元号切り替わり。前回は大部分の人が前のことを知らなかったが、今回は多くの人が前のことを知っていた。
■「お正月が2回来たみたいだった」
1989年冬休み明けの子どもたちの第1声である。
当時私は教員2年目だった。
昭和64年は1週間で終了し、翌1月8日から元号は平成に切り替わった。
1988年の秋頃から昭和天皇の体調が急激に悪化した。
私は当時毎週日曜日10時からの「仮面ライダーBLACK RX」を観ていたのだが、この番組のオープニング主題歌の間、必ず昭和天皇の血圧や脈拍数や下血の有無などがテロップで表示された。
おかげで、RXの主題歌を聴くと、脳裏にあれらテロップが自然と浮かぶようにまでなってしまっていたのであった。
■62年と2週間の昭和時代
昭和は足かけ64年続いたが、昭和元年と昭和64年がそれぞれ1週間ずつだったため、実期間は62年と2週間である。
それでもかなりの長期間だ。
大正から昭和に切り替わった前回の改元のときのことをはっきり覚えているような人は、1989年当時、周りに誰もいなかった。
大正15年であり昭和元年でもあった1926年は、テレビ放送はまだ世界に存在していなかったし、日本でのラジオ放送も前年の大正14年に始まったばかりだった。
今のように情報あふれる時代ではなかったのだ。
日本人にとっていちばん馴染みのメディアは新聞だったわけだが、元号が平成や令和に切り替わるときと同様、当時も新元号のスクープ合戦が繰り広げられていたらしい。
■新元号の3候補「修文(しゅうぶん)」「正化(せいか)」「平成(へいせい)」
昭和の終わりを人々が悟るようになり、水面下では新元号の選定作業が行われた。
「修文」「正化」「平成」の3候補が作られたが、結局「平成」となり、昭和天皇崩御翌日の1月8日より改元となった。
平成に決まった理由はいろいろあるが、元号を略す場合、明治をM、大正をT、昭和をSとしていたので、修文や正化だとSが2つになってしまうから却下された--というのを私は印象的に覚えている。
現在使われている令和はRと略されるので、直近5つの元号は、M → T → S → H → Rと、重なりは無いようにされている。
元号が変更されるにあたり、日本人はそれまであまり知られていなかった元号について、いろいろなことを知った。
■同じ年の中に2つの元号がある
1989年でそれを体験したため、1926年(大正と昭和)や1989年(昭和と平成)のように、1年の内に2つの元号が存在する場合があるということが、これでピンときたのだ。
元号は1月1日から新しくなるわけではないのである。
■同じ日の中に2つの元号がある場合がある
1926年12月25日は、明治15年であると同時に昭和元年であるとされている。
大正天皇崩御の時刻までが大正、以後が昭和なのだ。
これは明治から大正に切り替わったときも同様で、1912年7月30日は明治45年でもあり大正元年でもある。
明治天皇崩御の時刻までが明治、以後が大正なのだ。
なので、1日の中に2つの元号が存在することなく改元されたのは、昭和から平成のときが初めてだったことになる。
1989年1月7日23時59分までが昭和、1989年1月8日0時00分からが平成である。
私は昭和から平成に切り替わる瞬間、テレビを観ていた。
初日の出のような朝日が映し出され、画面に大きく「平成」と出た。
平成初日の1月8日が日曜日で休日だったこともあり、その日は平成を祝う特番のラッシュ。
まさに、正月特番のようだった。
私を含め、当時の日本人が1989年を正月が2回来た年だったと感じるのは無理もないことだった。
あんまり特番ばかりのため、さすがに飽き飽きし、レンタルビデオ店にビデオをレンタルに行く人がたくさん居た。
ちなみに私も同様だった。
1989年当時、現在のような配信サービスは無かったため、テレビ放送されている以外のものをテレビで観たい場合は、レンタルビデオ店に行ってレンタルしてくるしかなかったのである。
■改元1年目は「元年」である
元号切り替えを改元というが、改元1年目を「1年」ではなく「元年」と呼ぶというのも、平成になったのを期に多くの日本人が知ったことだ。
「平成1年」ではなく、「平成元年」。
