デカルト-近代の誕生-

科学的手法について

第一は、私が明証的に真であると認めたうえでなくてはいかなるものも真として受け入れないこと。言い換えれば、注意深く速断と偏見とを避けること。そして、私がそれを疑ういかなる理由も持たないほど、明晰にかつ判明に、私の精神に現れるもの以外の何ものをも、私の判断のうちに取り入れないこと。(明証)



第二、私が吟味する問題の各々を、できる限り多くの、しかもその問題を最もよく解くために必要なだけの数の、小部分に分かつこと。(分析)



第三、私の思想を順序に従って導くこと。もっとも単純で最も認識し易いものから始めて、少しずつ、いわば段階を踏んで、最も複雑なものの認識にまで登って行き、かつ自然のままでは前後の順序を持たぬものの間にさえも順序を想定して進むこと。(統合)

最後に、何物をも見落とすことがなかったと確信しうるうほどに、完全な枚挙と、全体にわたる通覧を、あらゆる場合に行うこと(吟味、検証)


暫定的道徳
第一の格率は、私の国の法律と習慣とに服従し、神の恩寵により幼児から教えこまれた宗教をしっかりと持ち続け、他のすべてのことでは、私が共に生きてゆかなければならぬ人々のうちの最も分別ある人々が、普通に実生活においてとっているところの、最も穏健な、極端からは遠い意見に従って、自分を導く、ということであった。



私の第二の格率は、私の行動において、できる限りしっかりした、またきっぱりした態度をとることであり、いかに疑わしい意見でも、一旦それをとると決心した場合は、それがきわめて確実なものである場合と同様に、変わらぬ態度で、それに従い続けること、であった。どこかの森に迷い込んだ旅人が、あちらへ向かったり、こちらへ向かったりして迷い歩くべきではなく、いわんやまた一つの場所に留まっているべきでもなく、常に同じ方向に、できる限り真っ直ぐに進むべきであって、その方向を彼らに選ばせたものが初めは単なる偶然にすぎなかったかもしれぬにしても、少々の理由ではその方向を変えるべきではないのである。というのは、こうすることによって、旅人たちは彼らの望むちょうどその場所には行きつけなくとも、すくなくとも最後にはどこかにたどり着き、それは恐らく森の真ん中よりは良い場所であろうからである。上の格率において私はこういう旅人に倣おうとしたのである。



私の第三の格率は、常に運命よりもむしろ自己に打ち勝つことに努め、世界の秩序よりはむしろを自分の欲望を変えるように努めること、そして一般的に言って、我々が完全に支配しうるものとしては我々の思想しかなく、我々の外なるものについては、最善の努力を尽くしてなお成し遂げえぬ事柄はすべて、我々にとっては、絶対的に不可能である、と信ずる習慣をつけること、であった。

最後に、このような道徳の結論として、私は人々がこの世で携わる様々な仕事をすべて吟味にかけ、その中から最も良いものを選ぼうとした。そして、他の人の仕事については何も言うつもりはないが、私自身は、今携わっている仕事を続けるのが最も良いと考えた。それは自らの全生涯を自らの理性の開発に用い、自ら課した方法により、真理の認識においてできる限り前進する、ということである。

コギト(熟考)について
方法的懐疑を経て、肉体を含む全ての外的事物が懐疑にかけられ、純化された精神だけが残り、デカルトは、「私がこのように“全ては偽である”と考えている間、その私自身はなにものかでなければならない」、これだけは真であるといえる事を発見する。有名な「私は考える、ゆえに私はある」Je pense, donc je suisである。
「一度でも間違いが起こった事柄に関しては全幅の信頼を寄せない」とするデカルトは、それでもやはり、絶対確実なものを見付けようと試みた。ここで、絶対確実なものとは、表象で直観されたものから実在に関する判断が直接に導かれる事柄のことである。そして、このようなものとは、実は「絶対確実なものを見付ける」という試みそのものを可能にする、「私は考える」という事実であった。これによって、意識の「内部」としての「考えるところの私」が確立し、そこに現われている観念と外部の実在との関係が、様々な形で問題に上るようになった。例えば、「観念に対応する実在はいかに考えられるべきか」や「もっとも確実な観念はなにか」といった問いが挙げられよう。

デカルトと資本主義
上記で述べたように、デカルトは神を絶対とするカトリックの教育を受けていたが、それを疑い、後の個人主義の礎となる「我思う、故に我有り」という格言を生み出した。

カトリック思想への懐疑とは、すなわち絶対的な身分序列である、「神」という統合観念に限界が来たという事を意味する。当時の時代状況から見ても明らかで、市場が開放、拡大されつつあるが故、生きていく為には、「神」に縛られる必要など無くなったという事だ。こうして市場拡大を容認する新宗派のプロテスタントが勢いを付け、神の意思?を個人に都合良く解釈した新しいキリスト教が隆盛していくのである(社会科学の台頭)。

デカルトにおいても、32歳の時、本格的に哲学に取り組むにあたり、オランダに移住したとされるが、オランダを選らんだ理由といえば、最も人口の多い町で得られる便利さを欠くことなく、「孤独な隠れた生活」を送ることができるためであったらしい。
こうして、市場に乗っかり、市場の存在を疑わず、なんとも中途半端なまま、全ての事象を疑い続けたデカルトは、結局、「そんなに疑っている自分自身が疑わしいのではないか?」という自分そのものを疑う地平にはたどり着けなかった。なぜなら、市場拡大を是認する個人的存在を疑ってしまうと、市場からの恩恵である快適さを享受出来ないからである。

結局、デカルトの「我思う、故に我有り」は、便利でいたい、良い生活がしたいといった自分発の快美要求発であり、個人の快適さの追求をエネルギーとする市場拡大の為の言い訳だったのだ。
原始的個人主義VS相互的個人主義

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