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ピザの歴史

本稿はピザ(pizza)の歴史について書きたいと思う。ピザは言うまでもなくイタリア発祥のパンで作った料理であるが、大きく発展・一般的にしていったのはアメリカである。このあたりについて、色々なピザ屋も紹介しつつ、皆さんが楽しめるnoteにしたい。本稿はもちろん基本無料である(投げ銭欄200円はある)。


1. ピザの起源 ―ナポリピザまで

ピザは言うまでもなく小麦で出来ており、また発酵によりパン(bread)となっていることから酵母も関わる。ピザという言葉が初めて登場したのは西暦997年のイタリアであり、その後の発展を考えてもピザ自体はイタリアの発見・発明といって差支えないが、さらにそのルーツをたどると古代エジプトやギリシャに辿り着くことになる。
 小麦を挽いて粉にして、水で溶いたものを焼くという食文化は、メソポタミア文明発祥といわれている(麺の歴史①参照)。

それが古代エジプトに伝わり、小麦粉を水で溶いたものを発酵させて焼く、というパンに進化したと言われる(エジプトは酵母を発見・利用した文明とも言われる)。古代エジプト人が作ったパンは、平らな丸い形に成形し、石窯に貼り付けて焼くというもの(flatbread)であり、それは紀元前3000年頃とも言われる。今から5000年前に誕生したこの石窯焼きパンは、世界各地に広まって、さまざまな小麦の食文化に発展していったと言われ、その一つがピザのパンということである(以下の動画は4000年前とあるが、いわゆるflatbreadに関する動画である)。

また古代ギリシャでは、市民はプラコウス( πλακοῦς, plakountos ) と呼ばれるfflatbreadを作り、ハーブ、玉ねぎ、チーズ、ニンニクなどの色々なトッピングで味付けしていと言われる。なんとなくピザに近いようにも思える。

いずれにせよ、ピザと言う食べ物を確立させたのはイタリアであり、上に述べてきたような源流はあるにしても、イタリアピザの原型はフォカッチャ(Focaccia)であるという。フォカッチャは発酵させてオーブンで焼いた平らなイタリアのパンである。かつてのローマ人にはパニス フォカッチャスとして知られ、各種トッピングが加えられたflatbreadである。フォカッチャの由来は、火を意味するFuocoが由来で、フォカッチャは、「火で焼いたもの」を意味するという。
 16 世紀のナポリでは、ガレットフラットブレッドはピザと呼ばれていた。それは貧しい人々のための料理、特に屋台の食べ物として知られていたが、そこまで家庭で食べるような文化にはなっていなかった。大きな転機は、スペインが南米に侵略したことによりトマトがもたらされたことで、これによりイタリアの料理はとてつもなく変貌していくところがある。

トマトはアンデス山脈が原産であった

ナポリでは18世紀後半までには貧しい人々がトマトをパンに乗せる具として使い始めた。ナポリのピザはすぐに訪れる観光客に対する名物料理となった。

ナポリの場所
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b3/Stadnapelsligging.png

当初、ピザは屋台や路地売りされていたと言われる。ナポリのピッツェリア(ピザ専門店)であるアンティカ・ポルタルバ (Antica Port’Alba)は1738年から店でピザを作って路地で販売しており、1830年に店を椅子とテーブルが整ったレストランに改装した。二度の世界大戦を経た現在の店舗も当時と同じ位置にあるということである(以下にアニテイカ・ポルタルバのホームページを示す)。

また、1870年創業のセルサーレの老舗ピザ専門店「ダ・ミシェル (ダ・ミケーレ)」は、真のナポリのピザはマリナーラマルゲリータの2種類だけだとしている。


マリナーラは最も古い形のピザであり、トマト、オレガノ、ニンニク、オリーブ・オイルが具であり、バジリコが使われることもある。マリナーラは「船乗り」を意味する語であり、ナポリ湾を拠点とする漁師が好んだからこの名前になったという伝承もある。一方で、マルゲリータ(Pizza Margherita)の誕生は1889年。ラファエレ・エスポジト(Raffaele Esposito)が作ったと言われる。トマトの赤、モッツァレラの白、バジルの緑、イタリア国旗の色合いのピザをマルゲリータ王妃がとても気に入ったことに由来していると言われる。

Pizza Margherita

ちなみにAssociazione Verace Pizza Napoletana(真のナポリピッツァ協会, AVPN)という団体が1984年に設立されており(以下に日本語のページを示している)、ナポリに古くから伝わる職人の伝統技術を再評価し、ナポリピザの伝統が世代交代の中で変化してしまうのを少しでも防ぐことや、そのノウハウや暗黙知が失われないように緻密な基準づくりをし、伝統技術を後世に伝えることを目的としている。

AVPNが認定したピザ・レストランを以下にリンク先を書いておく。

さてここまでピザの発祥とされるナポリピザについて述べてきたが、イタリア・ピザも実はかなり多岐にわたる。次章でイタリア・ピザをいくつか紹介し、さらにその次には世界的にピザが広まる原因となったアメリカのピザの発展について述べる。