もちろん、明治元年とか大正元年とか昭和元年もあったのだけれど、それはもう歴史で習った知識というか、全く実生活においてピンときていないものだった。
それがこの1989年は、ほぼほぼ1年、日本人は「元年」を使ったのである。
元年をほぼ1年使ったのは平成のときだけである。
明治元年は4か月、大正元年は5か月、昭和元年は1週間、令和元年は8か月だった。
平成元年は最長の「元年」だったのだ。
年号なのに数字じゃなくて「元」という漢字だなんて、何だか「日本ならでは!」という特別感を私は感じていた。
■今の天皇は「今上天皇(きんじょうてんのう)」である
実は天皇の名前は、崩御されてから決まる。
存命中は皆「今上天皇」と呼ばれる。
なので、2024年現在ご存命の上皇様や天皇陛下のことを、平成天皇、令和天皇などとお呼びするのは大変に失礼なことなのである。
ちなみに先代の天皇のことを「上皇」と呼ぶというのも、今回の上皇様の件で日本人はピンときたのではないだろうか。
それまでは歴史の勉強で「上皇」という言葉を目にすることはあっても、どういう立場の方なのか、歴史に詳しい人でもない限り、日本人にはよく分かっていなかった。
■崩御直後の天皇は「大行天皇(たいこうてんのう)」である
崩御されてから名前が決まるまでの間、天皇は「大行天皇」と呼ばれる。
現在では今上天皇崩御の場合、元号の名が付くのがほぼ確実だが、正式に決定となるまでは大行天皇とお呼びするのである。
■元号使用は世界で日本だけ
中国や韓国も使っているイメージをもつ方もいるだろうが、元号を使っているのは世界で日本だけである。
これをうらやむ中国人、韓国人もいるときく。
2つの年号があるのは、ある意味ダブルスタンダードであり、不便なところもある。
「昭和○○年」とか「平成○○年」とか言われても、今から何年前なのか即座にピンとこない。
公立学校はお役所の1つだ。
書類の日付には今でも元号が使用されている。
元号が平成になったとき、「西暦、元号、どちらの年号を使用しても良し」という通達が出された。
どちらを使ってもOKなのだから、西暦を使ったほうが分かりやすく便利なのに、元号が使われるケースがいまだにかなりある。
■ハンコ使用も世界で日本だけ
元号とは直接関係無い話に脱線するが、ついでに書いておくとハンコを使っているのも世界で日本だけである。
中国や韓国も使っているイメージをもつ方もいるだろうが、ハンコを使っているのは世界で日本だけである。
台湾でも使われてはいるが、日本ほどの使用頻度ではない。
ちなみに、1989年は上に「平成」とあり、下に「=(二重線)」があるゴム印がたくさん作られ売られた。
これ皆、既存の書類の日付の「昭和」の部分に押すためのものだ。
書類に印刷されていた元号をこれで変更するのである。
私もこのゴム印を、学校でのいろいろな書類に押しまくって使った覚えがある。
ちなみに、令和への改元のときは、上に「令和」とあり、下に「=」のあるゴム印を見かけた覚えはない。
既に多くの書類は電子化されており、紙の書類が少なくなっていたため、30年前のような訂正用ゴム印の需要は無くなっていたのだ。
それでも、日付に「平成」と入っている書類を手書きする機会が何度かあった。
そのときは手書きで横線を2本引いて「平成」を消し、その上に「令和」と書いた。
数える機会しかなかったので、それで充分だった。
■FAX使用も世界で日本だけ
脱線ついでにもう1つ。
令和3年に開催された東京オリンピックで、来日した外国人記者が驚いたことがある。
日本ではFAXがバリバリ現役だったからだ。
諸外国ではFAXなど、とうにおはらい箱である。
■紙幣使用も世界で日本だけ
更に脱線。
ちょっと誇張しているが、諸外国ではクレジットカードや電子マネーの使用が多数派で、現金は敬遠される。
これは、偽札のリスクがあるためだ。
今の日本の紙幣は高い技術で作られているため、なかなか偽造は難しい。
日本の紙幣の精巧な偽札を作るのは大変な手間のようだ。
--というわけで、今回は元号の話題をきっかけに、天皇陛下やハンコなどについて書いてみた。
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