坂口安吾 堕落を考察する

人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。坂口安吾『堕落論 新装版』角川文庫 118頁

戦後間もない1946年4月、こう語る『堕落論』を上梓したのは、無頼派の作家として知られる坂口安吾である。この評論文は、戦争による喪失感や虚無感で混迷していた社会に、新しい指標を与えるものとして、当時の若者を中心に絶大な支持を得た。

新たな指標とは、上記の「人間は堕落する。それは防ぎようがないし、それだけが人間を救う近道である」というものであるが、それを示すまでの過程で、坂口は何をしたか。新旧の秩序や倫理観を否定したのである。

この戦争中、文士は未亡人の恋愛を書くことを禁じられていた。戦争未亡人を挑発堕落させてはいけないという軍人政治家の魂胆で彼女たちに使途の余生を送らせようと欲していたのであろう。軍人達の悪徳に対する理解力は敏感であって、彼等は女心の変り易さを知らなかったわけではなく、知りすぎていたので、こういう禁止項目を案出に及んだまでであった。 同上 107頁

武士は仇討のために草の根を分け乞食となってもその足跡を追いまくらねばならないというのであるが、新に復讐の情熱をもって仇敵の足跡を追い詰めた忠臣孝子があったであろうか。彼らの知っていたのは仇打ちの法則と法則に規定された名誉だけで、元来日本人は最も憎悪心の少い又永続しない国民であり、昨日の敵は今日の友という楽天性が実際の偽らぬ心情であろう。 同上 107頁

すくなくとも日本の政治家達(貴族や武士)は自己の永遠の隆盛(それは永遠ではなかったが、彼らは永遠を夢みたであろう)を約束する手段として絶対君主の必要を嗅ぎつけていた。平安時代の藤原氏は天皇の擁立を自分勝手にやりながら、自分が天皇の下位にあるのを疑りもしなかったし、迷惑にも思っていなかった。 同上109-110頁

以上三点は、全て坂口に否定された秩序、倫理観である。戦時中の禁止処分は戦争の継続に、武士道は幕藩体制の維持に、天皇の存在は藤原氏の貴族支配にそれぞれ利用された。どれも、支配者にとって都合のいい大義名分ではある。石原慎太郎は「戦時中の連帯感は美しい(それを見習って花見を自粛せよ)」と言ったが、これもでっち上げられた秩序の中でのみ通用する空虚な産物だ。ノスタルジーとナショナリズムが癒着した格好だ。

今の日本人は明治や昭和の日本人と違って、国民全体が共有できる目標(大きな物語)を失っていると言われる。デフレ経済、高齢化、政治不信、1年の自殺者3万人、そしてマスコミや似非知識人が喧伝する悲観論。日本が陥っていたのは、これらが閉塞感を生み、閉塞感がこれらをさらに増幅させるという負の連環である。

先の大戦や東日本大震災は確かに多くの人命を奪い、生活の場を破壊した。多くの人に絶望感や虚無感を植え付けた。だが、同時に日本全体の閉塞感をも洗い流したのではないだろうか。

坂口は『堕落論』の最後をこう締め括る。

だが他人の処女でなしに自分自身の処女を刺殺し、自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。そして人の如くに日本も亦堕ちることが必要であろう。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかないものである。同上118頁

「政治による救い」とは戦時中の倫理、武士道、天皇およびそれらを作り出した「お上」に救ってもらおうという依存である。これは、政治家や役人のやり方に従って、煩雑な政治を丸投げし、政治に参加しようとしない姿勢に通じる。この国が一応民主主義体制をとっている以上、昨今の閉塞感もまた国民の依存の帰結ではなかったであろうか。

坂口は戦時中にお上にでっち上げられた秩序が瓦解したことから、「堕ちきる」ことで自分自身を発見し、救い、自分の倫理を編み出して自律的になる必要があることを説いた。我々もまた、戦争や震災を機に個々人で自分のアイデンティティを見出だし、自発的に日本国民全体が共有できる新たな将来像を構築することが求められるのではないだろうか。
豊かさを求めて日本は産業化と民主化にまい進してきた。日本人の勤勉さや工夫精神も相まって、西洋が長時間かけて獲得した産業化と民主化の成果を短時間でかつ廉価に得ることができたのである。
1867年に「悪の華」のボードレールが死んだ。このときニーチェは23歳で近代に対する思想的攻撃を加える準備をしていた。「反時代的考察」1873年

このような西洋での動きは「ニヒリズムの胎動」で虚無の台頭である。物質的価値ばかりではなく、キリスト精神も含む西洋的な理性信仰に対する虚無である。「神は死んだ」
宗教心も希薄な日本人では希薄化されたニヒリズムが瀰漫していたのではないのか?神が死のうが、理性が疑わられようがお構いなしといった姿勢である。軽信と虚無のミックス、自由と平等のようなスローガンに照らして折衷を図るのである。
豊かさと折衷の代償が「退屈と焦そう感」であろう。日本においてニヒリズムが西洋に比べて深刻ではなかった理由は天皇制かもしれない。制度という器の中に盛られた果実が自由、平等、富裕でありそれらの価値に懐疑の眼を向けなかったのは天皇という価値のなかに強引にくくられたからであろう。天皇がニヒリズムの預け場所であり、天皇を考えることで忘れようとしているのである。

日本人のごとく権謀術数を事とする国民には権謀術数のためにも大義名分のためにも天皇が必要で、と書く。権謀によって分裂、対立が齎されることを理解したうえでそれを止揚する媒介者として天皇を用意したというのである。

堕落を堕落として認識する勇気。これこそが堕落を防ぐのだ。これが人間の美しさ。堕ちる道を堕ちきって自分を発見する。堕落を進歩と勘違いすることは悲劇である。(世阿弥の初心?)二種類の堕落

生きよ、堕ちよ、の前に死を想起せよ。死の観念があるからこそ生がいきる。ここら歴史の運命愛が生まれる。堕落を堕落と認識しない理由は戦争における内面的省察を避けていることである。死の意味を考えず、むしろ隠蔽してきたのだ。戦争を考えず死の観念は構築できない。死の観念はニヒリズムを誘う。しかし、死を放擲することは、無自覚の堕落へと人を追いやるのだ。

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