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思い描いた留学生活ではなかった話

初めてのnote投稿、自己紹介から始めるべき…?と一瞬思ったけど、底辺YouTuberの自己紹介動画ほど需要のないものはない。ということで自己紹介は一文で済ませる。

高校3年生、アメリカ留学9ヶ月目。

帰国まで2ヶ月、noteを始めるにはおかしなタイミングに思えるが、自分にとっては完璧なタイミングに思える。なぜなら、やっと情緒が落ち着いたから。
アメリカに来て半年は、全てのものに興奮し、喜び、そして泣きまくり、また喜び。留学という新しい生活に振り回されていた。
やっと今、この激動の数ヶ月を振り返ったとき、何が自分にとって価値のあることだったか、そしてどう成長したかを俯瞰し、自分にとっての「留学」を、要点に絞って伝えることができる気がしている。

最悪のホームシック

涙なしの別れ

日本での最後の時間、最高のサプライズ、大量の手紙とメッセージを貰ったにも関わらず、私は日本を、友だちと家族を離れることを全く悲しいと思わなかった。
その後も、12月に本格的にホームシックになるまでは、日本を恋しく思うことはなかった。もしかしたら一種の意地だったかもしれない。留学生活を完璧にするための。

日本で食べた最後の朝ごはん。

9月、部活ではみんな年下だけど仲の良い友だちができた。ホームカミング(ドレスアップしてディナーを食べた後、ダンスパーティ)では同い年の女の子のグループに混ぜてもらった。

友だちができない!

良い感じに留学をスタートさせた私だが、影はすぐに大きくなっていく。
10月。私は友だちがいないことに気づく。ああ、なんて惨めな一文!もちろんひとりもいなかったわけじゃない。ただ、グループに所属できない。ホームカミングに一緒に行った女の子たちとは、休日遊ぶほど仲良くなれない。部活や授業でできた友だちは全員年下。

ハロウィンは誰と行く?もっと休日出かけるべき?
他の子のインスタはすごくキラキラしてる…

ここに来て2ヶ月経っても安定した居場所ができない自分への焦燥感。SNSでほかの留学生と自分を比べて、劣等感。ハロウィンは友だちと行ってお泊まりもしたものの、どこか孤独を感じる。
このときは週2くらいで日本にいる親友と電話してた気がする。

泣きながら両親と電話した大晦日

12月、私は文字通りホームシックだった。10月や11月はメンタルブレイクはあったものの、帰りたいとは思わなかった。思わないようにしてたのかな。それが12月、限界を迎えた。日本が、友達が、何より家族が、恋しくて恋しくてたまらなかった。
家族からのクリスマスプレゼントが入った小包と手紙が届いた時、涙が止まらなかった。

冬休みのニューヨーク旅行から帰ってきた大晦日、私は部屋で2時間泣いた。旅行中一度も1人の時間を取れず、ストレスが限界だったんだと思う。(旅行中すごく兄弟喧嘩が多かった。)
あともう少しで新年を迎えるのに。最悪だ。最悪の2023だ。

こんな気持ちで新年を迎えるものかと、私は泣きながらお母さんに電話した。日本は新年。お父さんも家でダラダラしてる。日本にいる時からメンタルブレイクが多かった私は、いつもお母さんに助けを求めていたけど、そのとき初めてお父さんとも、心の内側の話をした。

お父さんが教えてくれたこと。

私は理想が高すぎる。
小さなことで幸せを感じる、満足する。
何もできなくても、何者になれなくても自分を受け入れる。

そしてもう一つ、決定的だったこと。お母さんに留学の目的を聞かれた時、私はすぐに答えられなかった。

私は何をしに来たんだろう?
友達を作ってキラキラするため?違う。
本来の自分はどこにいる?
本当に私がやりたかったことって?

その日私は、ただ世間の理想を追いかけ、本来の自分を見失っていたことに気づく。

最悪の大晦日。でも今思い出すと、すごく良い思い出。お母さんとお父さんと心の底から繋がって、本当の私へ、最初の一歩を踏み出した日だ。


本当の自分はどこ?

