指定席だったので管楽器や応援歌はいつもよりも遠くから聞こえていたが、生で聴くと臨場感が違う、体が自然とノってしまう。いい当たりがアウトになったときにはため息が出て、それは自分でも驚くほどかなり大きなため息で、ドーム仕様のため息というのか、周りから聞こえてくるため息の大きさに知らず知らずのうちに自分も合わせてしまっていて、そのため息は塊となって場内に響く。あぁこのため息というのは確実に選手にも聞こえているだろうなぁと思ったが、しかしため息でこの大きさなのだから、点を取ったときの歓声や、それこそ一昨日のサヨナラしたときの盛り上がりは選手の体に響いてその体内に余韻を残すくらいのものなんじゃないか。ライブでベースやドラムの音で体の内側が鳴るような。

現地観戦はいい。いい。

 しかし球場で見る野球は、毎度思うが、勝ち負けが遠ざかる。スタッツみたいなものも遠ざかる、目の前での運動がすべてで、ただそれが面白い。そのなかで、四球というのは本当によくないものなんだなということは、これも去年も思っていた気がするが、テレビで見ていたり、あるいは一休速報追っていたりするときとはまったく違う強さで、思う。一球一球の間合いがすべて、球場にいると、こちらの時間と同期する感じがあり、一球ずつの時間を僕たちはもっとはっきりと生きている感じがある、そのなかで、投じられる一球はすべて幾千もの祈りとともにある。祈りの裏切り、いや裏切りはなにか違うというか強すぎる、祈りの非成就、その積み重ねが四球で、だから四球は見る者を、祈りを、祈りの時間を、過去を、傷つける。そんな感じ体感としてある。

阿久津隆、『読書の日記 本づくり スープとパン 重力の虹』(NUMABOOKAS) p643

2024/03/08

父から誕生日プレゼントが届いたと連絡があった。

父の誕生日には何をあげるか毎年迷うのだけれど、今父が普段かぶっている帽子が母に不評で、それは父の大きい頭にサイズがあっていないからだと思われたので、というのも父譲りのビッグヘッドの僕もサイズが合わなくて帽子が似合っていなかった経験があったから確信があった、とうことで今年のプレゼントは大きめのサイズの帽子にした。少し若いデザインかもしれないけれど、シンプルなので父でも問題なくかぶることができるだろう。これで母も帽子をかぶる父を認めてくれればいいのだが。

昨日は娘が電話越しに誕生日の祝いをして、電話越しで表情が見えなくてもその声色からニタァとした顔をしていることがわかった。気の利いたことが言えない父だから言葉が出てくるまで少し時間がかかっていたけれど、また一緒にご飯食べようねと言っていた。来月の頭に実家へ帰省する。

昨日は父の誕生日であるのと同時に、昨年末亡くなった猫の誕生日でもあった。僕は一緒に住む期間こそなかったものの、なんせ18年も長生きした猫だったので帰省する時間を総合すればそこそこの時間を共に過ごし触れあい、帰省すれば猫がいるのが当たり前だったから、亡くなったときには大きなショックを受けた。

しかしずっと一緒に住んでいた母のショックは相当で、今だって、それこそ誕生日だった昨日だって猫のことを強く思っているはずで、猫と母のことを考えると心が痛む。

誰かが亡くなったあとに、その人は心の中で生き続けるなんてことを言うけれど、ペットは、特に猫は家でしか過ごさないから、思い出してあげられるのは一緒に過ごしたことのある家族しかいない。生きていたことも死んだことも、知っているのは一緒に過ごした家族だけだ。人間だって100年も経てばほとんどの人が誰からも思い出されなくなってしまうのだろうし、ペットは思い出すことができる人の数もその時間の長さも限られていて、だからというわけでもないが、家族の中だけに共有される大切な存在であり続ける。表情や仕草の全てが愛らしかったその猫のことを、この日記を書きながらまた改めて思い出し、あぁ死んでしまったのだと寂しさを覚えている。また悲しくなるかもしれないけれど、また帰ったら猫のことを話したい、そしてその姿を思い出したい。触れられなくなった今になってはそれくらいしかできないが、一緒になって思い出すことは大事なことだと思う。

2024/03/09

阿久津隆「読書の日記 本づくり スープとパン 重力の虹」読了。

1巻目のクマさんが読了までに11ヶ月要したのに、「本づくり スープとパン 重力の虹」 1週間しかかからなかった。しかしどうだろう。実質クマさんの半分の量だとは言え、さすがに読了までの時間が違いすぎる。クマさんを読み終えたままの勢いで「本づくり スープとパン 重力の虹」に突入し、そのまま突っ走ったということだが、クマさんは読む時間が長かっただけに思い入れもある。「本づくり スープとパン 重力の虹」はクマさんと同様に非常に面白かったが、あまりにも早く、といっても1週間は要したわけだから他の本よりも少し早かったくらいではあるのだけれど、付き合いが短かったなぁと、読み終えたときにはクマさんとは別の意味での寂しさを覚えた。

そのまま「水を出す 指を切る お葬式」に入り、これもまた1日で3分の1読み進めてしまった。もっとも、これはこれまでの2巻とは別のフックがあって、それはクマさんが発売されて、その後保坂さんとのトークショーが開催されてというくだりがあったことで、クマさんを読み終えて、そのクマさんが発売される箇所を読むという他にはあまりない読書体験を味わえて、それはとても感慨深いものだった。

