Bartok Concerto 3番 高崎公演 全く私的感想

悩んだ。

バルトークの事である。

今から私が書くことは誰からも共感されないと思うし、更には読まれた方は気分を害するかもしれない

そっとしておいてくださる方だけ読み進めて下さるとありがたいです


「僕はわかっていた バルトークとか弾けばいいことを」

ファンの間では有名なこの台詞とコンチェルト3番を弾くことになった経緯で、バルトークの存在感は特別だった

それまでバルトークという名前すら知っていたかどうかの私
コンチェルト3番を何度も聴いてみた

バルトーク3番は一貫したメロディラインが少なくて、リズムもところどころ、更には無調と来ていて聴くポイントを挙げるのが難しい

それでもこの曲の魅力自体は素人の私にも充分に感じていて

美しくて鮮やかなオーケストラ、凛としたピアノの旋律、効果的に刻まれるビート感
森の中にこだまするようなピアノがずっとその物語を牽引し展開していく感じがする

絵画みたいに描かれていると感じ、全体的な世界観や変化を時に俯瞰的に、時に中に入り込んで楽しむのがいいかと思った

また、予習として前日まで聴いていた私の中に浮かんだのが「響き」というワードだった

自然をイメージさせる響き
闇と暖かみが共存する不協和音

優しさ繊細さだけでなくしっかりエッジも感じるのがバルトークの特徴と

そしてその前日の深夜に聴いた時、音と音の間にすっと通り道を感じその時脳裏に光が差し込んできて、自然に体に音楽が入ってきたこの曲がやっと少し掴めたと思った

そしてそのステージにわくわくして臨んだ

角野さんとカンブルランマエストロが登場し、暫しの間を置いて音楽が始まった

印象的な冒頭のピアノが鳴る
他の誰でもない角野さんご自身の音から始まった
その顔には笑顔も見える

またこの時私の中でも手応えがあった

今まで歌なら好きだな苦手だなと言えるくらいには聴き分けが出来ると思っているのだけど、楽器となると本当に本当に分からなくていつも途方に暮れていた

しかし今日は何だかわかる!!!

歌を聴くようにピアノが聴こえる
角野さんのピアノ、とても素晴らしい

ハンブルク交響楽団に於いては最初の曲でもう瞬時に別世界に連れていかれてしまっていた

信じられない事が目の前で起こって聴こえてくるのである
あんなにたくさんいるしかも各々が思いっきり弓をひいているように見えるバイオリン隊がひとつの塊の音になって響くのだ
こんなことはありえるのかと思った
コントラバスもそう、管楽器もそう
音に威力があって重たさも深みもしなやかさもある でも正に一糸乱れずひとつの大きな音となって響くのだ

そんなオーケストラと角野さんのピアノの掛け合いが始まった

と思っていた 

しかしだった

目の前で鳴っているバルトークは誰が物語を引っ張るでもなく、全ての音がその世界に溶け合っていた

それを司っていたのはシルヴァン·カンブルランマエストロ
マエストロは常に注意深くオーケストラに指示を出しておられた気がする

コンチェルトといえば、ソリストVSオーケストラと勝手にイメージしていたのだけど、わたしの耳にピアノが浮かび上がってこない

オーケストラの凄さにかなりやられていてそちらに意識や耳が持っていかれていたこともあるのかもしれない
ただどちらも突出しないまま、戦わないまま、音楽が進んでいくのだ

バルトークの音楽に、ビートに、その響きにゆったり身を委ねようという目論見が全て外れてしまった

戸惑ってピアノを少し意識して聴いてみた

えっ?と心の中で声を出して驚く位、角野さんのピアノは巧みに感じた 平たく言えばもの凄く上手かった(何様目線ですみません…)

それは聴かせどころみたいな分かりやすいところではなく、物語の行間みたいなところの音の置き方とか間の素晴らしさ…

更にオーケストラから投げ掛けられる音に呼応するタイミングもとても完璧と私には聴こえた

とにかく角野さんはピアノの役に徹していた

 管楽器の柔らかい響きとピアノの余韻の音が超極細の粒の集合体に感じた時、思わず天井を見上げる
天から降ってくるような音にため息をつきそうになる

また角野さんの軽やかな高音が管楽器の音色と重なる
目を閉じた
僅かな音なのにちゃんと管楽器の音の上を渡り歩いているのが聴こえる
重なり具合も音が一枚一枚の葉のようでそれらがはらはらと繊細に重なっている感じ

不協和音ではちゃんとバルトークを感じつつ
もっと鳴らされてもいいのかと思ったけど彼のタッチは思ったより柔らかいものだったように思う

ピアノとオケとの掛け合いというよりは呼び合いみたいな、それらは物凄く対等で全ての楽器がひとつの世界で鳴っていた

そして素人の私はこの後何を聴けばいいのか見失ってしまう
聴きとらなければいけないという意識が働きすぎてひとつひとつを追い始めてしまったかもしれない

今思うと腹を括ってずっと目を閉じて聴いていたらよかったと思った
そうしたら私にももう少し何かが掴めたかもしれないと大変後悔している

そして第3楽章…彼の得意のビートやグルーヴが表れてくる楽しい楽章

しかし手綱を見失ってしまった私の耳に、ピアノとオケが重なると、印象としてもう全てが一緒くただった

戸惑ったままフィナーレを迎える

考え始めた自分がいた

アンコールのカプースチンはノリノリで聴いた
けれど頭の中はバルトークでいっぱいだった

後で何人かのフォロワーさんと感想を交わす

今日の演奏を掴めなかった自分にとても落ち込んだ
やはり私は音楽を聴くことに向いていないのかもしれない
また彼のファンでいることも自信がなくなり始める

しかし数える程しか行けていないけど、その度に彼の素晴らしい演奏を聴いてきた
直接聴いて心の奥からわくわくした
 ショパンもアデスもバッハも

今回のバルトークは?

なんだかよくわからないけれど、思い返せばクラシック音楽を聴いたという感覚がない

入り込もうと思っていた世界は、そこに静かに漂っていた、というイメージ…

お互いが空間を広げ合って世界を作るというよりそこにある世界の中で音が鳴っていたイメージ…

これで、よかったのか、ただ私だけがそう聴こえたのか、わからない

悩んで思わず溢した愚痴にフォロワーさんが答えて下さった

「芸術はわからない事に価値がある」

…そういえばそうだった

そしてその事で思い出す小曽根さんの言葉
「わからないものはわからないまま置いておく」

そうだ、小曽根さんのコンサートで初めてラヴェルに出会って、難しい分からないと思ったラヴェルが今ではとても好きな音楽家になっているではないか…

もっと言えば音楽も芸術もわからない私がわかろうとすること自体がおこがましいのだ

感じたまま、受け取ったまま

そしてそれこそが今出せる私の答え

しまっておこうと思ったけれど
出さないとまた前に進めないと思いこのnote書き記しました

そして痛感したのはまだまだ音楽の色んな機会に触れるべきと…

少しこれからを整理出来そうな気がしてくる

自分の気持ちに正直にでわたしはいいと思うしそれしかないと思う

答えをだそうとするのでなくて赴くままに進んでいけばきっといつかそこに導かれると

その時このnoteを思い出して読んでみたい

最後までお読みくださった方、本当にありがとうございます