見出し画像

ウクライナとロシア(2014)

ロシアがウクライナへの侵略を開始してから、早くも2年がたったらしい。

日本のニュースではとりあげられることが減ったが、今でもウクライナの各地でロシア軍とウクライナ軍の戦闘が続いており、大勢の市民が国外へ避難しているのだとか。
不景気ながらも、日本という比較的平和な国で生活している私には、この悲惨な現実に対しなかなか実感が湧いていない。

さて、たまたま大学時代のUSBメモリーの中を整理していたら、「ウクライナとロシア」というレポートが出てきた。
どうやら、2014年に書いたものらしい。

もちろん、当時はまだウクライナとロシア間では戦争は起きてないので、メインテーマは「ウクライナ内線」についてであるが、
あらためてウクライナとロシアの問題を考えてみるのに役立つのでは無いかと思い、noteに引っ張り出してみることにした。

以下、2014年に書いたレポートを掲載する。
大学1年生だった私の稚拙な文章だが、そこは目を瞑ってほしい。

―――――――――――――――――――――

今日、ウクライナでの内戦が起きているのは知っている人が多いだろう。

しかし、ワイドショーで取り上げられる内容はほんの一握りで、どうしてそのようなことが起こっているのか、知らない人も多いのではないだろうか。実は私自身、その一人である。
そのため、今回ウクライナについて調べてみることにした。

ウクライナには豊富な天然資源があり、東側の隣国であるロシアと、西側のヨーロッパがそれを狙っている。
この問題は、一般的に「クリミア問題」と呼ばれている。そして、ウクライナ自体も経済面で困っているために、ロシアとヨーロッパ、そのどちらかに頼る必要があるのだそうだ。そして、親ロシア派と親ヨーロッパ派であるウクライナ政府が対立を起こしている、というのがおおまかな流れである。

まさに、ロシアとヨーロッパの真ん中に位置する国、それがウクライナだ。

しかし、この国はもともと、ソ連(ソビエト連邦)の領地であった。
第二次世界大戦において800万人から1400万人もの犠牲者が出るほど莫大な損害を被ったウクライナ。5人に1人は、この戦争で亡くなったと言われている。ウクライナ系ユダヤ人やロマ人などの共同体は完全に破壊され、ソ連政府はウクライナ在住のドイツ人やクリミア・タタール人などの追放を行った。そして独ソ両軍の進退によってウクライナの地は荒れ果て、700の市町と約20800もの村が全滅した。

この第二次世界大戦の独ソ戦において、ウクライナ人はソ連側の赤軍にも、ドイツ側の親衛隊にも加わったが、一部のウクライナ人は反ソ反独のウクライナ蜂起軍に入隊し、独立したウクライナのために戦ったそうである。

戦後のウクライナは、白ロシア共和国(現在のベルラーシ)とともに、ソ連とは別に、国際連合加盟国として国際総会に議席を持ったりもしたが、実際のところは相変わらず「ソ連の一部」という扱いをされていた。「ロシア化」も進められていた。
1956年の「ハンガリー動乱」や、1968年の「プラハの春」の際にはウクライナで「威嚇のための大軍事演習」が行われたり、ウクライナを経由して東欧の衛星国へ戦車が出撃したりしている。

しかし、1953年のスターリンの死後、大粛清の犠牲になった多くのウクライナ人の名誉回復がなされ、ウクライナ文化の再興も水面下では活発化してきた。1960年代には当時の体制に批判的な、「ウクライナ的な」文学も登場したという。
フルシチョフの「脱スターリン主義」の時代には、ウクライナ・ソヴィエト政府もこの動きを少なからず容認した。

しかし、その後ブレジネフの時代になると、弾圧が行われるようになった。
1972年にウクライナ人の知識階層が大量逮捕され、1976年には結成された人権擁護団体も弾圧された。ソ連支配下のウクライナでは、多くの農民は1970年代まで国家の社会保障を受けることさえできずにいた。

1991年のソ連崩壊をきっかけに、ウクライナはようやくソ連から独立することができたが、近隣諸国が民主化を進めていく中、なかなか昔からのやり方から抜け出せずにいた。
その結果、完全に成長が遅れ、2000年ころまでソ連崩壊後の1990年頃から低下の一途をたどっていたそうだ。

また、ソ連解体後も黒海に面するウクライナは、ロシアにとっては地政学的に重要な地域と捉えられていた。カスピ海で産出される石油、天然ガスを欧米に対して積み出す港として重要な位置を占めており、同時にウクライナは国内でエネルギー資源を算出できなかったため、この分野ではかなりの割合でロシアに依存していた。

しかし、経済的に苦しいウクライナの現政権は、ユーロという安定通貨に頼りたいために、今までのロシアに有利な政策をやめた。そして、ヨーロッパとの提携に力を注いでいる。
そのため、親ロシア派と対立してしまった。
親ロシア派政権が主導権を握った時にはクリミアの港の貸し出しの延長など、ロシアに対し有利な政策を推進するため、常に政府同士が対立をしてしまっているのである。

今回、ウクライナ政府間の対立の原因や、ウクライナがロシアに依存してしまっている原因を知る事ができた。
解決に至るのは非常に難しいと思うが、ウクライナがひとつの国として「経済面」や「政治的」にも独立できるように、何かしらの方法を考えていく必要があるのだろう。

また、私たちの暮らす日本という国もまた、様々な面で外国に依存しすぎてしまっている節があるだろう。
他人のふりみてわがふり直せというように、ウクライナなどの他国に依存してしまっている国から、これから日本が国際社会でどのように立ち振る舞っていくべきかを考える必要があるように思えた。

――――――――――――――――――――― 

以上、10年前に書いたウクライナに関するレポートでした。全然内容忘れてて、読みながら「ふむふむ」ってなってしまった…
(しかも、大学1年生が10年前という衝撃…)

今も世界のあちこちで、情勢がめまぐるしく変わっていっている。
ただ多くの出来事は、歴史か、立地(資源を含む)が原因になっているから、ちゃんと情報をインプットして自分の身の振り方をアップデートしていかないとですね…

ちなみにヘッダーは、初めてモスクワに降り立った時に私が見ていた光景。ロシアの建造物好きだから(タマネギ屋根シリーズが好き)、また行ける日が来るといいな…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?