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日本生まれコルカタ育ち-100年の時を超えて進むリクシャ

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インドの中でもコルカタでしか見られないものは何かとたずねて、必ずと言っていいほど名前があがるのが「リクシャ、リキシャ(rickshaw)」だ。リクシャといえば、ハラキリとならんでヒンディー辞書の中でも「語源:Japanese」と誇らしげに掲げられている数少ない有名な日本語だ。

リクシャはインド各地でも見かけるが、多くは三輪バイクのような形をしており厳密には「オート・リクシャ(auto-rickshaw)」と呼ばれている。タイのトゥクトゥクなど、東南アジアでもよく見かける乗り物だ。

一方、コルカタのリクシャはいわゆる日本の人力車と同様のもので、英語では区別をつけてhand pulled rickshawと表記される。19世紀後半から変わらない現役の交通手段である。中国人が19世紀後半にコルカタに人力車を持込んでから現在まで、庶民の足として利用されている。

2006年にリクシャへのライセンス交付は一旦停止され、これにてリクシャの未来は途絶えたか…のように思えたが、4年後には新しいIDカードが更新され、現在でもリクシャはコルカタ市内を走っている。そして、2014年12月に、ママタ・バネルイジーが、リクシャに代わってバッテリー式電動車を導入するプログラムを提唱しているが、その予算や台数については見通しが立っていない。そもそも、リクシャの数がいくつあるのかすら、はっきりしない。

私がデリーの大学院に留学していたころ、コルカタ出身の女学生とリクシャについて話したことがある。

私は「リクシャ、いいよね。ノスタルジックで」と、伝えると、彼女は「そう。あなたはリクシャをコルカタの文化遺産のように思っているのね。けれど、リクシャは恥ずかしいものだと考えている人もいるの」と、神妙な面持ちで続けた。

リクシャは人が人を引っ張って走る姿から、非人道的で不平等の象徴だとみなす人々も多いそうだ。車夫(リクシャー・ワーラー)には、貧しい村から出稼ぎに来ている人々も多く、決して裕福ではない。客からひどく罵られたり、交通ルールを無視した車やバイクの隙間を縫って走る姿を見かけると、こちらが居た堪れない気持ちになる。決して「ノスタルジック」という言葉では表現しきれない、「現実」の闇がそこにある。

コルカタはモンスーンの時期になると、あっという間に道路が冠水してしまう。外を歩くこともままならず、普段は客を求めて列をなす黄色のタクシーも、この時ばかりは空車を見つけるのが難しくなる。

ある時、私は近くの民家の軒下で雨宿りをしていた。土色の水が溢れだし、幹線道路も大渋滞。その時、目の前を一台のリクシャが横切って行った。何人もの小学生を乗せて、黙々と力強くリクシャ―・ワーラーが歩いて行った。子供たちは幌の隙間から、水を跳ね上げる車輪を楽しげに見つめている。

私がじっとその姿を眺めていると、同じように雨宿りしていたおじさんがポツリとつぶやいた。

「リクシャはいい。道路が冠水しても、“壊れずに”進むからね」と。

時代の波に翻弄されるコルカタのリクシャ。それでも、人の持つ強さは変わらない。

今日という時代を切り裂いて、リクシャはコルカタの街を進む。

チャイナタウンで休憩中のリクシャ(著者撮影)

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