J.S バッハ(1685-1750) を考察する

普遍 

バッハJohann Sebastian Bach(1685-1750)の音楽は二百年を経た今日においても、広く愛されている。今、この時も世界のどこかで彼の音楽が演奏され、誰かが彼の音楽に耳を傾けているのは疑いない。ベートーベンはBachを小川でなく、大河であると表した。バッハは後の音楽家に多大な影響を及ぼした。哲学において「カント以前の哲学はカントへ流れ込み、カント以後の哲学はカントから流れ出た」。と言われるのはそのまま音楽に於けるバッハの影響に重ね合わせることが出来よう。


  彼の音楽が彼の持つルター派信仰にも関わらず、思想宗教を越えた全ての人々に愛され、現代にもいささかの光沢も失わずに受け継がれている根拠は、彼の「神学」にあるのではなく、彼の「哲学」にあるのだ。


 無論、彼は哲学者ではなく音楽家である。息子のフリーデマンのために書いた小曲集はのちに「インベンションとシンフォニア」として全てのピアノを学習する少年、少女に弾かれることになる。彼ほど音楽教育に情熱を持った音楽家はいないであろう。また、現代では当たり前となった二十四種類の調整も彼の「平均律」に始まった。ハンス・フォン・ビューローは「平均律」を音楽の旧約聖書とまで言っている。和声進行の基礎としての対位法を完成したのもバッハの大きな功績。バッハが音楽の世界に及ぼした創造性は確かに類例のない巨匠として現代に光を放つ。


  しかしバッハの音楽が現代にまで生命力を失わない根拠は彼の人生観の中にもあるのではないだろうか。そして、その人生観とはキリスト教信仰である。しかし、ここで問題とされるのはその宗教的イデオロギーではなく、彼自身のそれに対する態度なのである。

 バッハの音楽の普遍性はつまるところイエス・キリストの主体性に集約されるのである。 バッハにこのマタイ受難曲に於けるルター派の影を論ずるならば、まず聖書中心主義という一貫した立場が挙げられるだろう。受難曲作曲というキリスト教のクライマックスともいえる受難記事の描写にあたって、聖書記事に関して、彼は一字一句の改編も行っていないのである。バッハの音楽は確かに天上では唱われない。バッハの音楽は地上で唱われるからこそバッハの音楽なのである。地上で神を唱い、キリストを讃えるのがバッハの音楽であり、我々と神、キリストをつなぐことこそ、バッハの意図であり、それはイエスが神であり、人であったからこそ我々の救い主と成りえるのと同様である。

 そして、これはバッハのルターに対する感情にも同様のことが言えるのではないか。考えてみるにバッハはルター個人を讃える、あるいは彼の教義論を展開するカンタータを作曲したわけではない。

たしかに、バッハ一族はルター派信仰を守ってきた。バッハの精神史基盤はたしかにルター派信仰にあったかもしれないが、彼の実存は綿々と伝えられた神と彼自身、あるいは彼とイエスとの個人的な関わりの中にこそあるのではないか。(キルケゴールの実存主義に繋がる)バッハの場合はゲオルク・ジムメル等の言っている様に、あらゆる対立的なものを包括する福音書的な生命の全体性が含まれているのである。


  バッハの職業観はルターが職業を神に与えられた神聖な勤めであると考えていたことに深く関係するだろう。バッハは自分がキリスト者であると同時に音楽家であるという認識を極めて強く持っていたに違いないからである。当時のカトリック教会の下では、純粋に音楽家であるためには、教会と政治の密着の中に巻き込まれ教会の御用音楽家であるに留まる結果に終わったかも知れない。また、当時のカトリック教会の清貧な生活こそ神のみこころであるという主張に従っていたなら、妻と子供達を養い、優れた音楽教育を授ける基盤も持ち得なかったかも知れない。彼はいわばどん欲なまでに自分の音楽活動に有利な職を、また生活の安定を求めて雇用主を転々と変えているのである。


