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女神の性差別と神託する階級差別


天照大御神が、女性の神だというのが重要です。
本当か嘘か真実は何か、ではなくて、そういう話で進められてきたというのが重要です。
むしろ、本当は男神なのに、わざわざ女神だと設定したとしたら、それが素晴らしい思想であると思います。

古事記の神話を読んだ方はわかると思いますが、物語は神を描きながらも、人間以上に愚かで私利私欲の暴れまくりです。
そんな神々をなだめながら、その日本固有の神道の頂点におられるのが女神なのです。
神話の中の男神は乱暴な間抜けだらけで、女神は聡明で華やかです。
すべての恵みを与える太陽の神の象徴で、その包容力のある女神のもとで私たちは生きている、そういった前提を持った考え方で生きているのが素晴らしいです。

これは他国には見られません。
他国の頂点の神は荒々しい戦闘の神、他民族を根絶やしにしろと言う神、煩悩を捨てろとかいろいろ口うるさい神です。それをトップに据えてます。
他国にも女神はいますよ。しかしギリシャ神話などでは荒々しい男神が中心で、その周りに下僕とした女神が描かれてます。この男女関係が思想のあらわれです。
マリア信仰等の母性的な女神や、実力行使の血で自由をつかむ女神、ジャンヌダルクなど戦場で先頭に立つ女性を神格化など色々ですが、もちろんトップではなく、人間社会での象徴な存在です。

日本のトップの神は女性である、その女神が多くの未熟な男神を従えている。これで2,000年間生きてきた日本社会は(別視点では数万年)、どこの国よりも女性は優れていると潜在的に思っている国民でしょう。
縄文人の土偶も女性的なのが多いですね。
男尊女卑は、後の儒教の影響で、日本古来の発想ではありません。
天照大神が実在するかの話ではありません。
女神がトップだとする思想の素晴らしさです。


仁徳天皇の「民のかまど」の話はご存知でしょうか。
仁徳天皇は、集落にある多くの民家のかまどから煙が出ていないことに気づき、「民衆は食事を準備できないほど貧しいのか」と考えました。
数年間に納税をやめて、民家から煙が出るようになりました。それにより天皇の住まいはボロボロになったけど、まだだと税をとらずいたので、民衆が感謝して、申し訳ないと天皇の住まいを直したという話です。
本当か嘘か真実は何か、ではなくて、そういう話で進められてきたというのが重要です。

古くから国のトップは王族ではありません。
王の上に祭司がいます。
バラモン教もローマ教皇も諸々の文明も。
現代もシーア派イランなどでは、イスラム法学者の最高指導者の下に大統領がいます。
神託を受けた者が民衆を指導する概念です。
日本では祭司である天皇が、古代から民衆に合わせるのが“正しい”とする概念できました。
仁徳天皇が実際はどうかは別の話です。
多分、創作です。創作だからこそ、民衆が主権であるべき思想がある証拠です。


つまり日本では、性差別も階級差別も既に克服している、というより元々にそういう考え方がないといえるでしょう。

こういう神話などは、何が真実ということが重要ではなく、人々の潜在的な思想の表れなのだろう、それを前提にした社会だと考えます。
「日本はスゴイ!」なんて言いたいわけではありません。実際、歪んでるし。
ただ、思想が特性を表している話です。

人々での潜在的な思想で社会ができてるように、
あなたの潜在的な思想で生活ができてるのです。
言い換えると、信念が人の生活を作ります。
あなたの実生活の実体は重要ではありません。
どんな思想で在るか、それだけだと思います。


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