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角野さんが世界へ ツアー2024「KEYS」サントリーホール 3.7 

ネタバレあります。ご注意下さい。

また、私のSNSをご覧くださっている方へ

先にイタリアンコンチェルト2楽章とモーツァルトソナタ1楽章での印象が私の中で混乱したままSNSをアップした為、noteと内容が異なっています。
記憶の糸を辿って繋げたのですが記憶が入れ違っていたかもしれません。
心よりお詫び申し上げます。
(今も確定しかねていますが、感じた内容は確かです。ご了承下さい。)


もう一昨年以来のサントリーホール。

クラシック音楽の聖地であると同時に、角野さんの思い入れのホールでもある。
角野さんのクラシック人生はここから本格スタートしたと言ってもいいと伺っている。

ツアー終盤で追加公演も含め4日間の公演。
チケットがかなり激戦だったらしく、今回は2階席だったが取れたことに感謝した。
そして響きが良いとされていること、また角野さんの音は微音でも遠くまでちゃんと届いてくる事を知っていたので、却ってとても楽しみだった。

ありがたいことに道慣れない私を会場まで一緒に連れて行って下さったフォロワーさんのお陰で、無事に、そして良い時間にたどり着くことが出来た。

暫く他のフォロワーさんとお会いしたり、角野さんに送られた花を見たりして時を過ごす。

時間前になり、初めて座った2階の席は思ったよりも視界が開けていてとても見やすかった。しかし足回りが狭くて、高いところがあまり得意ではない私は気分が悪くなってしまった。
一旦席を外し、廊下で体調を整えてみるが余り収まらない。

何とか水分だけ少し補給して、気合で奮い立たせて再び席につく。

間もなく開演のアナウンスが始まり、ライトが消される。

ステージが浮かび上がり会場の皆さんが拍手で角野さんを迎えた。

プログラム最初、バッハ作曲イタリアンコンチェルトの冒頭が始まると館内の空気が澄んでくると同時に、角野さんの音色とテンポに身を委ねる。

呼吸の仕方を思い出す。

そして流れてくる旋律に目を閉じて呼吸を合わせればそこからすっと強張っていた無駄な力が抜け、細胞の隅々が、体の中の水の流れが元に戻ったような感覚になった。
小刻みに速く打っていた鼓動は落ち着きを取り戻す。
そして普段の自分に戻って、安心してピアノの音に耳を向けられた。


更に不思議な感覚になった。

勿論視界の先では角野さんがピアノを弾いておられるのだけど、もうそこはピアノの音と私の耳だけの空間になって。

ピアノと一体になった角野さんは今まで何度も見てきたけれど…この時は角野さんがいるのにそこにいないと感じる。

そしてイタリアンコンチェルトの楽曲そのものが私に対峙してくる。

音のひとつひとつ、フレーズの面白さ、ユーモアを誘い出すようなトリル、変化が自在に繋がる美しさをダイレクトに味わい、角野さんを越えて私の目や耳が楽曲そのものに注釈していくのだ。

左手からは温かみのあるチェンバロの音がしてくる。内耳に響く柔らかい低音の響き。

そしてほんのひと間をおいての2楽章の切り替えが圧巻。
一呼吸、ひとタッチ、1音で一変する空間。
分かっていたのにぞくっとなる。

見渡せば広いはずのサントリーホールの向かい側に手が届きそうになる。それくらい親密な世界になっていた。

私はずっと隠しておられると思っていた。
角野さんがこういう弾き方、歌い方ができることを。
こういうというのは、客観的ではなく、主体的に音楽を演奏されることだ。

片鱗は角野さんご自身の動画で感じてはいたのだけど…。

角野さんが普段見せて下さっている表の姿ではなく、芯に近いところ。

普段は公平性と照れからか、そんな所を人前で見せることがないと思っていた角野さんが、恥ずかしげもなく凛とした佇まいで、その方の為に弾かれている。

こんな音は、そして感覚は初めてだった。

そしてその方とは。

会場に居られるおひとりおひとりで。

私もそれを勇気を持って受け取った。 

角野さんから繰り出されるピアノの音が、最初から普段なら触られたくないところ、でも本当は気づいて欲しいところに手を当てられ、肩からふわりと包まれるような。

これまで現実世界で味わったことのない、切なさと逞しさが共存した、あるがままの優しさだった。

そして「本当は欲しいもの」は、自分の心が闇であっては受け取れないのだ。 

涙が零れた。 

ずっと音に心を抱きしめられたまま角野さんがピアノを奏でているのを見つめていた。

3楽章は光と温かさ取り戻すような演奏なのだけど、角野さんの気負いの部分が全くなく。
1小節の中の、音階の上下を限界まで目いっぱいに押し広げるような喜びに溢れる旋律。