アメリカ留学と聞くと、どんなことを思い浮かべるだろうか?

  • 友達グループに所属する

  • 夜遅くまで友達とドライブ

  • 男の子とプロムに行く

  • 毎日放課後友達と遊ぶ

出発前、留学した先輩のインスタ、YouTubeの留学ブログを見まくって、私の脳内には自ずと「完璧な留学生活」が形成された。
SNSは恐ろしい。私たちが見ているものは彼らの日常のほんの一部で、加工で溢れているのに、私たちはそれがどの部分で、どの程度加工されているかを知らされない。

半年の苦悩の末自分を見失っていたことに気づいた私は、自分になるために、まず何が本当の自分かを見つけないといけない。しかしこれがものすごく難しい。というのも私が自分を見失ったのはアメリカに来てからじゃない。中学生になってからだ。
自分を見失い世間の理想を追いかけ始めてしまう理由については、長くなるから今回はカットするけど、私の幼少期も含めていつか話せたら良いなと思う。

どんなときも自分を責めない

自分を見つけるために始めたこと。どんなときも自分を責めず、受け入れること

出会った人全員と仲良くなって好かれることなんてできなくていい。
いつも輪の中に入って会話について行かなくてもいい。
毎週誰かと出かけなくてもいい。

留学生としての重りを、一つずつ外していった。

そうすると思い出したことがある。小学生の時の自分。自分を偽る前の自分。あの時の私は、全然友達と遊んだりしてなかった。でも学校にはたくさんの友達がいて、休み時間とか放課後に学校で遊んで、家では自分の好きなことをして、充分幸せだった。

小学生の自分は、今の自分のロールモデル
また世間に飲み込まれて自分を責めてしまいそうになる時、私はよく小学生の時の自分を思い出す。世間の理想やヒエラルキーの存在をまだ知らなかった自分。

そうやって私は自分と向き合った。世間の理想、それを実現できない自分から目を離して。

本当の自分を見つけて

しばらくして私が驚いたこと。
美術館で近代アートを鑑賞することを、私は想像以上に楽しんだ。大きなキャンバスの前にたった自分の感情が動かされるのを感じた。
そして4月、春の訪れを楽しんだ。日光が、若葉が、小さな野花が、何よりも価値あるものに感じた。
5年前に始めたジャーナリングノートには、今までにないほどポジティブなことが綴られている。

初春の淡い緑と日光

自分をを見つけて知った、私の好きなこと。
花と虫、太陽の光を浴びること、季節の移り変わりを感じる瞬間。
絵を描くこと、水彩画、近代アート、写真。
友達と深い話をすること、冗談を言って笑うこと。
ダンスパーティ、アクリルネイル、ジャズピアノ。
寝る前の音楽とジャーナリング。
人生について、社会について思考を巡らせること。
多様な文化、暮らしについて知ること。
自分の将来のことを考えること。
それからたくさんのことを考えて楽しんで愛せる自分の感性

私はやっぱり毎晩友達とドライブしたり、毎週末出かけたりはしてない。仲の良い友達はほとんど年下。日によっては部活で全然喋らない時だってある。
それでも私に話しかけて笑わせてくれる友達がいる。私とのツーショットをロック画面にしてくれる友達がいる。私が去ることを惜しんでくれる友達がいる。心から繋がっている親友もできた。
何者でもない自分を愛してくれるたくさんの人がいる。

私が最初思い描いていた理想の留学生活ではないけど、自然と人と触れ合い、創作性を高め、自分を見つけたこの一年は、私にとっての完璧な留学生活だなと思う。

最近始めた水彩画


私がこれから留学に行く人たちに伝えたいこと。
完璧な留学生活なんてない。
あなたにはあなたの留学生活がある。
自分の本来の目的と、好きなことを忘れないで、
限りある時間を価値あるものにしてほしい。

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