「水を出す 指を切る お葬式」を入れて残り3巻。メルマガも毎週読めるから阿久津隆さんの文章に全く触れない期間というのはほぼ生じないのであはあるが、本の形として読むのは現時点ではあと3巻しかないのだなぁと思ってしまう。とは言っても意識的に読む速度を落とすというのも何だか違う気がするし、読みたいままにこれからも読んでいこうと思う。なんせ読書の日記はいつでも立ち返ってこられる場所のようなものなのだから。

さて、ホークスのオープン戦だが、毎日ずっと面白い。今のところスタメンは小久保監督ではなくバッティングコーチが考えているようだが、日替わりで全く違うオーダーだから、スタメンを見るのがまず楽しみ。オープン戦ならではで、シーズンに入ってしまえばスタメンは固定されるのかもしれないけれど、各ポジション競争が激しい状況が変わることはないだろうし、シーズンに入ってからも打線は楽しめそうだ。

育成の仲田、川村、緒方の3選手はオープン戦に入っても良い活躍を続けていて、昨日は緒方がタイムリー含め2安打、そして今日は川村が決勝ホームラン、仲田はヒットこそあまりないが、守備固めで内野、外野で出て良い動きをしている。見ていて楽しいし、ワクワクする。2年前の8月に筑後ホークスと呼ばれた増田、野村大樹、谷川原の活躍が活躍していたときのワクワク感を思い出す。去年はあまりそういうワクワク感がなかったような気がする。とにかく育成3選手の活躍を見るのが楽しい。

ピッチャーは現役ドラフトでホークスに入った長谷川、そして今年の新人の岩井が開幕に入りそうなところか。岩井の今日のピッチングは見ていて楽しかった。パワービッチャーと思いきや、コントロールも結構いいのね。

そして明日はいよいよモイネロの先発デビューだ。

2024/03/10

最近ネットが不調で、特に夜はブツブツと途切れる。夜は途切れるのが当たり前になってきているので、ネットが不調になると別の部屋にいる妻との間で「途切れた?」「うん、途切れた」といったやり取りが発生することが定番になってきている。もう確認する必要もないのだが、切断されたことで行き場をなくした何かに対する意識を妻と当てあっているだけだ。

途切れるのが夜だとまだいいのだけれど、いや、夜でも映画を観ている最中に途切れることなんてことがあれば激萎えなのだが、昼間に途切れるようなことがあると仕事にも影響があるしどうしようもない。昼に途切れてもすぐに復旧するから今のところはいいのだが、夜のような頻繁な切断が昼にも発生するようになればいよいよヤバいなぁという感じ。

今日は昼からリビングのテレビでDAZNをつけてオープン戦を観ていたのだが、ブツブツブツブツと途切れまくった。今日は佐々木朗希とモイネロの投げ合いで、攻撃も守りも要注目の、途切れてしまっては困る試合だったのだが、ブツブツブツブツと。1時間の間で10回くらい途切れて、あーもうこれはあかんなぁとなった。これはDAZNが問題なのか、テレビが問題なのか、やはりネット回線の問題なのか。その原因を追求するのも面倒というかそんな暇もなく、まずは何より試合を観たいので、書斎のパソコンでベースボールLIVEで観ることにした。つまり、DAZNをベースボールLIVEに変え、テレビをパソコンに変えた。すると何の問題もなく、一回も途切れることなく観ることができた。ということはだ、少なくとも今日の昼のブツブツブツはテレビかDAZNの問題だということだった。どっちだったのか。今度途切れることがあれば、テレビなのかDAZNなのか原因を突き止めたい。いずれにしてもネット回線もそろそろ見直す時期か。

昼ごはんを買いに少し出掛けるだけで鼻水と目の痒み。花粉症は日によって症状の程度に差があるのだが、ひどいときには本当にしんどい。あとはこの時期にはいつも右の鼻だけ詰まる。ほぼ終日詰まっていて辛い。昼に外に出たことでの花粉の症状は夕方までずっと続いていた。

娘と妻は、娘の友人と公園で待ち合わせて外遊び。
14時半くらいに電話がかかってきて、お砂場で遊んでいたときに他の子どもの手が目に入ってしまって、目が充血していて出血しているようにも見えるとのこと。目に手が入ったとき娘は泣いてはいなくて、ただ痛そうにはしていたらしい。目はどんどん赤くなっていくが、遊びはますます楽しくなっていったようで、娘が楽しく遊ぶ写真や動画が送られてきた。が、妻からその後また電話がかかってきて、この赤さはやはり心配だ、今日のうちに病院で診てもらいたいと。以前もこんなことがあって救急病院に行って何事もなかったのだが、出血しているように見える以上、僕らでは何も判断できないので今回も救急に行くことになった。

日曜の救急ではあったが、眼科はさほど混んでおらず、すぐに診てもらうことができた。診断の結果、問題はないとのこと。数日もすれば自然と治ると言われ、目薬すらも処方されなかった。

で、また昼に遊んでいた娘の友人家族と合流し、めんちゃんこ亭へ。今回初めて辛麵を注文してみた。辛さは一つあげて大辛。そこそこ辛く、食べ終わる頃には、娘のタオルを借りて拭かないといけないほど全身が汗だくになっていた。美味。が、めんちゃんこに柚子胡椒を入れてながら食べる方が、めんちゃんこ亭ならではの味の変化を楽しめるということがわかり、次回からはまためんちゃんこにしようと思った。

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