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黒歴史につき立ち入り禁止

前置き

内容がとても過激です。
NFT活動とは全く関係ない内容です、
性についてなど嫌悪感のある方は回れ右でお願いします。

何でも来い!な方だけ次にお進み下さい。

ちゃんと注意喚起しましたよ!

では。


魔法の通信機

パパとママの涙を見た日、私は本当にごめんなさい。と
ママは私に、パパは相手に怒りを隠さなかった日の出来事です。

小学校5年生になった頃、初めての携帯をママからプレゼントしてもらいました。

とは言ってもママのお下がりiPhoneです。

私は魔法の通信機にすぐ夢中になりました。

それまでのひとり遊びと言えば、お絵描きや物語をノートに書く事だったのが、手のひらから繋がる無限の世界へと変わったのです。

触り始めて数時間は、わからないことだらけでビクビクしていた私ですが、1日も経てばネット、LINE、写真などひと通りをおぼえ得意げな私が誕生するのです。

学校でもキッズケイタイを持ってる子が数名しかいない中、なんの制限もない携帯を持っているのは私くらいでした。たぶん。

ママから来るLINEが楽しみで、私からは変顔写真をママへ送るのが日課です。

その頃のママは夜仕事をしていたので、夜の寂しさを時々来るママのLINEで紛らわせていたのです。

そしてアマプラ!なんと携帯でアニメが見れるのです!
怖かったお風呂もこれでへっちゃらです。

魔法の通信機を得た私の世界は驚く程にに変わり、それをママもどこか安心したように私を見ていたと思います。

ただそんなママから禁止事項のルールが3つ。

知らない人とLINEをしない。
WiFi以外の所では通信しない。
SNSは禁止。

です。

知らない人とLINEなんてそもそもどうやってするの?
うちに帰ってからしか通信しないし大丈夫。
SNSってなんだろ?

これが私の反応です。

失敗のきっかけは好奇心「SNSってなんだろ?」でした。

ネットで調べメモをとりTwitterに辿り着いた私は、初めてママや学校の友達以外の人達と出会う事になるのです。

とは言っても、小学生の私のTwitterはとても可愛いものでした。

学校であった出来事から、変顔の写真のアップ、晩御飯の文句やママのあれこれ。今の私とそう変わらないかも。

酷かったのが中学時代です。
異性への無意識な興味。寂しい構って欲しい気持ち。
優しくされる事への執着と擬似恋愛。

事件の予感しかしないのです。

車と匂い

中学になれば周りにも普通に携帯を持つ子が増えていて、LINEグループやTwitterでの相互フォローなど、コミニュケーションに欠かせないツールになっていました。

一方私は自分のTwitterを皆に隠していたのです。

みんながLINEやTwitterを始めた頃、私はどっぷりとあるアカウントにのめり込んでいました。

「病み垢」というものです。
皆さん知ってますか?「病み垢」。
と言っても様々で、私は自撮りを上げたりDMやLINEのやり取りをしたりと、辛い、寂しい、構って。をお互いに埋め合うような所にいたのです。