最初からずっとなのだけどこんなに洗練されたタッチに音色も連動して、かと思えば手から切り離されてもいるようで…

本当に夢みたいなピアノ演奏なのだ。

不自然さも違和感も乱れもゼロの、完全で美しい音楽。

余裕を持って弾ききる角野さん。
ステージの前方中央に立ち、丁寧にお辞儀をされる。たくさんの拍手が角野さんを包んだ。

マイクを手に取り今回のツアーのテーマ「KEYS」の意味について話される。
KEYSとは。鍵盤、鍵、音階、解決策。
ひとつの言葉に改めてこんなにも意味が持たされているのだと思った。(語源はやはり繋がっているらしい。)


そしてモーツァルトのソナタk.311である。

予習した時から大好きになった冒頭の旋律。

どの強さで弾くか、どれくらいの長さか、間は…全てが熟慮され、それが自然に流れるように、ずっと耳を惹き付けて、研ぎ澄まされた旋律が心の琴線をなだらかに押してくる。

どの音も誤魔化されずにモーツァルトの可愛らしくて優雅な掛け合いが様々なモチーフで展開していく。

角野さんのピアノがにこりと微笑む。
「さあ楽しんでいって」と。

そして表情は遠くて見えないのだけど、きっと天使様みたいな顔で弾かれているのだと想像した。
目の前のピアノは魔法の箱で。
角野さんの手が触れれば思った通りの音が出る。そんな錯覚に陥る。
錯覚じゃないかも知れない。

これまでとことん向き合ってこられた筈のピアノの、更に奥の部分と角野さんが対面していて。 
伸びやかに響く音、弾みながら絡み合う上下のアルペジオ、何ともいえないタイミングの音の重なり。
どこまでも魅惑的な展開に心がずっと連れ出されてしまう。

ピアノがなかった時代の曲を、ピアノでしか出来ない表現でとても魅力的に実現されていると感じた。

そしてそれはもしかしたらこのツアーで角野さんが見つけた鍵かも知れないと。

第3楽章の耳馴染みがするトルコ行進曲。
角野さんのピアノで聴けるなんてとても贅沢と思う。相変わらず整った指が行進曲を奏でていく。聴きたかった速さと打鍵で行進は続く。違和感がない癖がない洗練されたトルコ行進曲。

更に次はトルコ行進曲24の変奏曲、だ。
MCで24の調性全てで構成した変奏曲と説明下さる。「だから何だって感じですけど」と謙遜されて自虐的に笑う角野さん。

前回行けた金沢ツアーでは何かを理解することは諦め、くるくる変化するアレンジをただただ楽しんだ。
折角角野さんが構成されたものを少しでも理解したくて、近日になってからだけど調性の動きだけでもと、先に手にしていたプログラムとにらめっこして調性の流れを5度圏と呼ばれる音の関係表で追ってみた。

頭では演奏する時にどういうことなのか理解していたつもりでいたけど…可視化したら#や♭が増えたり減ったり「KEY(調性)」が完全に頭に入っていないと不可能な事と理解した。それを即興アリで編み出す。(そして演奏するには調度の増減幅がバラエティに富むように構成したという調性の順番もちゃんと頭に入っていないといけない。)
調性で追えたのは最初の3つ目くらいまでだけど(笑)それでも前回より明らかそれぞれの「KEY」に特徴があることが感じられた。
主役みたいな調だったり、脇役、もしかしたら悪役?だったり笑。(角野さんのそれぞれのアレンジがそうさせているのかもだけど)
そしてその調の関係性が遠のけばそれだけ変化も大きくなる。

プログラムに記してあるのだけど「パガニーニ狂詩曲」の18変奏曲ももしかしたら意識したかもという事も含めて聴いたがその辺りで物語のピークが来たのを感じた。
その後が印象的だったんだけどエキゾチックな短調(多分ロ短調のところ)でガラッと雰囲気が変わってぞくぞくとする。
MCで「僕転調好きなんですよ」と純粋に転調への愛を告げられた角野さんが、弾いている時は正しく超難関なゲームを夢中になって攻略していく様で、それも時代の今を牽引する音楽家角野さんの大きな要素と改めて受け取った。

