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現実を味わう - ありのまま今を生きるというけれど

今を生きるという言葉が氾濫している。今を生きるとはどういうことかと、このところ考える。

ありのまま今を受け入れると言いながら、その惨憺たるさまをポジティブに受容せよと主張する。確かに、人生のあらゆる順境・逆境をポジティブに捉え生きる姿は、とても潔く高貴なあり方のひとつだとわたしも思います。その反面、言葉通りであろうとするほどに、そこにある生の本質から目を背けてしまっていないだろうか。ありのままとはなんだろう。ポジティブさとはなんだろう。そこに留まることで、人生に起こるさまざまな奇跡を取りこぼし続けてはいないだろうか。

能力とは

眼の前に起こっていることに、その体験をめいっぱい享受するためにわたしたちが持つべきものはなんだろう?例えば、あなたの眼の前にあるご馳走を味わうのに最も有効なものはなんだろう?シンプルに考えるなら、あなたの味を知覚する能力の向上ではないだろうか?味覚オンチであるよりも敏感であるほうがはるかに多くの味を知覚できる。味だけではない。目が悪いよりは良いほうが視覚に映る風景を十分に享受することができる。知覚・体感できなければ受け取ることすらできない。受け取らないという選択もできない。

料理は「おいしい」にこしたことはないけれど、あなたの舌が「おいしい」しか感じることができなかったら、それは味を十分に享受していると言えるのだろうか?さて、赤ちゃんが興奮気味に美味しそうに離乳食を食べている。あなたが親だったらどう思うだろう?そのままでよいと思うだろうか?もっと世の中には美味しいものがたくさんある。もっとたくさんの料理が食べられるように身体が育ってほしいと願うだろう。

これは人生においても同じことが言えないだろうか。あなたの人生に起こっているさまざまな出来事を「ありのまま」余すことなく享受するために何が必要だろう?それは「不快」に対して鈍感になり、ただ「快」だけに反応する身体をもつことではないはずだ。あらゆる知覚、体験に敏感に反応できる「能力の向上」ではないだろうか?

ここでいう能力とは、最近流行りのスキルアップだとかリスキリングだとかの文脈で使われる技術知識、技能といった実利的なものじゃありません。あなたが生身の人間として人生の今を知覚し吟味する能力のことです。

ポジティブさとは

過去の過ちが今の自分を支えていると感じることは誰しもあるでしょう。これは目の前に起こっている一見ネガティブな事象が、未来のあなたにとってもネガティブであるかなどわからないということ。だから、多くの人はこう言うのです。全てをポジティブに受け取り善悪を判断するのはやめましょうと。それ自体は、世界をダイナミックに認識する素晴らしい指針だとわたしも思います。よくよく考えると、これは全ての事象を善悪の区分なく「全きに味わいつくす」ということが本来の意味するところです。ところが、多くの人はポジティブという「枠」だけに反応する身体を好み、ただ闇雲にこれがわたしにとってのポジティブな恩恵であると思い込もうとする。そして、あなたの眼前にだくだくと広がる現実への責任すらも放棄してしまう。

これはむしろ人生にたいする冒涜だとわたしは思う。全てをポジティブに受け入れようという言葉には、暗にあなたの人生を味わう能力を鈍化させる力が働いている。ポジティブもネガティブも善も悪も、喜びも悲しみも、料理の甘みだけでなく、酸味、苦み、臭みすら、その全てを味わうかのように、人生を味わうことこそが恩恵なのだから。

ありのままとは

ありのままとは文字通り、そこにあるがまま、ありのままのことを言うのです。その今を感じることです。人生の豊かさとは眼の前のありのままを全きに味わいつくすことです。そのようにシンプルに考えられることができれば、多くの問題もまたシンプルになります。

多くの人は幸せな人生を送ろうと、「快」だけを求めようとします。できるだけ優位に取捨選択をしようという強い意識に促されているかもしれません。酒、たばこ、ドラッグ、ギャンブル、地位、権威、お金、あなたの現実を心地よいものにするために選ぶべき外的ツールはたくさんあります。それ自体が悪だと言うつもりはありません。ただ、それらは単にスパイスにすぎません。もし、「快」だけを求めればよいのであれば、究極的には脳に必要なだけの快楽物質を注入して適度な幸せを求めればいいということになる。マトリックスのサイファーの選択した世界です。そこにはあなたの人生を吟味する自由はありません。

あなたが自身の人生を自由に余すところなく味わうために必要なものはなんだろう?それはあなたの感覚器官を曖昧な幸せというベールで包み込むことなのか?それとも、いっさいのベールを剥ぎ取り、よりクリアーに凝視し吟味できる能力を持つことなのか?いったい、どちらだろう?青いピル or 赤いピルあなはたどちらを飲みたいと思っているだろう。

今を生きる

今を生きる・・・ そのためにあなたが人生をかけて「しなければならない」と思っていることのほとんどは役にたたないかもしれない。そのほとんどの習慣は、あなたの視界の解像度を下げる。あなたはただ快楽を求めるあまり自分の身体を鈍化させることに必死になっている。あらゆるマーケティング、ビジネス、自己啓発、占い、娯楽、教育、またはそれにまつわるあらゆるサービスや機器、テクノロジー、デバイス、特にスマホやアプリ。それらは、あなたの視界の焦点を「快」だけに絞るよう矯正しようとする。

もっとシンプルに素のままの人生を眺めてみよう。

あなたのその決断は、あなたのその行動は、眼前に広がるむき出しの人生を享受するために、必要な能力を高めているのか、鈍化させているのか?もし、後者だと感じるものがあるのなら、いったん立ち止まってみよう。追い求めるのをやめてみよう。買うのをやめてみよう。習慣を見直してみよう。行動をやめてみよう。そしてそこにぽっかりとあいた隙間からにじみ出るごつごつした人生の味をゆっくりかみしめるように味わうんだ。あなたがその一生をかけてまさに命をかけて努力すべきことがあるのなら、その感性をどこまでも敏感に高め続けることじゃないだろうか。

りなる



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