ママとの約束なんてどこへいったのか。

その頃にはもうママよりSNSの世界にも携帯の扱い方にもなれた私にとって、約束なんてなんの効果もなくなっていたのです。

夜な夜なママに内緒でイヤフォンをしては寝落ち通話にハマり、求められる事が自分の価値だと思っていた私は求められるまま、相手に写真を送ったりと。

ママや友達以外に初めて「可愛い」「好きだ」と言われる事に夢中になっていたのです。

そして、当たり前のように事件は起きます。

「会わない?」

心臓が今までにない速さでなるのがわかります。

「会いたい」

通話を繰り返し、お互いの写真を送りあった人です。

学校でもママにさえも言えなかった辛い気持ちも全て聞いてくれた人。

そんな相手に言われれば、「私も会いたい」と返信するまでに時間はかかりませんでした。

お昼間はママがいるし、ママが作ってくれた晩御飯を食べてないと怪しまれるし、何より1番可愛い自分で会いたい。

そう思った私はお風呂を済ませ、お洒落をした後の時間。夜の駅を待ち合わせ場所にえらぶのです。

心配事と言えばママが急に帰って来たりしないか、WiFiない所でママからのLINEが来ないかなど、今思えば心配するところが大きくズレていました。

でも、それくらい会った事のない相手を心底信頼していたのです。

そして車からその相手が降りてきます。

「りこちゃん」と声をかけられ、どうしたらいいのかわからない感情が込み上げます。

通話越しでない声、写真とは違う感じの人、何より車。
ママ以外の車に乗るのは、ほとんど初めてです。

緊張なのか不安なのか、わからない感情のまま助手席に座ると車が走り出します。

ママの車とは全く違った匂いが何故かとても不安を誘います。

何処に行きたい?お腹は?喉は乾かない?と、とても優しく聞かれますが、私は声を出せず首を横に振る以外は固まったままです。

どれくらいの時間が経ったのか。何を言われ、何を返事したのかわからないまま、車は山の方の大きな公園の駐車場に。

そして、相手が男性だと言う事を思い知らされるのです。

ショックでした。とても。

といっても身体をちょっと触られた以外は全て拒否出来たので大袈裟だと思われるかも知れません。

そこからはもう、帰りたい。しか頭に浮かばず。
相手が不機嫌になるのを感じながら、「ママが帰ってくるから帰らなきゃ」とお願いして駅まで送ってもらったのです。

ネットの怖さ

この出来事はもちろんママとの約束を破った私の失敗です。

なので当然ママにも誰にも言えません。

そして更に事件は続きます。

「会わないなら写真晒すよ」

あの日以来避け続けた、あの人からのLINEに私は固まります。

ですが解決法がみつからない。二度と会いたくないし、送ってしまった写真は消せないのです。

そして私は誰にも相談出来ないままアカウントを削除、LINEを削除しました。

不思議。

あの人を見なくて済む。連絡も来ない。
そうなるとあんな出来事も嫌なLINEも何もなかったんじゃないかと思えるほど私の中から不安が消えたのです。

ですが甘かった。

私が知らないだけで相手の怒り?はどんどん増していて、私が忘れていくのと反対に相手は私に執着したのです。

私の家の最寄り駅、通う学校。
それに添えられた写真。

それが私の知らないところで広がり、私の知ってる人達に届いてしまったのです。

そしてそれはママにも。

大騒ぎです。

学校の友達にもママにまで見て欲しくない写真を見られたのです。

死にたい。本気でそう思いました。

約束を破っていた私にママはありったけの怒りを表現します。泣きながら。

私はただ何もかもがこわくて泣く事しか出来ません。
理由を聞かれても何から説明したらいいのか全くわからないのです。

そしてパパが現れます。何年も会えなかったパパと最悪な状況での再会です。

何故かママに言えなかった事をパパには、時間はかかったけれど、だいたいの内容を伝える事が出来たのです。

この後の出来事は色々誤解を生みそうなので省略します。

結果的に私は残りの中学生活を「出会い系の女」「変態」「すぐやれる子」として過ごす事になりました。

なぜ私がこんな黒歴史を書いているのか。

実は私のような子はたくさんいます。

寂しくて構って欲しくてすぐ相手を信用して依存してしまうのです。

この事件後は携帯を取り上げられ、返してもらった今も通話禁止、お風呂に持ち込み禁止、学校以外のLINE禁止など新たなルールを作られましたが、それを破るも守るも私次第なのです。

そして、こんな事件を起こし、大反省したものの残念な事に私の中にある根本的な寂しくて依存する。という体質は変えたくても変えられないのです。

もし、周りに私のような子がいたら構ってあげて欲しいのです。ただし人としてです。

私くらいの娘がいるよって方は気にかけて欲しいのです。

寂しいとか辛い、誰でもいいから求めて欲しいなんて事。誰にも言えないのです。特に親や友達には何がなんでも隠して起きたい事なのです。

幸い私は高校に入り2人の親友と出会い、NFT活動と言う最強の味方に出会えました。

寂しい構って欲しい求められたいと言う欲求をNFTが親友がフォロワーさんが埋めてくれるのです。

これを読んだ方がどう思うのか、嫌われたりしないか実はとても不安です。

でも何故かこの話はどうしても書いておきたかったのです。

いえ、違います。本当はいつかどこからか、この黒歴史が意図せず私以外のところからバレてしまうのが怖かったのです。

ネット上には未だにあの頃の私の写真が残っています。

NFTを始めて沢山の方に応援頂き嬉しい反面、もしかしたら過去の私を知っている人がいるんじゃないか。

りこはこんな事してたって誰かが言い出すんじゃないか、急に絡んでくれなくなったのはもしかしたらバレちゃったのかも知れない。

なんて被害妄想をしたりしてます。

なのでこんな気持ちとはお別れしたい。
私から発信してしまおう。

これがこの記事を書いた理由です。

書き終わったのは12月の始めです。今はもう年末です。
これを記事として出す日が来るのか私にもわかりません。



最後に

気分を害された方には心からの謝罪を。
そしてもし私かも?と思った写真やアカウントがあっても私には報告はしないください。私にやり直しのチャンスを頂けると嬉しいです。





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