休憩を挟んで、アップライトピアノ、チェレスタ、トイピアノ、ちょっと隠れてピアニカが現れる。
そこに出来上がる角野さんの鍵盤だらけのコクピット。
「落ち着くんです」と何かで発言されていたけど、広いステージの上でキュッとたくさんの相棒で囲まれた狭い空間は私でも落ち着くなぁと感じた。

それだけいつもステージ上のピアニストは孤独なのだ。

オリジナル曲「大猫のワルツ」が冒頭チェレスタの金属音で奏でられる。本当にかわいらしくてぴったりで微笑んでしまう。
「鍵盤楽器はピアノだけじゃないんですよ」とその音を至極魅力的に伝えられるのも角野さんの抜群の感覚だ。
スパイス的に入れられるトイピアノにお客様もクスクスと笑う。
同じ音楽を音を共有して楽しんでいる事を感じるかけがえのない瞬間。

そして今回更に楽しみにして来たガーシュウィン「パリのアメリカ人」。
これが本当にひとりで弾く内容ではなく。
前回よりもオーケストラバージョンを聴き込んでみたため、角野さんのピアノと頭の中で音楽を何とか照らし合わせてみる。
バイオリンが流れる旋律では両手の和音が時間差で絶妙に鳴らされ伸びやかに歌う。
クラクションはユニークな明るい不協和音が小気味よく鳴る。
改めて凄いと感じたのは、オーケストラで聴いている時より場面の雰囲気や世界感がガラッと変わること。
確かに楽器としては5つ使ってはいるのだけど、同じピアノでも音が違って聴こえたりするからもっと幅広い種類の楽器があるように感じる。退屈なんて一切しないで耳がワクワクしながら次の展開を待っている。
そしてガーシュウィンが尊敬してやまなかったラヴェルの影響を物凄く感じるパートがある。その事に気づけるのもこうして角野さんがピアノで翻訳してくださるから。
更にお馴染みのピアニカブルースも響き渡る。
色んな事をしているのにスタイリッシュなのも角野さんの成せる技。
それはあくまでも「音楽ありき」だから。。

会場空間全てがガーシュウィンと角野さん色に染まってピークを迎える。

角野さんが監督兼出演を務めた「パリのアメリカ人」は大盛況に終わった。

時間はあっという間に経ってしまう。

もう最後のプログラム「ボレロ」だ。
 
今回は演奏してる全体が見えるため、背筋を正し直してその姿に注目する。
あっという間に感じはしても、実際ひとりでたくさんの世界観を作り上げた濃密なプログラム。疲労度は否めないと思う。
でもそれは口にしない角野さん。

暗転したステージの闇から弦を直に弾くようなリズム音が聴こえてくる。
その音にメロディの重なりが始まる。
149年前のこの日に誕生日を迎えたラヴェル。とある劇団を助けるべく作曲したがまさか全世界で大人気となるとは御本人も思っていなかったこの曲。
改めて調べるとラヴェルはスペインの生まれであり「ボレロ」はスペインの民族舞曲である。元はオーケストラにカスタネットとトライアングルも入っていたらしい。
だからあの迫りくるような熱情なのだ。
それを一定のリズムとクレッシェンドと2つのフレーズのみで見事に表現した楽曲。
その鮮やかさの肝はオーケストレーション。
角野さんが何処まで表現し切るのか。
…旋律を追おうと思っても、どうしてもリズムに感覚を持っていかれてしまう。

音楽や芸術鑑賞にフィジカルの心配が不要なのは重々承知だ。
しかし角野さんのこれまでの公演数、日程、仕事の人気ぶりを目の当たりにしていると人間として無視できない。

1度始まってしまった歩みはどんなに身体が悲鳴を上げようとも止まれない。 
それがプロの芸術の舞台。

心地よく刻まれるリズムに色んな音で聴き慣れたメロディが展開される。
だんだん増してゆく厚み。
旋律の心地よさに身を震わせながらも、私の手は汗を握っていた。
確実に角野さんご自身が全ての音を出しておられることを体感する。
バレエのボレロも肉体への挑戦。
限界寸前からいかに舞を昇華させるか。
アップライトへの切り替え。
左のリズムは途切れないが右のメロディが乱れる。
祈るしかなかった。
アップライトからグランドピアノに戻って余力で尚その音は数が増えていく。
正直私には腕が動いていることが信じられない。
渾身の力を振り絞って全部の指が鍵盤を抑える。終盤腕を鍵盤に押し付ける。
口元をキュッと食いしばって(いるように見えた)同音連打でフィナーレに入る。
最後の両手和音の下りを最後にその舞の音が止んだ時、本当によく弾かれたと感じた。
「すごい、すごい…!」

