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JW組織に疑問を持ったきっかけ

このnoteを読んでくださっている方の半分くらいは、
エホバの証人関係の方ではないかと思います。(もちろん、そうでない方も大歓迎ですが)

そして、教団に何らかの疑問を持っている方がほとんどではないかと思います。


私が思うに、疑問や疑いとは小さなことから始まります。

人それぞれ疑問を感じるケースは違うでしょうし、これから私が書く経験についても「そんなものだ」と大して気にならない人もいると思います。

ただ、
何かのちょっとしたことで感じた違和感というのは、けっこう当たっていることが多い
ということをお伝えしたいなと思い、
それが皆さんの脱会の助けになればという思いから記事として書いてみることにしました。


では、よろしければお付き合いください。


1、コロナ禍での伝道活動の縮小


2020年3月、新型コロナウイルスが本格的に流行し始め、ストイックとして知られる?エホバの証人でも集会はオンライン化し、
あれほどこだわっていた「家から家への伝道」も一時中止という方針が発表されました。

2024年現在、もうあれから4年も経ったのかと思うと何とも言えない複雑な心境です。

さて、
こうして家から家の伝道ができなくなったため、
電話伝道というタイプの伝道活動が励まされるようになりました。

これは、タウンページ(電話帳)などを使いながら、区域内のお宅に電話をかけて伝道するというもので、実際にはコロナ以前からこうした奉仕のスタイルは存在していました。

しかし、今時電話帳に電話番号を載せているお家などそう多くはありません。
(家の電話機自体ないという家すらあるでしょう。)


当然、コロナ禍の伝道は早々に頭打ちにあいます。


そこで、統治体→支部と送られてきた新たな伝道スタイルとして、
「友人・知人への伝道」というものが発表されました。

これが私にある疑念を抱かせるきっかけとなりました。



2、友人・知人への伝道


友人・知人への伝道とは何かというと、
自分のこれまでの友人や知人(学校のクラスメイトや会社のかつての同僚)、
家族や親族にメールや手紙、電話などで連絡を取り合って伝道する。

というものです。

支部からの手紙では、

今、パンデミックが到来したということは、終わりの時代のいよいよ最終部分にきていることの揺るがぬ証拠です。
友人や親族を救う最後のチャンスかもしれません。
ある人は携帯電話のアドレス帳に残っている電話番号を調べて、片っ端から電話をかけてみることにしました。
また、別の人は、卒業アルバムに書かれた名簿の住所を手掛かりにして手紙を送ってみることにしました。

私たちは、コロナウイルスで家から家に奉仕できないとしても、音信を伝えることができます。
今は、手を休めるべき時ではありません。

たしか、こんな感じのことを言っていたと思います。



言い分としてはわからなくもないですが、
さて、この方針を聞いて困ったのは地元の多くの信者たちでした。


3、「世の人」へのコンタクト


エホバの証人では、信者ではない人たちのことを「世の人」という文化があります。
そして、残念なことに「世の人」という言葉を使う時、
・真理を知らないかわいそうな人たち
・邪悪な世の中に住んでいて、私たちのような正しい基準で生きていない人たち
といった上から目線といいますか、見下すようなニュアンスが込められていることが少なくありません。


教団の文書がこうした価値観を植え付けるように情報操作がされていて、
日々、集会に出てそれを勉強していく中で半ば無意識のうちにこのような思考回路になってしまうのです。

そして、2世として育った信者であれば、
「世の人との交友を避けなさい」という教えは耳にタコができるほど聞いたし、教えられたのではないでしょうか。


JW組織は、「悪い交わりは有益な習慣を損なう」という聖書の言葉を都合よく解釈し、信者でない人との不必要な交友を避けるように教えています。

これは現在でも同じです。

したがって、
部活動に参加させなかったり、
自由参加のイベントに参加させなかったり、
大人であれば、会社の飲み会や打ち上げなどに参加しなかったり
そうした選択が望ましいと教えられています。


もちろん、これは強制ではありません。
しかし、そうすべきだという暗黙の雰囲気で満ち満ちています。


また、誕生日やクリスマスを祝わない、乾杯をしない、お正月をしない、などの教義から世の友達との心理的距離が生まれ、無難なコミュニケーションに終始してしまい、仲良くなれないパターンが多いように感じます。

そもそも、仲良くなってはいけない(かのように教わる)というマインドセットがあるので、当然距離が縮まるはずもなく、
「顔見知り」程度の友人関係のまま、その学校を卒業したり、会社を退職したりといった感じになっていきます。


こうした振る舞いを数十年に渡って、JW組織は信者たちに推奨してきました。


その結果、何が起きたでしょうか。

連絡を取ることのできる友達がいない。

という事態が生じました。


4、あとにする必要のなかったもの


そして、私自身もこの状況は例外ではありませんでした。

私は、親から研究をしてもらって信者となりましたが、
親がエホバの証人になったのがそこまで昔ではなかったので、
研究が始まったのが大学在学中でした。

ちなみに、それまではエホバの証人の存在すら知りませんでした。


同じように「世との交友は有害だ」と教わり、
また友達にも証言するようにと指示され、
多くの友人が私の元を離れていきました。
反対に、私から疎遠になった友人もいます。

数人ほど親友と呼べる存在もいました。
その方は涙ながらに私に思いとどまるようにと説得してくれましたが、当時の私はその声に耳を傾けることができませんでした。


そうしなきゃいけない。
これは正しいことで、神がそう望んでいるんだ。


その思いで、泣く泣く関係を断ち切った友人たちがいました。


私の素質を評価してくださり、将来の夢を語り合った大学の先輩もいました。
私のことを可愛がってくださった職場(といってもバイト先ですが)の歳の離れた上司もいました。


そうしたかけがえのない出会いを、私は捨てざるを得ませんでした。


いや、わかっています。
それは私自身の選択であり、
それを誰かのせいにすることはできません。

全ては私自身がまいた種であるということ。


しかし、
組織は今になってその「友とのつながりは大事だ」などと言うのです。


正直、当時は怒りすら覚えました。


一体、誰のせいで友達を捨てなければならなかったと思っているんだ!!

と本気で思いました。
(わかっています。結果的には自分のせいです。)


まあ、私と関わりのなくなった友人たちにとっては、それはそれでよかったと今では思っています。
そのおかげで、私は彼らに証言しなくてよかったのですから。
彼らも私と関わらなくなったおかげで、この組織に足を踏み入れる可能性が少し低くなったわけです。


こうしてその時ふと思いました。


何かおかしいぞと思いつつもこの組織に従い、
その結果、その違和感通りのことが起きたとして、
結局、組織は何の責任も取ってはくれない
のだと。


組織は、これまでの言ってきたことと全く逆のことをある日突然言い始め、
これまでその指示に従ってきた人をあっさり切り捨てるのではないかと。


そして、その懸念は現実になり始めています。


ムチ問題、
大学進学の問題、
忌避の問題、
本当は嫌だったのに、その自分の本当の声を押し殺して、指示に従ってきたのにも関わらず、
ある日急に「そうしたことは指示していません。信者一人一人の自由な選択に任されています」と手のひらを返される。


これは非常に悲しいことです。

だからこそ、自分の決定を他の人や組織に任せてはいけないのだと学びましたし、今も学んでいます。

ゆえに、このnoteでは「自分の意思で決定すること」の重要性を伝えていきます。これからもその点は変わりません。

それこそが、神が私たちに与えた「自由意志」の正しい使い方だと信じています。

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