2. ナポリ以外のイタリア・ピザ

2-1 ローマ風ピザ
ローマ風ピザは、生地が薄くパリパリした食感を楽しむことができる傾向がある。生地は薄く、長い時間をかけて焼き上げて作る。具材は、多い傾向にあり、種類が豊富である。ローマはイタリアの都市で裕福な地域でもあったため、具材が豪華。典型的なピザとして「クアトロフォルマッジ(quattro formaggi)」や「ディアボラ(diavola)」などが挙がる。クアトロフォルマッジとはイタリア語で「4種類のチーズ」を意味する言葉で、4種類のチーズ(formaggi)が乗ったピザのことを指す。一方で、ディアボラは「悪魔風」を意味し、スパイシーなサラミとピリッと辛い唐辛子を使ったピザで、辛さとしっかりとした旨味を楽しむことができる。

Pizza ai quattro formaggi
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/ad/Pizza_quattro_formaggi_at_restaurant%2C_Chalk_Farm_Road%2C_London.jpg/1200px-Pizza_quattro_formaggi_at_restaurant%2C_Chalk_Farm_Road%2C_London.jpg
Pizza diavola
https://thepizzaheaven.com/wp-content/uploads/2021/07/Pizza-Diavola.jpg

2-2 ミラノ風ピザ
ミラノ風ピザは、イタリアの中でも最も生地が薄くカリカリした食感がある。サイズが大きいのも特徴になる。多くの具材がのっていて、ふちの部分がほとんどないため、ナイフとフォークで食べることもある。典型的なピザは、「ボスカイオーラ(boscaiola)」が知られている。

ミラノとローマ
https://www.mofa.go.jp/mofaj/kids/kuni/image/ita_ml_2017_map.gif
Pizza Boscaiola (キノコが大量に使われたピザ)
https://www.tripadvisor.ru/LocationPhotoDirectLink-g1175111-d21315065-i476531369-Numerodieci-Frosinone_Province_of_Frosinone_Lazio.html


2-3 シチリア風ピザ
シチリア風ピザは、中はふわふわで、外だけをカリッとした食感に仕上げまられる。典型的なピザとして「ピゾーロ」や「スフィンチョーネ」が知られる。「ピゾーロは、生ハム、モッツアレラチーズ、トマト、ソーセージを詰めてから、オリーブオイル、パルメザンチーズをかけて再び焼いてつくる。つまりピザであるがダンプリング(doughの中に餡がはいっている食べ物全般)にも当たる。

シチリアの場所(赤)
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/12/Sicily_in_Italy.svg/200px-Sicily_in_Italy.svg.png

スフィンチョーネ」は、トマトソース、オレガノ、ペコリーノチーズ、パン粉をのせる。オニオン、アンチョビをのせる場合もある。かなりみかけがこれまでのピザとは異なる。

Pizzolo
https://image.foodboom.de/x8zq295twg9sydlmoyueaqa0efbt?auto=format,compress&crop=entropy&fit=crop&w=1200&h=960
sfincione
https://blog.giallozafferano.it/mastercheffa/sfincione-palermitano/


イタリア・ピザは大体このあたりである、では次にアメリカのピザに行くことにする。イメージ的にイタリアを中国の拉麺として想像するなら、アメリカは日本でありラーメンを作っているようなイメージで行けばよい。

3. アメリカピザ

ピザを日本も含む世界中で食べられているありふれた食べ物に昇華させたのは資本主義の権化、経済超大国であるアメリカ合衆国である(昇華と書くとイタリア人から怒られる可能性はある)。ピザは19世紀後半にイタリア移民によってアメリカにもたらされた。そしてイタリア移民が多かったサンフランシスコ、 シカゴ、ニューヨーク、フィラデルフィアなど各地に広まっていった。どうも1940年くらいまではピザを食べるのは主にイタリア移民が中心だったという。ちなみにニュージャージー州ではピザの事をトマトパイ(Tomato Pie)と呼んでいたりもしていた。

第二次世界大戦後、イタリア戦線から帰還した退役軍人たちはイタリアの郷土料理を紹介したが、アメリカは特にピザ​​の市場として適していることがすぐに誰の目によっても明らかとなった。「最下等兵からドワイト・D・アイゼンハワーに至るまでの退役軍人」によってもてはやされたということでもある。 1950年代までに、『アイ・ラブ・ルーシー』のエピソードで取り上げられるほどの人気を博した。その後ピザ市場は近所のピザ専門店とピザチェーンという2つの異なる方向に拡大した。また冷凍ピザの開発・販売も行われるようになっていった。1951年にシカゴの実業家であるエミール・デ・サルヴィ(Emil De Salvi)が、ピザ・フロ(Pizza-fro)という冷凍ピザブランドを立ち上げていた。また1954年にカリフォルニア州サクラメントでシェーキーズ(Shakey's)がはじまり、1958年にカンザス州ウィチタでピザハット(Pizza Hut)が開店した。