  マルクス哲学サイドからは二元論は否定されるものであり、彼の哲学は日常の悲惨と、天上の幸福を放置することに何の手も打たなかった当時のキリスト教を告発することになる。マルクスにおいてはこの放置される二元化された世界が問題になるのであって、その一元化、つまり、労働者階級の共産社会というユートピアに向けて止揚されることが要求されている。バッハにおける二元論は放置されるものではないように思われる。マタイ受難曲では「神のことば」としてのレチタチーボ、「われわれ」としてのコラール、「われ」としてのアリアが唱われた。彼はここに結論を提示していない。ただ、神の義という彼岸に至るための思考的方法論を提示する。 バッハは我々の実存に対して、「かれ」という客観的命題として「神の言葉」を提示する。それに対して「われ」としてのアリア「われわれ」としてのコラールが語り合い、互いの対話が展開される。

弁証法(英・dialectic、仏・dialectique、独・Dialektik、ラテン・dialectica)はギリシャ語のディアレクティケー・テクネー(η διαλεκτικη τεχνη)に由来するが、このディアレクティケーという語は動詞ディアレゲスタイ(διαλεγεσθαι)に由来する。この語の接頭辞ディアは多数の人が関与するという観念を含む。そして、語幹レゲスタイの語根はロゴス(λογοζ)という語のそれに同じく、「ことば」「話」「語る」を意味する。

したがって、ディアレゲスタイはディアロゴス(διαλογοζ)と同じく「対話(する)」を意味し、接頭辞ディアの持つ意味を考慮すれば、

「参加者が話題を分割し相互に相手の立場を理解しあいながらテーマを共同して追求し、これを深めてゆくような語り合い」を意味するという。

 バッハのマタイ受難曲にはこの対話構造が全体を貫く。そしてその対話の話題とは「キリストの受難」であり、「語り手(=「われ」と「われわれ」)の生き方の根底につながるものであり、その意味で実存的な基盤を持ったものである。それは、主体の共同の生体験(信仰)に根ざしたものである(36)。


 さて、マタイ受難曲における「対話」は「何のために」行われるのであろうか。言うまでもなくそれは、「神の義」を知るためである。ルターによれば、「神の義」を知る唯一の手段は聖書であった。バッハは神によって義とされるために、ルターに従い「かれ」としての福音書、レチタチーボを提示する。それに対してのアンチ・テーゼとして、実存のサンプル、「われ」としてのアリアを投げかける。そして、ドイツ福音主義教会の伝統が築きあげたコラールが「われわれ」としてキリスト者共同体の信仰告白を唱うことも忘れない。


 彼はここで結論を出すことは聴者自身に対して託しているのではないか。思えばルターの宗教改革の精神の根幹は、贖宥券の告発などという政治的問題ではなく、まさにローマ教会の上からのドグマの押しつけをはねのけ、ひとりひとりが聖書からその恵みの歴史を汲み取ることができるようにすることにあった。バッハの中にあるルター精神とはまさに神の義によるキリスト者の自由という点にある。


 彼の音楽に押し付けがましいところがないのは、彼がルター派プロテスタンティズムという特定の思想を持っていたにも関わらず、それを神学的に意味づけるのではなく、その展開を聴者自身に対して任せているからではないだろうか。彼が第五のエヴァンゲリストと呼ばれる所以であろう。彼は神を信じる自分自身の実存に誇りを持ち、それを聴者自身の実存を尊重し、二元的な命題を突き付けることによって、我々にとってのア・プリオリな命題に向けて止揚することを求めているのではないか。だから、社会変革を目指す人がマタイ受難曲を聴いて、そこにある革命家の死を思い描くことも大いに有り得るのである。


 何を求めて生きるかが不明確になっている現代、バッハの音楽が確固たる信念をもって現実と聖書信仰の弁証法的止揚をもって「何かを信じて」生きる力を我々に訴えかけている。

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