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憧れの感情と社会的ヒエラルキーの関係性。

社会的地位なんて気にしないと思ってる人でも、実は自分でも気づかないうちにヒエラルキーを作って自分と他人を比較していたりする。社会的ヒエラルキーといっても、何によってヒエラルキーが形成されているかは人によって異なる。

たとえば、収入や年収によって社会的ヒエラルキーを判断する人もいれば、人気や知名度といった部分で判断する人もいる。地位や権力といったものもそうだし、年齢や実績といったものでヒエラルキーを形成する人もいる。

おそらく大多数の人は、収入か知名度のどちらかでヒエラルキーを知らず知らずのうちに形成している。あるいは、両方を混ぜて考えている人が多い。「あの人は自分よりもお金を持っていて人気がある」というように。

もちろん、必ずしもヒエラルキーが形成されるわけではないが、大多数の人は無意識的に自分と他人を比較して、人間的なヒエラルキーを作っているといえる。

社会的ヒエラルキーの形成

一つ考えてみよう。あなたには誰か憧れてる人や尊敬する人がいるとする。あるいは、誰かのファンだったりミーハーになっているとする。相手は芸能人でも俳優でも女優でも誰でも構わない。

では、あなたはなぜその人に憧れているのだろうか?

仮に、若い女の子が女性アイドルに憧れているとしよう。彼女からすればアイドルは手の届かない存在であり、世間の誰が見ても可愛くてスタイルがよく、雑誌やメディアにひっぱりだこな存在である。なるほど、これだけ要素が揃っていればその人に憧れるのも無理はない話だ。

しかし、もっと踏み込んで考えてみると、憧れている理由にはもっとほかの要素があることがわかる。それが社会的なヒエラルキーだ。若い女の子はアイドルの容姿や頑張ってる姿に憧れを抱いているように見えるが、実際にはそうではない。

その子は無意識的に自分とアイドルを比較し、知らず知らずのうちに自分の中にヒエラルキーを形成しているのだ。あの子はアイドルをやっていて自分よりも可愛くてスタイルも良くてメディアでも活躍してお金もたくさん持ってて人気がある。自分と比較しても明らかに相手のほうが上の人間だ。だからこそ憧れという感情が生まれる。

憧れの感情はなぜ生まれる?

仮に、同じアイドルであっても大して活躍していなく、メディアにもほとんど出ることなく、世間からも注目されず、スタイルも微妙で、お金がなくてアルバイトをしているような人がいたとすれば、若い女の子は決してこのアイドルに憧れを抱いたりはしないだろう。なぜなら自分と比較して社会的ヒエラルキーが低いと感じるからだ。

憧れという感情は自分よりも下の人間には生じない。いや、自分よりも下だと思い込んでる人間相手には生じない、が正しい。年収1000万の人間がホームレスに憧れを抱いたりはしないし、普通の一般OLがお金も人気もないアイドルや芸能人に憧れを抱いたりもしない。

他人の収入、人気、知名度、地位、権力、実績といったものを見て、自分と比べて相手の方が上だと判断した場合、かつ自分の理想的な存在に近い人物である場合に人は憧れを抱く。

よく「外見か中身か?」という議論が沸き起こることがあるが、人は誰しも自身の中に社会的ヒエラルキーを形成するのであれば、第一印象である外見のほうがずっと大事である。

見た目がダサければヒエラルキーの下層に相手をぶち込み、自分よりも下の存在だと思い込みながら接してくるだろう。年齢の差があったとしても、表面上は愛想よく敬語使っているフリをし、腹の中ではあなたのことを笑っているかもしれない。

知らないうちにつくられるヒエラルキー

人には相手よりも上の立場になりたいという欲求がある。この欲求は女性よりも男性のほうが比較的強くなっている。女性は自分が相手よりも上に立とうとするよりも、憧れの感情を抱いて満足感を得る傾向がある。一方男性は、憧れの人がいても「いつか追い抜いてやる」と思っている人が多い。憧れを憧れのままで終わらせず、自分のほうが充実した人生を送ってやろうと思うのだ。

もちろん、ここで述べていることは完全なる私見である。例外的な人はたくさんいるだろうし、自分は社会的ヒエラルキーなんて持ってない、自分は自分だと思ってる人も多いだろう。

でも、現代人の「周りを気にする生き方」や「他人と比較して落ち込む姿」などを頻繁に目にすると、やはりどこか知らないうちに自分でヒエラルキーを作っているのではないかと感じる。「月収〇〇円稼いでます!」という発言に対して「すごいです!」「尊敬します!」とコメントする人たちは、お金でヒエラルキーを形成するタイプの人間だといえる。

ほかにも、SNSのフォロワーでファンになったり、これまでの実績で憧れを抱いたりする人も、それぞれ自分なりのヒエラルキーの基準と照らし合わせ、自分よりも上の存在だと思ったときに、ファンになったり憧れの気持ちを抱いたりする。

真っ白な心で相手を見る

別に憧れを抱くことやファンになることを悪いと言っているわけではない。ただ、人間には他人と自分を比較する特性があり、それによって社会的ヒエラルキーを形成して相手を崇めたり見下したりする傾向があるのではないか、と述べているだけだ。

個人的には、表面上の情報で誰かに憧れたり尊敬を抱いたりファンになったり目標にしたりする人とは気が合わないと感じる。表面上の情報に価値なんてない。大切なのは審美眼を持って人を見ることができるかどうかだ。

社会的ヒエラルキーが強くなれば、それは差別へと姿を変えるかもしれない。現代は競争社会と化しており、いつでも他人とのマウントの取り合いや競走に明け暮れている。まるでゴールのないマラソンを走らされているかのようだ。

他人と接するときは、子供のような純粋で真っ白な心で、ただ一緒にいて気持ちいい相手かどうかだけで判断したいものである。

おしまい。

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