1954年に開店したサクラメントのシェーキーズ
https://www.pinterest.jp/pin/563442603361655442/
1958年にカンザス州ではじまったピザハット(Pizza Hut)
https://i.insider.com/5c000539bde70f6551407e74?width=750&format=jpeg&auto=webp

そしてピザの宅配を考えついた企業も現れた。それがドミノ・ピザ (Domino Pizza)である。1960年にミシガン州イプシランティにてトーマス・スティーブン・モナハン(Thomas Stephen Monaghan)が設立し、イースタン・ミシガン大学の学生たちにデリバリーで売るところからビジネスが始まった。今では日本でも親しまれている世界一のピザのデリバリー企業である。

Thomas Stephen Monaghan (2024年現在、まだ存命中である)

その他、いちいち挙げ切れないが、アメリカではベルトゥッチズ、ハッピージョーズ、モニカルズピザ、カリフォルニアピザキッチン、ゴッドファーザーズピザ、ラウンドテーブルピザなどがイートインピザ市場を形成している。米国人口の 13% が毎日ピザを消費しているとも見積もられている。また最近の経済成長そのほかの事情からアメリカの物価上昇が著しいが、ピザの価格は相変わらずそれほど高くない場合もあり、なおさらありとあらゆる層のアメリカ人に親しまれている。

現在のアメリカでは地域ごとに特徴のあるピザが存在する。例えば、高さのある深いパンを用いて、チーズや具をたっぷり入れて焼いたものはシカゴ風ピザと呼ばれ、シカゴの名物となっている。一方で、生地が薄いものはニューヨーク周辺に多く、ニューヨーク風ピザあるいはクリスピーピザと呼ばれる。また、アメリカで新たに生まれたパイナップルなどを入れたハワイアンピザなども、広くアメリカ国民に食べられている。

4. 日本のピザ

日本にピザはいつ伝わり、いつから広まるようになったのであろうか。諸説あるが、日本にピザが上陸したとされるのは第二次世界大戦(太平洋戦争)の間と言われる。一説には1944年にイタリア軍のコック長であったアントニオ・カンチェミが神戸でピザを焼いたという話がある。そのカンチェミ家によるレストラン「アントニオ」は現在でも南青山にある。

加えて戦後の1946年に兵庫県宝塚市でシチリア出身のオラッツィオ・アベーラが開店したイタリア料理店「アベーラ」があり、こちらはその息子であるエルコレ・アベーラが1971年に改めて改装されて開店した「アモーレ・アベーラ」が今でも続いている。

そして1954年にはピザハウスのニコラスがイタリア系アメリカ人のギャング(マフィア)であったニック・ザペッティにより六本木に開店され、こちらも今でも続いている。

1964年に、ペプシコーラの日本法人を設立した比嘉悦雄により冷凍ピザが輸入・販売されるようになった。そしてスーパーなどでも売られるようになっていった。そして1973年には前章のアメリカピザで紹介したシェーキーズ (Shakey's)も日本に進出してきた。

1985年にはピザのデリバリーがドミノ・ピザによって日本でもなされるようになった。そして1987年には淺野秀則により宅配ピザチェーンである「ピザーラ」が東京・目白で1号店が開店した。

現在では、ドミノピザ、ピザハット、そしてピザーラの他にもナポリの窯など複数の業者がピザ宅配が展開されている。
 またピザの自販機が広島に設置され、コンビニエンスストアではピザを原型にピザまんやピザパンなどを総菜として販売するなど独自の進化をすすめている。

広島にあるピザ自販機
https://pizzaself-japan.jp/#!/location


5. 終わりに

日本においてピザはもう当たり前の食べ物の一つであり、特に宅配において親しまれているイメージがとても私にはある。私が子供の時に、親が電話をかけてピザの宅配を頼んでいたのを覚えている(90年代)。子供の私には宅配で届くピザはとても贅沢なものに見えたのであった。そして覚えているのは20年以上前にイギリスに行った際に、ピザハットのレストランがあって「あれ、ピザハットって宅配以外にレストランもあったのか」と驚いたのであるが、そもそもピザハットはレストランから始まっていたのであった。

ロンドンにあったピザハットのレストラン(今は閉店されているらしいが)
https://live.staticflickr.com/7191/6988597655_4751908d6f_b.jpg

ピザの歴史を見てみると、とても長い歴史があり、調べてみれば見るほど色々しることが出来てとても面白い。本稿は書き始めてからここまでくるのに結果として10日以上かかってしまい、しかもその間に4つくらいnoteを別に書いてしまったりするなど随分な時間を要したが、読者諸氏にはとにかく楽しんで読んでもらえればいいと思う。あとは投げ銭の欄になる。

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