深々とお辞儀をされて舞台袖へ向かわれる角野さん。ドアの向こうに姿が見えなくなった時、観客の皆さんがスタンディングでカーテンコールを求めた。

再び観客の前に現れる角野さん。

少し上がった息を整えてマイクを手にする。
「ありがとうございます ええっと、今日はちょっと大事な話をしますので、耳をそばだてて聴いてください」
ラヴェルの誕生日であることで、その話題が頭を過る。が何となく違いそうだ。

「実はSONY WORLD CLASSIC RECORD より世界デビューが決まりました…」

ちょっと待って。
思考が追いつかない。

「今秋にはCDリリースが決まっています」

私が実感が沸いたとてしょうがないが、まだ実感が沸かない。けど凄い。

いよいよ角野さんがフィールドのベクトルを全世界に向けて大きく踏みだすのだ。
当然拍手が沸き起こる。
そう、以前配信で「ロンドンでレコーディングしている」と語っていたのはこの事だったのだ。
こういうのは最初に持ちかけるのか向こうからオファーが来るのかはわからないけれど、実績や才能が認められないとこうはならない。
ラヴェルの誕生日よりも、目の前の角野さんご自身の大きな節目となる発表だった。

そして、「そこに含まれるかはわかりませんが…」と断りがあって、ご自身作曲の「夜明けのノクターン」がアンコール披露される。

アップライトピアノ前に座る角野さん。

私も一旦気持を整えて、角野さんの演奏に心を向き合わせる。
静かなゆらぎの繰り返される波が夜の空気を作り出す。
ああ、こんなだった、とすぐさま全身を包む温かな闇に先程の驚きが緩和される。

そしてそのまま旋律に身を委ねていると、はっきりと空が明るくなって大きな朝焼けが登ってくるのが瞼裏に浮かんだ。
希望の朝か、混沌とした日々の始まりは分からないけれど、「前に進んでいかなきゃいけない」と思わせてくれるノクターンだった。

角野さんが振り返りゆっくりとお辞儀をして会場を見渡す。
P席と呼ばれるステージ後方の方にもしっかり挨拶をする。

その後もアンコールに出て来てくださり撮影OKの「きらきら星」。
毎回調性が違うきらきら星、この日はヘ短調だった。「撮りたくない方は撮らなくてもいいですよ」と笑いを誘う。
そんな事を言われたら角野さんに負けないレベルの天邪鬼な私は。
今日はひとりで素晴らしい視界が開けている。私の携帯でうまく撮れるか不安だったが、カメラを構えた。
改めて2階席にも響き渡る角野さんの雫の煌めきのような音。
焦燥感を煽るこの調性の中にだんだん角野さんのオリジナル「HUMAN UNIVERSE」が浮かび上がった。(ように聴こえた)
そこからまた音の欠片がヘ短調できらきら星を奏でる。どう転んでも美しい角野さんのアレンジ。
最後はちゃんと長調にもどって宇宙の銀河に流れ星が集まってフィナーレを迎えた。

たくさんの拍手に心から感謝され、何度もお辞儀を繰り返した。


この日の角野さん。
振り返れば心に決したものがあったと思う。

色んな事を言う人がいる。

けれどいつもいつも角野さんはファンの事は忘れない。 

その事はずっとそうなのだ。

証拠に、この日サントリーホールの正面から出た所で男女が何か配っている。
怪しいものだろうと思って一旦断ったが、それは先に載せた角野さん世界デビューの号外だった。
慌てて受け取りに戻る。
ここでまた思う。
プログラムに挟んでしまうのではなく、コンサートの余韻を楽しみながら、これを手にして喜びで帰路につくファンの姿を思い浮かべたと思う。
サプライズを直接伝えて下さる特別感と心にくい演出。
号外の中の角野さんがいたずらっぽくしたり顔で笑っているように見えた。

ここで角野さんのポストを載せておく。

世界の舞台が現実となっていくこれからの中のその大きな瞳は、感度の研ぎ澄まされた耳は、そして魔法の手は何を見つけられるだろうか。

そして何を私達に、世界の人達に伝えて下さるだろうか。

こんな世の中だ。
生半可な事ではないと思う。
けれど歩みだしたら、戻るわけにはもういかない。
角野さんはそれを分かっている。

そしてその事は私達もよく知っておきたい。

自らの才能と閃きと惜しみない努力で世界の扉の鍵を大きく開けた角野さん。

その向こうは世界の未来も含め、たくさんの音楽の光と喜びに満ち溢れていますように。


長い個人的なnoteをお読み下さり心から感謝致します。ありがとうございます。