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「仲間」プレゼンする機会は突然に

ちょうど一年前のGW、仲の良い地元のナカマと会って話しているうちに疲弊してしまった。身の回りがどんどん市場化されてしまい、人と人とのつながりがカッコつきの「家族」と「仕事」に集約されつつある。そうして、わたしたちは無意識にどんどん離れ離れになっていってしまう。そのことに気づかずに翻弄されるナカマみんなとの時間がもっとほしい。ゆっくりそのことについてプレゼンする時間をください!なんて話をしたのがちょうど一年前。

今年もGWになり、また地元で会おうという話が持ち上がった。ところが案の定、仕事、家族サービス、子育て、習い事、そしてお受験がそこに加わり、今年は集まらないことになりました。なんとまぁ。。。その代わりに、平日の仕事帰りに集まれる大人だけで都心で会おうという話になった。

今回は、大人だけで少人数で膝を突き合わせて話すうち、生活の視点を見直したほうがいいかもしれない、という話になったんですよ。もちろん、短い時間で話せることには限りがありますから、両手をあげて大賛成!みたいなムーブメントにはならなかったですけども、各々の人生に突然訪れるタイミングによっても、少しずつわずかでも「想い」は浸透はしていくようです。もともと学生のころに、自分と近しい感覚をもっていた友人たちなわけですから。時間さえあれば、わかり合うことは難しくないはず。わたしが普段ここでnoterのみなさんと話していたおかげもあるでしょう。話がとても刺さりやすくなったという実感もありました。ですから、noterのみなさんも夢や理想を語り続けることを諦めないでほしい。



さてここから先は日記なので、興味がある方だけ読んでください。


みんなの話は、とにかくいまの生活や家族で手一杯。それもこれも”子供の可能性を狭めないように” とか、”家族の将来のため” とか、そうやって親たちは誰〜のためと言い聞かせながら「お金集め」に翻弄されている。具体的な未来が描けない(あたりまえ)し、それを考える時間もないものだから、結局のところお金に出口を見出してしまう。かといって、実際にお金がなければ生活できないのだから始末がわるい。。。これは普段職場の同僚主婦から聞いている話とも変わらない。みんなに責はない、、、わたしはそう言い聞かせながら耳を傾けていた。人生は人それぞれだとうそぶき、世間は多様性だなんだと煩いけれど、実態は全く違う。どこもかしこもみな気持ちわるいほどに同質。問題の核心も、根っこも、そのパターンすらみな画一化されている。まるでわたしたちは市場に規格化された商品のようだと思った。

そんななかひとりの友人が今年に入って人生はじめての転職を経験した話になった。元同僚が現在の職場に誘ってくれたツテがきっかけだったのだそうだ。もうひとりの友人はこれまで一度も転職を経験したことがなかった。その経験が、どうやら人間関係について考えるきっかけを作ったのだろう。自然にテーブルの話題は「ツテだったり人脈はどうやって広げられるんだろう?」といった興味に変わっていった。

わたしは黙って話を聞いていたのだけど、次第にフリーで活動をするわたしに興味の矛先が向いてきたようだった。そこで、人脈といった言葉から話をそらしながら「人とのつながりって、どうやったら強まるか考えたことある?」という問題をぶつけてみた。人脈だとかコネだとかいうのはつまりは便益をもたらすための限定的な関係性のことを言っている。でも、今の問題の核心は、人としての「つながり」が希薄になっていることなんだ。みんなそれをどこかで無意識に感じていて、心のどこかにぽっかり大きな穴をあけている。

人とのつながりは「恩」によって継続するんだよ。思い返してみて?誰かに世話になったら、その恩を返さないと気持ちがわるいでしょ?人間はどうしてもその「気持ちわるさ」を感じてしまう生き物なの。だから「お返し」をする。お返しされた方もまた、そこまでのことはしていないよ!なんて言って、次の機会にまた世話をしてあげなくてはという気になる。つまりね、してあげたことと、(お返し)してもらったことの対価が「見合わない」(=不等価)だと感じる気持ちわるさこそが人間関係を永続させるための大切なカギなんだよ。

一方で、、、お金っていうのはこの気持ち悪さをスッキリ「精算」するためのしくみなんだよ。便宜上、対価を常に「見合ったもの」(=等価)にしようとするから後腐れがなくスッキリする。最も効率的に対価を交換できる抜群の発明なのだけれども、人とのつながりという点に主眼を置くなら、お金はその場その場で縁を断ち切るふうにも働いてしまう。。。

恩義でつながる場を「コミュニティ」って呼ぶなら、お金でつながる場を「マーケット」って呼ぶんだよ。これらは対義語だってこと。

今みんなの身のまわり24時間365日関わっている人って、たぶん家族以外はほぼ全てマーケットの関係だよね?職場の同僚だって家族以上に毎日毎日8時間近く顔を合わせているけど、彼らは会社を通した賃金でしかつながっていない。もし、みんなが退職してしまったらその瞬間、給料や退職金の支払いとともに、関係性は「精算」されてしまうと思うよ。

すると転職した友人がこんなことを言った。「確かに、すごく仲が良かった同僚も連絡を一切取らなくなってしまった。」もう一方の友人ですらこんなことを言った。「転職しなくてもわかるかも。。。今の同僚と退職後に連絡取る人がいるかって想像したら1、2人もいないかも。」

で、さっきの話に戻るけど、みんなはさ転職に都合がいい「ツテ」を増やしたいの?それとも、居心地のいい人との「つながり」の場を増やしたい?もし、後者を増やしたいと考えているなら、重要なのは「精算されない」関係を重視することだよ。ちょうど今会ってるわたしたちみたいなね。ところが、こうやってずーっと関係を続けている「わたしたちですら」今年のGWは会うのやめようって話になったよね?このあべこべの行動を意識しないと、つながりは精算されてしまうよ。

マーケットによる精算関係は増えている(むしろ増やそうと努力する)けど、コミュニティでつながる永続関係はどんどん失われているってことが、実感を持ってイメージできたのかもしれない。たぶん気づきには相応しいタイミングがある。「会おうってなると、せっかくだからあれもこれもイベントを詰め込んで仰々しくなっちゃうんだよね。。。で、準備だったりの時間が忙殺されてしまってまた今度でいいやってなっちゃう。何も持たずに会う機会を増やすだけに視点を変えたほうがいいのかもしれない。」誰かが最後にそうつぶやいた。

そんなこんなで、今月中にまた会ってゆっくり手ぶらでハイキングでもしようという話になったのでしたw

りなる



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この記事を引用して、ご自身の体験談を紹介してくれました!ふらりと遊びに立ち寄る場所があること。。。いざというときに助けてーって言える相手がいるときっと日々の生活や忙しさすらも彩り鮮やかな体験にしてくれるのですね!

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